四、違和主従

 それから二日。燈架と颯季は、詰所にある洋間造りの書斎に閉じ籠って過ごした。燈架は、椅子に座り、机に凭れ、苛々と書類を捲る。一方、颯季は燈架が用意した妖に関する書物を、部屋の隅の長椅子の上でずっと読み耽っていた。

 妖の書物を希望したのは、颯季だった。妖のことが知りたいのだという。

 つくづく妙な奴だ、と燈架は思う。妖を引き寄せる霊力を宿しながら、彼は妖に対する術をほとんど知らなかった。少なくとも、燈架たちが必要最低限と括っている知識は持ち合わせていない。霊力を操る術を知らないし、身を守る術も心得がないようだ。これまでどう生きてきたのか、少々疑問が残る。

 しかしそうかと思えば、時折妙に妖について確信めいたことを言う。妖と花の迷信然り、妖の習性や妖力の扱い方にも、少し詳しいようだった。ようは知識に偏りがある。妖祓いですらほとんど知らないようなことを、いったいどこから仕入れてくるのか。

 それになにより奇妙なのが、他でもない麗人――惟織のことである。自分自身理由を掴めていないのだが、惟織が颯季を庇護していることが、燈架は今でも信じられない想いでいる。どう見ても仲の良い主従、その光景は微笑ましいほどであるのだが、燈架には何故かそれが有り得ないもののように映る。昨晩など、迎えにここまでやってきた惟織は、我が子の手を引くように颯季の手を握って帰っていった。その様に言い様のない不安を覚えたのだ。明日は颯季に会えないかもしれない、とさえ思った。実際は今日こうしてまた、書斎で過ごしているわけなのだが……。


「……どうかしました?」


 本から顔を上げた颯季と目があった。思い悩んでいるうちに、いつの間にか当人をまじまじと見つめていたようである。

 なんでもない、と燈架は誤魔化して、


「ちょっと外に出て見ないか。机に向かってばかりで気が滅いる」


 しかし、少年は気が進まないようだった。


「息が詰まらないか」

「僕は……慣れていますので」


 困り顔でそう返し、しばらく俯いて思案した後、そっと書を置いて長椅子から立ち上がった。


「でも、燈架さんがどうしてもと言うなら、お付き合いします」


 明らかに気を遣ってくれている様子に、今度は燈架が困り果てた。


「良い。気が進まないのを無理に出掛ける必要はない。俺に気を遣っていないで、思うように過ごせ」


 しかし、気が滅入っていたのは事実なので、茶でも淹れることにした。

 台所にいけば、一門の女性祓い師が燈架に変わって茶を淹れてくれた。同時に菓子も渡される。可愛らしい見た目の颯季に差し入れとのことだ。燈架はおこぼれに与った。


「そういえば、菓子一つで始まった縁だったな……」


 ただ酔いの気まぐれの行為が、こうなるとは思わなかった。


 盆の上に茶を運んで戻ってみれば、颯季は先程まで燈架が座っていた机の前に立っていた。なにかを取り上げ、広げている。振り返った颯季はばつの悪そうな表情をしていた。

 責めるべきか、知らぬふりをするべきか。一瞬悩んだが、溜め息だけ溢して、まずは盆を机の上に置いた。

 それから、颯季が盗み見ていたものを確認する。煌利が御上から渡された〈花守〉の記録だった。


「そいつも一応、機密なんだがな」

「……すみません」


 机の端に立ったまま、縮こまる。


「なんだってまた、こんなものを」


 少年は項垂れた。だんまりでやり過ごそう、というよりは、言おうか言うまいか悩んでいるようである。別に叱ろうと言う訳ではないのだが、と燈架は思う。客人の前に書類を放置して出ていった自分も悪いのだから。


