第2期
春風ひとつ、想いを揺らして――Apr.
きっかけはシンパシー
「お前、歌うまいな!」
土曜日の正午すぎ。特別講義の帰り道。斜面に白詰草の敷き詰められた河川敷を一人歩いていると、背後から突然声を掛けられた。佐保の心臓は大きく跳ねた。理由は、大声だった事が一つ。暖かな陽気につい口ずさんでいた歌を聴かれていたことも一つ。そして――その声に心当たりがあったことが、一つ。
逃げ出したい気持ちに駆られるのをなんとか押さえつけ、恐る恐る振り返ると、そこには思った通りの姿。跳ねた髪と、据わったような悪印象な目付きと、着崩した学ラン。第二ボタンまで開いた下には、大きな英字のロゴ入りTシャツ。
佐保より頭半分高いところから見下ろすその人は、小瀧
「それ、あれだろ? タイトル忘れたけど、ジャズ! 詳しいのか?」
第一印象でまず悪い評価を受けるだろう人相を崩し、ハスキーな声を張り上げながら、裕幸は佐保に詰め寄る。その目がキラキラと輝いているものだから、勘違いをすることはないのだが、異性どころか同性にも馴れない佐保はやはり気圧されてしまい、一歩後ろに下がってしまった。
「え、ええ。まあ……齧った程度ですが」
「マジか! うわースッゲェ予想外!」
なんとか返事をするが、目の前の彼は緊張した佐保の様子に気付くことなく、子どものようにはしゃいでいる。胸の前で拳を握ってガッツポーズのような格好で自らの興奮を表現したあと、両手を佐保の両肩に置いた。
「なあなあ、お前、バンドに興味ねぇ!?」
「…………え?」
密着と言えるレベルでの接近と、突然の展開に頭を真っ白にさせた佐保に、裕幸は男女の適切な距離を大きく踏み越えて、さらに詰め寄った。
「俺たちと一緒に歌わないかって言ってるんだよ!」
「え? ええっ?」
♭ ♭ ♭
牧野佐保が、小瀧裕幸を知ったのは、実は結構早い時期。高校一年の五月のことだった。新生活一月も経てば、同じ日常を過ごす
佐保は、その中で溢れてしまった人間の一人だった。
三編みお下げ姿に黒縁眼鏡。引っ込み思案で内向的。趣味は読書、それも古典文学。テレビは仕方なく付いてるニュースしか見ないし、兄弟がいないこともあってかゲームには触れたこともない。
自分から話しかけることは滅多になく、キラキラしたものや楽しいことに縁がないものだから、クラスメイトと話題も合わず、そのまま孤立してしまった。
同じ中学の友達は、みんな別の高校に行ってしまった。
内向的な性格の所為で、部活動も選ばなかった。
虐められてはいない。無視されることもない。ただ、当たり障りのない態度で接せられるだけ。同じ年齢の赤の他人。それが、高校における牧野佐保のポジション。
自分にも悪い部分はあることを自覚してはいたので仕方ないとは思いつつ、でもやはり寂しいものは寂しかった。空き時間で本をたくさん読めるじゃないか、と自分を必死でごまかそうとしたが、胸にぽっかり穴が空いてしまったような気分をいつも抱えていた。
そんなときに見かけたのが、当時隣のクラスだった、裕幸だ。
確か、四限目終了後のお昼休みのことだった。移動教室から戻る途中の廊下で、外のベンチに腰掛ける彼を見つけたのだ。小さなコンビニのビニール袋をぶら提げ、男の子の食事とは思えない、小さなパン一つだけを食べていた彼は、たった一人でぼんやりとしていた。表面上はなんでもないような顔をしていたが、そこになにやら鬱屈としたものも感じて、つい見入ってしまった。
彼は、目付きと言動の悪さの所為で、不良と見なされ嫌厭されていた。きっと教室の居心地が悪くて、こんなところにいるのだろう、と思った。
そうすると、なんだか親近感が沸いてきたのだ。自分と同じ――勝手にそう感じた。
