くだらないことのすべて、一秒後に胸を揺らすことのすべて――Feb.

希求の結果

 良くは知らないアニメキャラクターが描かれたポリプロピレンのケースから取り出したデッキは、真新しいスリーブの所為でこんもりふわふわとしていた。今にも崩れてしまいそうな山札を見て、カードショップの用意した簡易なテーブルの向かいに立つ光葉みつはが、意外そうに声を上げる。


「新しいデッキ?」


 しゅうは曖昧に頷いた。まだ表面を一枚も見せていないのに、気付かれた。そのことがこそばゆく――加えて、浮気がバレたときのような罪悪感を抱かせた。

 カードゲーム歴もそれなりに長い秀は、これまでずっと同じコンセプトのデッキを使い続けてきた。なんと言ったって、切札エースカードがお気に入り。スリーブもそのキャラクターのイラストを使っているほどだった。

 それが、急にこんな、黒地に銀のロゴのスリーブになったのだから、あからさまだというもの。この店で出会ってからというもの、付き合いも長く、加えて年上の光葉に、ひと目で看破されるのも道理だろう。


「へえ〜。どうして?」


 ロングのストレートヘアに、桜色のラメ入りセーター。偏見でも女性らしさが抜群な光葉は、これで相当なプレイヤー。興味津々と目を輝かせながら、訊いてくる。


「いや、その……宗旨変え」


 気まずさ故に、秀は光葉から視線を逸らす。光葉にそのことを責められそうな気がして。そうなった場合、まだ高校生の秀には、大学生の彼女に口で太刀打ちできそうにもなかった。深く訊かないでくれ、と壁を張る。


「ふーん?」


 大人な光葉は、秀の気持ちを察して、それ以上突っ込んでこなかった。デッキケースからカードを取り出す。そのときの彼女の眉は訝しげに顰められていたが。

 赤地に白の紋様が入ったスリーブは、ほどよく使い古されていた。積み上げられた山札も安定して、それが彼女の愛着具合をよく示している。そのことがまた秀の気持ちを重くさせる。


 プレイマットからデッキを取り上げて、カードをシャッフル。しばらく切って、相手と交換し、シャッフル。新しいスリーブの所為で、光葉はカットに苦労していた。

 相手にデッキを返したところで、手札を引いて、じゃんけんをする。


「私の先攻ね。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」


 手札を見て、初手からは使えないもの、都合の悪いものを山札に戻す。新しくカードを引いて準備完了。勝負が始まった。

 光葉の手札から躍り出たのは、神秘的な甲冑を纏った戦乙女。〈ブリュンヒルデ〉。それが彼女の使うデッキのコンセプト。女性キャラについては萌系のイラストが多い中で、美麗な絵柄を中心にまとめられている。光葉は〈ブリュンヒルデ〉のイラストが好きで、このカードゲームをはじめたと言っていた。未だ使い続けている辺り、彼女の愛を感じる。

 少し羨ましく思いながら、秀のターン。出したカードを見て、光葉は目を瞠った。


「〈アーサー〉かぁ……。ホントに宗旨変えしてるね」


 勇ましい騎士の描かれたカード。エースカードではなかったが、彼女はすぐに秀のデッキを見破った。カードゲームは、その種類は豊富だが、デッキコンセプトによって採用されるカードというのは固定されてくる。経歴が長い彼女であれば、類推するのも容易いだろう。

 含みのある台詞を無視し、秀はカードを操る。小手調べの攻撃を、相手は甘受する。


 相手のターン。自分のターン。繰り返される攻防。秀は必死で覚えたデッキの型をなぞって、カードを駆使する。波はこちらにあった。モデルとなった伝説を彷彿とさせる、騎士たちの連携プレイ。トリッキーな動きが売りの戦乙女たちは、特技を発揮する間もなく、次々と現れる騎士たちの猛攻に倒れていく。

 苦々しげな光葉の顔。けれど、秀の胸は踊らない。慣れない型に苦心しているのもあるが――。


「……負けました」


 光葉が肩を落とす。光葉の山札の下に、敗れた戦乙女たちが積み上げられていた。

 その向かいの陣地では、結束を固めた騎士たちが何人も誇らしげに立っている。


「さすが、最前線を行くデッキ。強いな〜」


 光葉は溜め息を溢す。〈アーサー〉のデッキは、大会の戦績も良い、〝強い〟デッキだった。速効性がある上に、火力もそこそこ。そして、なにより安定性。カードゲームはその特性上、運が勝敗を左右するが、〈アーサー〉はその中で望む札を引き当てやすいのだ。


「カード集めるの、大変だったんじゃない?」

「今年のお年玉使いました」


 強いカードというものは、値段が張る。強いデッキのパーツとなれば、なおさらだ。鍵となるカードはたった一枚で四桁の値段にもなる。それらを秀は必死で掻き集めた。高校生のなけなしの小遣いを懸けて。


