Cパート
「まさか、このような事態となるとはね……」
頭半分を覆うヘルメット型のモニターの向こうで、疲れたような声がする。男性にしては高めの声のその人は、オレンジ色のデジタルな視界の向こうで、シートに凭れる彼女の前をうろうろと歩き回っていた。
「確かにこのことを予見して用意をしていたのだけれど……できれば使いたくはなかったな」
重いため息。彼女の前で足音が止まる。相対する彼は彼女の耳の上辺りに手を伸ばして、ヘルメットを外した。視界はオレンジ色から、白色へ。彼女が目を眩まさないように、光量が少し落とされている。
落としていた視線を上げれば、困った表情で笑う壮年の男の顔が目に入る。長いこと散髪されていない黒髪の下で、優しい青い色の瞳を少し哀しげに光らせて、その人は手を差し出した。
「お疲れ様、ケライノー。君の出番まで休憩にしようか」
〝ケライノー〟と、この宇宙ステーションと同じ名前で呼ばれた彼女は、首の後ろのコードを引き抜くと、男の手を取りシートから立ち上がった。
彼は自身の胸の高さにあるケライノーの頭を撫でて、乱れた髪を直してくれる。
「出番まで、まだもう少し時間がある。それまで、部屋で休んでおいで」
「はい、博士」
ケライノーは博士と呼ぶ男に返事をすると、コードが横断する床を白いブーツで慎重に歩いてドアの前まで行った。真横のスイッチを押すと、空気の抜ける音と同時にドアが開く。
ケライノーはそこで一度立ち止まり、反転した。
博士は、ケライノーが座っていたシートの向かいにあるコンソールの前で、モニターを覗き込んでいる。
「それでは博士、失礼します」
「ああ。お疲れ様」
一礼したケライノーは、踵を返して部屋を出ていった。
建材が剥き出しになった通路を歩く。この区画は人が極端に少ないので、非常灯しか点いておらず薄暗い。
そんな通路を一フロア分だけ歩いて着いた部屋は、宇宙ステーションの中にあるとは思えない、少女趣味な部屋だった。自動で点いた明かりが照らすのは、クリーム色の壁紙に、花柄の臙脂色の絨毯。調度品は木製のアンティーク。まるで貴族の屋敷の一室のような内装である。
ケライノーは自室の中を突っ切って、ふかふかのベッドの脇にあるドレッサーの前に腰掛けた。三面鏡に映るのは、肩までの金髪に大きなオリーブの瞳の自分の姿。首元から足先まで白いボディスーツに覆われた全身はまだ薄く、顔立ちにも幼さが残っている。
そんな三つの自分の鏡像をじっと見つめる。
短い電子音が鳴って、ケライノーは我に返った。ドレッサーの隅に置かれた端末が、着信を告げたのだ。
角が丸いピンク色の端末を拾い上げる。掌サイズのそれは、十年も前の型式であるが、何故か愛着が湧いて手放せずにいるのだ。
こうしてたまに、着信が来るから。
画面には〝From K〟と表示されている。
ケライノーは画面をタップして、届いたメールを開いた。
式典、〈ヘカテー〉、似た女性、そして〝返事が欲しい〟と書かれた文面。それらを流し読んだ後、最後に書かれた署名を読み上げた。
「ケイト・ランズベリー……」
――いよいよ表に出るというのなら、もうこれに返事をしてみても良いだろうか。
そんなことをふと思い、今になってはじめて、ケライノーはメールの返信ボタンを押した。なにを書くかしばし悩んで、短く一文だけを打ち込んだ。
そして、署名欄が既に設定されていることに気付かないまま、メールを送信する。
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Dear. K
あなたは、誰ですか?
Kayla Starret
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友人の生存の可能性に揺れる慧人が、別れた頃そのままの
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