Dear K――Feb.

Aパート

―・―・―・―・―・―・―


Dear. K


お元気ですか?

慧人です。


プレイアデス警備軍に配属されて半年経った今日、

〈ケライノー〉で〈アルテミス再興計画〉再始動の式典が開かれます。

いよいよ警備軍の活躍のときです。

僕も、まだ新兵だけど、

式典の警備をすることになりました。

と言っても、僕は宙域で

〈サイクロプス〉に乗って巡回するだけなんだけど。


十年前、君が向かったこの場所で

こんな式典が開かれるなんて、

なんて言えばいいんだろう……

感慨深いというか、複雑というか。

でもこれでようやく

世界は一歩前進できるのかな。


僕も頑張らないとね。


それでは、また。


幸運を


Keito Lounsbery


―・―・―・―・―・―・―



「よーぅ、ケイティ」


 突然背後から肩と首にかかった体重と、耳に吹き込まれた芯のある男の声に、慧人ケイトは背筋を強張らせた。咄嗟に手に持った長方形の携帯端末の画面を隠し、褐色の眼を見開いたまま背後を振り返る。

 慧人の頭の横に、面長の白い顔があった。きりりとした眉に、筋の通った鼻、細長く少し垂れた青い瞳の美青年。亜麻色の長い髪が首をくすぐって、慧人は背を大きく反らして彼から身を離した。


「なに、彼女にメール?」


 慧人は硬い声で、にたにたと意地の悪い笑みを浮かべる彼の名前を呼ぶ。


「アンドレオーニ先輩」

「硬いなぁ。ロベルトで良いって」


 そのロベルトは、慧人の肩を組んだ腕を離し、慧人の背後を回って対面の席に座った。


 地球−月間のラグランジュ・ポイントにある宇宙ステーションの一つ〈ケライノー〉。その軍港内に設けられたラウンジ。ペイルターコイズの空間に、机と椅子を並べただけの部屋。部屋の隅の自動販売機の傍に観葉植物を模した置物が置かれていたりするが、殺風景さは拭えていない。……もっとも、モスグリーンの軍服や身体にピッタリとあったチャコールグレーのパイロットスーツでは、如何に洒落た内装であっても浮いてしまうだろうから、これくらいで丁度良い。

 そんなだだっ広いだけの寒々しい空間に現在居るのは、慧人とロベルトのただ二人だけ。揃って気が早くもパイロットスーツに着替えている。数時間後に控えた任務のために。


 アルミ材を白く塗装したテーブルに両腕を乗せ、身を乗り出したロベルトは、それで、と話を促した。どうやら見逃してはもらえないらしい。

 観念して、慧人は口を開いた。


「……彼女じゃないです。友だちで」


 慧人は端末の画面をオンにした。アルバムアプリをタップして、代々機械を乗り換えるたびに移し替えてきた写真を開く。


「名前はケイラ。子どもの頃、僕がグラスゴーに引っ越したときに、同じマンションに住んでいたんです。彼女の家は、僕の家の真下で。しかも、同じクラスだったこともあったんです」


 ロベルトに見せたそれは、ジュニアスクールの集合写真だった。飾り立てた黒板を背景に、三十人の子どもたちと二人の教師が写っている。その最後列右端に、目立たないようにひっそりと立つ東洋人の男の子がいる。当時十歳の慧人だ。

 そして、黒い前髪を真っ直ぐにした慧人の隣には、肩までの金髪を黒いリボンで二つに結わえた女の子。おどおどとした慧人と対象的に、オリーブの瞳をきらきらと輝かせた彼女こそが、慧人のメールの相手ケイラ・スターレットである。


 よく帰りが同じになったこと、そして、同じ〝ケイ〟が付く名前であったこともきっかけに、二人は意気投合した。頻繁に互いの家を行き来して、宿題やゲーム、本の貸し借りなどもしていた。