「そこまでして」


 そう。そこまでして作った。何故なら――


「〈リヴァイアサン〉じゃ、今の環境に適応できないですから」


 勝利者たちを回収しながら、秀は淡々と答えた。

 このゲームは今、速攻系アグロ主流トレンドだった。いち早く数を揃えて相手を圧倒する戦法を取らないと勝てないようになっていた。対して、〈リヴァイアサン〉は中盤型ミッドレンジ。ゲームの前半に下準備を積み重ねていくことで、強さを発揮する。ある程度対応できるとはいえ、明らかに主流ではない。

 加えて、〈リヴァイアサン〉は最近の強化が遅れているデッキでもあった。次から次に新しいカードが作られていく中で、採用できるカードがあまりにも少なかった。

 ゲームの波に乗り遅れている。それが、秀に限らないプレイヤーの、〈リヴァイアサン〉に対する見解だった。


「まあ、そうかもしれないけどさ。でも、秀くん――」


 楽しくなさそうだよ。

 端から見ると負け惜しみにも思える光葉の指摘が、深く秀の胸に刺さった。

 秀が目を瞠る前で、光葉は腕組みをして眉根を寄せる。


「なんかこう、しっくり来てないというか……溜め息吐き吐きプレイしている感じというか……」


 言葉を探す光葉からは、肯定的なものは出てこない。そしてそれらが全て秀の心情を表しているのだから、反論もできなかった。確かに秀は、このデッキを使うことに乗り気ではなかった。


 でも、だ。

 こうでもしないと、勝てないのだ。


 最近の秀は、敗北続き。それも速効性のあるデッキに下準備を台無しにされ、圧倒される展開ばかりが続いていた。思うようにデッキを回せないストレス。頭を押さえつけられているかのような圧迫感。それらがずっと、秀を支配していた。

 耐えられなかった。だから、勝てる手段を取った。強いと言われるデッキは、どんなプレイヤーが握ってもある程度の強さを発揮できるはず。少なくとも、思うように盤面を動かせないストレスはないだろう。そう思って、カードを掻き集めたのに。

 ――勝っても嬉しくないのは、何故だろう。


「ねえ、秀くん」


 デッキを握りしめて俯く秀に、光葉は声を掛ける。


「たかが、カードゲームだよ?」


 プレイヤーにとっては暴言ともいえる発言に、秀は顔を上げた。光葉はテーブルに頬杖をついて、色のない視線を秀に向けていた。


「受験や就職の役に立つわけじゃない。人助けになるわけでもない。大会の賞金とかは除くけど、お金を稼げるわけでもない。パックを剥けば使わないカードが溜まっていくばかりし、ショーケースの中のものは値段が張る。お金ばっかり掛かって、『札束で殴り合う』なんて揶揄する人もいるね」


 秀は俯いた。熱意を持ってカードを集める秀に対する両親の目は、呆れたものだった。父には『もっと有意義なことに金を使え』と溜め息を吐かれ、母には『ちゃんと勉強しなさいよ』と釘を刺されている。買い切りだからテレビゲームのほうがまだマシだ、とまで言われたこともある。普通の人には理解されない趣味。

 くだらない、子どもの遊び。

 そんなものにむきになって、勝ちを取りに行く秀は馬鹿なのだ、と思い知らされる。


「でもさ、だからこそ――楽しめなくちゃ、意味がないよ」


 背筋を伸ばした光葉は、まだ出しっぱなしだった自分のデッキの表面を指先でそっと撫でた。


「私は〈ブリュンヒルデ〉が好き。イラストが好きだし、ギミックも好き。フレーバーテキストを読んでどんな子たちなのか想像するのも楽しいし、カード並べるだけでも幸せ。もちろん、デッキ回すときも幸せ。

 パックを開けるのも楽しいし、他の人の戦い方を見るのも好き。戦略練るのも楽しいよね」


 あれも、これも、と光葉は〝好き〟を並べ立てる。『たかが』とこき下ろしたその口で、愛を訴え続ける。


「ゲームには勝ちたい。勝つのは楽しい。負けると悔しい。……でもさ、ゲームに勝つだけって、ホントに楽しい?」


 秀は自分の手元を見下ろした。適当に用意したデッキケースに仕舞われたカード。勝つためだけに組んだデッキ。確かに〈ブリュンヒルデ〉に――光葉に勝てた。だけど、嬉しくはなかった。心はさざなみ立つこともなかった。淡々と結果を受け止めただけだった。

 ただデッキを回しただけ。カードを触っただけ。勝っただけ。

 事象だけが、そこにあった。


 それが、答えだった。

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