「〈花守〉の捜索のほうは、どうなっているんですか?」

「知ってどうする」


 颯季の眼がさ迷った。けれどなにも思い付かなかったのか。そのまま口を引き結ぶ。今度は意思を伴った黙秘だった。


「……他の一門は知らんが、俺たちは〈花守〉の捜索はしていない。捜しているのは、神隠しの妖だ。それについてなら、手懸かりはまるでなし、と答える」


 そうですか、とだけ返ってくる。


「何を気にしている」

「いいえ、その、いつまで続くんだろう、と思っていて」


 なにが、とは言わなかったが、なんとなく懸念していたことは読み取れた。


「惟織殿は、数日だけと言っていたぞ。もうそろそろじゃないのか」

「そう、なのかな……」


 少年の黒い目が、不安げに揺れる。まるで置いていかれようとしている仔犬のようだ。それほどまでに主を慕っているのか、と思い、何故、と感じる。また根拠のない不審感が顔を出す。

 同時に別の疑問も浮上する。何故惟織は、ここまで慕うこの子を置いていくのか。無闇に迷惑を掛けるような人間ではなかろうに。


「お前の主人は、毎度毎度、何処に出掛けている?」

「知り合いの住み処に、とだけ。明都に来たので挨拶回りに、だそうです」

「どういう知り合いなんだ?」


 颯季が何事かを答えかけたところで、障子の外から声を掛けられた。惟織が迎えにきたという。まだ日は高い――が、用事とやらが早く終わったのだろう。


「……結局、茶を飲まずじまいだったな」


 そうして燈架は盆の上から菓子を拾い上げ、一つ一つ硫酸紙に包んでやった。それをさらに、懐紙でくるみ、颯季に持たせてやる。


「帰ったら、主と食え。盗み見た書類の件は、他言するなよ」


 はい、と颯季は力なく頷いた。




 颯季を迎えにきた惟織は、少々殺気立っていた。琥珀の瞳を剣呑に光らせ、柳眉を逆立てていた。

 しかし、その凄みのある表情も、颯季を前にして和らいだ。無事を安堵するようであり、我が子と再会した喜びのようでもあり、惟織がどれほど颯季を気に掛けているかがよく分かる。

 本当に、互いに互いを深く思いやっている主従だ。それなのに、燈架の気持ちは蟠る。あの少年び信頼できる者がいるなら結構なことであると言うのに。


『いつも済まないな、燈架』


 従者を迎えにきた麗人は、いつも決まってそう言う。このとき、僅かながら警戒されているのを、燈架は感じた。それがなおのこと、気に入らない。

 だが、日も高いことだし、今日で最後かと思っていたのだが――


『明日も頼めるか』


 意外なことに、また申し訳なさそうに請うてきた。颯季がまた残念がる。

 だが、惟織は切羽詰まっているようで、真剣に燈架のことを見つめていた。


『明日で終わる。最後にどうしても、後始末をつけてきたい』


 釈然としないまま浅く眠り、朝となったら颯季を宿に迎えに行く。惟織は、燈架たちの詰所に迎えには来るのだが、朝に送ることはしなかった。だからいつも、燈架が颯季を拾っていく。

 人まばらな通りを行き、宿へと向かう。街の至るところに植えられた桜はだいぶ散ってきた。花を楽しめるのは、もう一日、二日といったところだろうか。

 目的の場所が見えたところで、燈架は足を止めた。一見異変は見てとれないが、気配がなんだか物々しい。燈架は左手で鞘を掴み、いつでも刀を抜けるようにして、宿に飛び込もうとした。

 扉に辿り着く寸前、その戸が内側から吹き飛んだ。飛び出した影の正体に、燈架は目を瞠る。


「惟織!」


 惟織は飛び退きながら燈架に一瞥をくれると、大地を大きく蹴り、向かいの長屋の屋根の上へと跳んだ。屋根に下り立つその姿に、さらに目を見開く。

 ぬばたまの髪からは大きな三角の耳が、薄墨の袴の臀部でんぶからは白く太い尾が九本生えている。そして、身体から立ち昇る尋常ではないその妖気。

 ――九尾の狐。

 〈花守〉の資料に載っていた、古の大妖怪の一。

 惟織がその、妖怪だったのか。

 まさか伝承の妖が目の前に現れるとは思わず、燈架は絶句するが、その一方で得心してもいた。惟織に対して感じていた違和の正体。妖であるというのなら、納得できる。そんな妖を颯季が慕うのは理解できかねるが……。