「だけどまあ、十歳ですから。周りからからかわれたんですよね」


 人見知りで気の弱かった慧人は、母国から海外に引っ越してきた不安もあって、頻繁に話すのはケイラだけだった。それをクラスメイトたちは〝恋人同士〟とからかったのだ。思春期を前にした少年たちは、妙なところでマセてからかいのネタにする。からかわれた慧人は、それが恥ずかしくなって、徐々にケイラから離れるようになったのだ。


「でも、僕たちは気が合って趣味も同じだったから、お互い寂しくて」


 そうしたらケイラが、だったらメールでやり取りしよう、と持ちかけてきたのだ。


「メッセージじゃないのか」

「まだ十だったんですよ? 僕もケイラも、SNSはやらせてもらえませんでした」

「そりゃ厳しい家庭だなぁ」


 そうして、慧人とケイラはメール友だちとして、電子メールを送り合うようになった。他の誰かに知られないように、お互いのアドレスの登録名を〝K〟として。およそやり取りを続けてきたのだ。


「甘酸っぱい初恋の記憶ってわけだ」


 しみじみと呟いて、ロベルトは慧人に端末を返す。そうだ、とも、違う、とも言うことなく、慧人は受け取った端末を握りしめた。


「それで、その彼女は今どうしてるんだ?」

「……十年前に〈ケライノー〉へ両親と旅立つのを見送って、それっきりです」

「十年前の〈ケライノー〉……」


 ロベルトの顔色が変わる。


「まさか、〈アクタイオンの墜落〉の?」


 慧人は暗い顔で首肯した。


「ええ。被害者の一人です」


〈アクタイオンの墜落〉。それは、当時〈ケライノー〉を含めた七つの宇宙ステーション、総称〈プレイアデス〉へと向かったスペースシャトル各機を襲ったハイジャック・テロ事件のことを指す。シャトルは大気圏を通過した後、突如機内は名もなきテログループによって乗っ取られた。そして宇宙待機軌道を約七十二時間周遊した後に、乗客を乗せたまま大気圏へと墜落。多くの死者を出した。


 ケイラは、システムエンジニアの父と一緒に〈ケライノー〉へ向かうシャトルに乗った。彼女の父は、〈ケライノー〉の稼働を控え、最終調整のために現地に長期滞在する予定だったらしい。それに、家族揃ってついていくことにしたのだ。

 その道中、テロに巻き込まれた。


〈ケライノー〉行きのシャトルに乗った五十人の中で、生還した者は一人もいない。

 それでも、慧人はケイラにメールを送り続けた。いつか彼女から返事が来るのではないかと期待して。

 それから十年。一度として、メールが返ってきたことはない。


「今となっては、宛先が残っているのを良いことに、日記代わりにメールを送っているだけですよ」


 自嘲を混じえて慧人は言う。未送信のメールを再び開いて、送信ボタンを押す。画面には〝送信完了〟と表示されるが、これを見る者はまずいない。

 不毛な習慣と分かっている。それでも十年以上続けてきた行為をそう簡単に止めることはできなかった。


 そんな慧人の心境をどう受け止めたのか、ロベルトは静かに口を開く。


「……無事だといいな。奇跡でもなんでも起こって」

「そうですね」


 返事をして、ふと、慧人は考える。何故、ロベルトにここまで詳しくケイラのことを話す気になったのだろうか。


「さて。仕事の時間だ。気合い入れて行くぞケイティ」


 ぱしん、と片掌に拳を打ち付けて気合を入れるロベルトに、慧人は口を尖らせた。


「そのケイティっていうの、やめてもらえませんか? 女の子みたいじゃないですか」

「なに言ってんだ。ケイトって名前がすでに女の名前じゃないか」

「僕の母国では男の名前なんです。お願いですから、ホントにもう、やめてください」


 覚えてたらな、と背を向けたロベルトは手を挙げて応え、ラウンジの外へと向かう。これからハンガーで有人機動兵器〈サイクロプス〉に搭乗し、周辺宙域を巡回するのだ。式典の行われる〈ケライノー〉の警備のために。


 ――これは直らないパターンだな。

 慧人は苦笑し、ロベルトの後を追った。

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