それから、ことあるごとに彼を視線で追った。さりげなくいじめ現場に割って入って止めさせたり、落とし物をしたクラスメイトの探し物を手伝ってあげたりするところを見て、不良どころか実は優しい人であることも知った。
休み時間の度に廊下や窓の外にその姿を探し、見つけると少しだけ浮かれる、なんてことを繰り返し続けた一学期。
彼が急に変わったのは、夏休み明けのことだった。物憂げな表情が、急に生き生きと輝きはじめた。隣には気弱そうな線の細い男の子が一人。端から見れば〝不良とパシリ〟の組み合わせだが、きちんと友人であるらしく、裕幸もその男の子も楽しそうに話をする姿を見るようになった。
どうしたのだろう、と思ってさりげなく後を追ってみると、どうやら音楽を始めたらしい。放課後、そのお友だちと一緒に行った部活棟で、トランペットを持っているのを見つけた。
聴こえてきたのは、ジャズのハーモニー。
繊細で巧みな電子ピアノと、大胆で情熱的なアルトサックスと、地に響いて安定感のあるコントラバスのセッションに被さる、朗々としたトランペットのメロディ。
彼の心境の変化を表したようなその音がなんだか羨ましく、これまでに見たことのない姿に嫉妬し、溌剌とした様子に憧れて。
気付けばCDショップに足を向けていた。良く分からなかったので、ジャケットと帯とタイトルを見て適当に何枚かを持ち帰り、聴いてみた。
珍しくはないけれど、クラシックやポップスに比べれば、真剣に聴く機会のない、その独特なリズムに酔いしれて。
なんとなく裕幸の気分を共有した気になって。
それから、無邪気な表情を見せるようになった彼を密かに目で追う日々が続いて。
――そこで、終わると思っていたはずなのに。
♯ ♯ ♯
月曜に練習あるから来てくれよ、と熱心にせがむ裕幸に、気後れを感じていた佐保は、結局最後に折れてしまった。なんといっても憧れの相手。本気で誘ってくれていると判れば、断れるはずもないのである。
しかし、その月曜日。麗らかな日差しの下で校内の部活棟の建つ区域に入った佐保は、ある事実に気がついて立ち竦み、汗を掻くこととなった。
裕幸の演奏仲間は、男ばかりなのである。
その中に飛び込むのだ。やましい話であるはずはないと分かっていても、異性と接する機会のない佐保には難しいを通り越し、恐怖すら覚える所業である。
安易に約束した後悔が、怒濤のように押し寄せた。
帰ろうか、とも思い。でもなにも連絡せずに約束を反古にするのも躊躇われ、微風に汗を冷やして蒼白な顔で身動き取れなくなっていたところを助けてくれたのは――あろうことか、裕幸の友人だった。
三上
「悪ぃ! その……悪気はなかったんだ。ただ、ほら、俺らボーカル居なかったからよぉ、興味あるならちょうどいいかなーって……」
必死に言い訳する裕幸を、ベリーショートに泣き黒子がセクシーなサックス担当の石崎
「ちょうどいいかなー、じゃないでしょう!? 牧野さんの都合も考えないで、無理やり誘っておきながら、そのままほったらかしだなんて! 牧野さん、すごく困っていたんだよ!?」
説教していた彰は、まだ腹の虫が収まらないらしく、裕幸を叱りつけていた。気弱そうな見た目だったが、それに反して結構芯がしっかりしているのかもしれない。自分と似たタイプだと思っていたので、少し羨ましかった。
それに対して、叱られた方はパイプ椅子に座ったまましゅんとしょげる。開いた脚の間に両手を突き、肩と頭を落とすと、悪かった、と佐保に頭を下げた。
「もう少しきちんと話をすればよかった。不安にさせてごめんな」
「あ……いいえ、その、もう過ぎたことですし……」
確かに不安は大きく怖くもあったが、裕幸に誘われたこと自体は嬉しかったのだ。そこまで反省されると、佐保のほうが申し訳なくなってしまう。
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