第3期

始まりをいくつ数えた頃に――Apr.

五回目のプロローグ

 ポップスを流すヘッドホンの隙間から規則的な振動音が忍び入るのを聞いて、真弘まひろの意識は浮上した。微睡みの中で薄く目を開けてみれば、窓の外を緑色が駆けていく。

 古いローカル電車が、山の谷間を抜けていた。

 ボックス席を独り占めしていた真弘は、窓にもたれ、音楽を聴きながら居眠りをしていた。そしていま目が覚めた、というシチュエーション。


 ――戻ってきた。


 胸の中にその言葉が一つ浮かび上がると、真弘の脳はたちまち活性化した。これまであったこと、これから起こること、それらが一気に再生される。


「……戻ってきたんだな」


 もう一度強く繰り返す。今度は自らに言い聞かせるように。


 電車の走行音が変わった。窓の外が黒く塗りつぶされる。電車がトンネルに入った。

 真弘は窓の外から目を離し、隣の座席に視線を移した。誰も居ないそこには、青と白のドラム型のバッグが一つ。PUポリウレタン素材の取っ手から、白い光を弾くチャームが一つぶら下がっていた。

 親指サイズの、銀色の砂時計。赤い砂がさらさらと上から下へと流れ落ちている。

 まだひっくり返したばかりのそれを見て、真弘は息を一つ吐くと、もう一度窓の外に目を向けた。

 電車はトンネルを抜けていた。線路は山の中を抜けたようで、視界が開ける。窓の外は薄闇迫る街並みに変化していた。

 都会と呼ぶには小さすぎ、しかし田舎と呼ぶには発展している、山間やまあいの街。

 真弘はその街を睨みつけた。


 あの街は、魔窟だ。

 人に紛れて、化け物が暮らしている。




 真弘がこの春を迎えるのは、今回で五回目だ、と誰が信じてくれるだろう。きっと誰もが、街を訪れた回数と勘違いするに違いない。

 だが、真弘の中の事実は、それとは異なっていた。

 この、、五回目なのだ。

 真弘は同じ時を、既に四度繰り返している。


 きっかけはと同じ。大学進学の機にした引越で、この街に足を踏み入れて。

 その日の夜、早速化け物に襲われた。

 人のいない路地裏で、ファンタジーでよく見られるような人狼ワーウルフに飛び掛かられて、頭からばくりと喰われそうになって。

 そんなところを、一人の男と少女に助けられた。


 それからこの街が、一つの実験場になっている事実を知らされて。

 少女が、その実験の鍵を握ることも知らされて。

 平々凡々とした大学生活が、まるで特撮ドラマのような日常に塗り替えられた。

 日中に大学生として勉学に励む傍らで、夜にこの街に潜む影の正体を追い。

 ついぞ正体を掴めずに、みすみす少女を死なせてしまったのが、一回目。


 もしあの時、協力者を名乗る人物から、この砂時計を手に入れていなければ、真弘はただただ悲劇の終わりを眺めることしかできなかったことだろう。

 初めて街を訪れた春へと時を戻す、魔法の砂時計。

 ただ運命を変えたい一心で、その摩訶不思議な道具に手を伸ばした。


 敵の正体を見極めるも再び少女を死なせてしまった、二回目。

 少女の代わりに男を犠牲にした、三回目。

 何度も繰り返す悲劇を乗り越えるため、真弘は必死で砂時計をひっくり返した。


 少女の犠牲と引き換えに勝利を掴み取った、四回目。

 認められるはずがなかった。ようやく掴み取った未来が、少女の死の上に成り立つことを受け入れることができなかった。

 もう一度、と祈るように手にした砂時計。


 そうして迎えた〝今〟。五回目の春。

 真弘は今度こそ望む未来を掴み取るために〝ここ〟にいる。




 電車が駅に着いた頃にはもう、街は夜闇に沈んでいた。改札を出、駅の出口を潜り抜けた先には、街灯に照らされたロータリー。路線バスが発着し、タクシーが周回するそこはまだ人が行き交っていた。

 まだ夜は序の口、と楽しそうな人並みを素通りし、真弘はロータリーの縁を回り込んでいく。チェーン店の飲み屋やカラオケボックスが入り込んだビルが立ち並ぶ大通りを抜け、途中で脇道に入り込む。

 喧騒が遠ざかり、人通りがぱったりと途絶えた。古めかしいタイルの通りの上で、個人経営の飲み屋の看板ばかりが存在を主張していた。

 古い街頭のくすんだ明かりの所為で星明かりさえ届かない暗がりを、意を決して真弘は通り抜けていく。心の準備はすでに万端。あとは――


「お兄ちゃん、迷子?」


 ――来た。

 突如背後からかけられた声に、真弘はゆっくりと振り返る。十歩ほど離れた店の脇に、派手な柄のシャツを着た男が立っていた。夜なのにサングラスをかけている、のある男。普通の人間なら、その場で怖気づく。真弘もかつてはそうだった。肩に掛けたバッグの紐を握りしめ身構えていたその時が、今となっては懐かしい。


「ここ、治安悪いから、君のような若い子が通るには向いていないよ」


 早く表通りに出た方が良い。なんならオジサンが連れて行ってあげようか。

 幾度となく聞いた台詞を、真弘は冷静に聞き流し、肩からバッグの紐を外した。


「不自然なんだよな」


 近寄ってくる男を前に、やれやれ、と肩をすくめて呟く。


「あ?」

「なんでも――」


 ドラム型のバッグを振りかぶる。


「――ねェよっ!」


 男にバッグを投げつけた真弘は、直ちに踵を返し、脱兎のごとく走り出した。狭い路地を駆け抜ける自分の足音が響く中で、男の怒り狂った声が聞こえる。それは次第に唸り声のようなものに変化して。


「――うわっ!」


 背後から後頭部に掴みかかられて、地面に押し倒された。背中にのしかかられたのを藻掻いて暴れて抵抗する最中、横目で男の変貌を確かめる。

 人狼に変化した男が、大口を開けている姿を。

 絶体絶命の真弘の口元に、苦笑が浮かんだ。男の正体を知っていて攻撃を仕掛けてみたものの、結局こうなる運命にあるらしい。

 ならば、この危機的状況に焦ることはない。


「退きなさいよっ!」


 勇ましい声。軽くなる背中。真弘のすぐ隣に横倒しになった人狼に、運命の到来を悟る。

 化け物に襲われた真弘を助けるために、制服姿の少女が現れた。

 人狼にハイキックをかました彼女は鹿のように細い足を下ろすと、通りに伏せたままの真弘に手を差し出した。


「立って!」


 ほんの一瞬だけ。呆然と真弘は少女を見つめる。

 流れ落ちる黒髪と、きつい印象を受ける目鼻立ち。見知らぬ他人が襲われているのを助け出そうとする、正義感に溢れた頼もしい姿。

 その内に繊細な心を抱えているとはとても感じさせない凛々しさに、今一度真弘は見惚れてしまった。

 それと同時に浮かび上がる愛しさと切なさ。


 ――始まりをいくつ数えた頃に、望む未来を掴めるのだろう。


 不意に胸の内に浮かび上がった弱気な思考を振り払い、真弘は少女の手を掴む。

 こっちだ、と手を引っ張られながら走っていった先に、黒いジャケットを羽織った男が居るのを確認し、真弘は唇を噛み締めた。




 始まってしまった物語。

 今度こそ君を救ってみせる。

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