 そこで、はたと気が付いた。惟織が肩に担いだものの正体。


「――颯季っ!」


 燈架の声に、颯季の身体がもぞりと動く。燈架の名を呼んで、颯季が振り返った。

 右手が柄に伸びる。屋根の上を睨み上げれば、炎を宿した琥珀の瞳とかち合った。

 宿の中から、複数の怒号と足音が聴こえてくる。背後を確かめてみて、思わず構えを解くほどに燈架はまた驚いた。


「お前たち、緋坦ひたんのところの!?」


 煌利たちとはまた異にする一門の妖祓いたちが、抜身の刀を携えたまま出てきたのだ。それで惟織が正体を晒し、あのような行動に出たわけを知る。


「燈架か」


 知った顔の祓い師が燈架を一瞥する。


「お前たち、何故ここに?」

「御上の命だ。人に化けた〈花守〉がこの宿に居ると聞き、捕まえに来た」

「なんだと?」


 燈架は眉根を寄せた。惟織は妖祓いすらも誤魔化すほどに、自らの妖気を隠し遂せる力を持つ妖である。情けない話だが、直に接触した燈架をはじめ、詰所に居た妖祓いたちも迎えに来た惟織の正体を誰一人看破することはできなかった。それなのに、燈架たち以外の誰かがいつの間にか惟織の正体を見抜き、御上に申し伝えたと――?

 だが、その疑問を口にする暇なく、妖祓いたちは惟織に向けて術を放った。石礫が麗しき妖と、颯季に迫る。


「――止せっ」


 燈架の制止虚しく、石礫が惟織の身体を打ち付ける。惟織はたくさんの尾で自らの身体と颯季を庇い、攻撃が止んだ合間に別の家屋の屋根に飛び移って、この場から脱離した。

 追え、と叫びながら、駆けていく祓い師たち。

 燈架は呆然とその後ろ姿を見送った。

 正体が〈花守〉の妖だという、惟織。〈花守〉の守る〈常世の庭〉に執念する御上。接触した燈架たちを差し置いて惟織の正体を見抜いた誰かと、御上の命で惟織を捕らえに来た妖祓いたち。これらを結びつけるものの正体が曖昧で、しかも不吉めいてもいて、なんとも据わりの悪い想いをする。

 だが、それ以上に気にかかるもの。


「……颯季」


 惟織をこの上なく慕っていたあの少年。彼が噂を否定し、燈架たちの〈花守〉捜索の動向を気に掛けていたのは、主の正体を知っていたからに他ならない。思えば、彼から〈花守〉についての質問はなかった。

 惟織が妖と知っていてなお慕っていた、その真意。

 そして、惟織もまた颯季を慈しんでいた。その様子に偽りがないからこそ、燈架は二人の有り様に懐疑した。

 ――果たして、惟織は神隠しの元凶か。


 しかし、なんであるにしろ、あの少年はまずこの争いに巻き込まれる。それを見過ごすことなどできはしない。

 遅れながら、燈架は惟織の後を追った。




 追った先にすでに祓い師たちの姿はなく、燈架は自らの勘のみで惟織を探す羽目になった。都を出て、道を外れ、野山に出る。途中、湖に注ぐ小川を見つけ、そこを遡った。

 小さな野花の咲く川沿いを歩いていくと、小石が多くなってきた。さらに進めば視界が開ける。川が大きく湾曲したことでできた川原。九つの尾と三角の耳を晒したままの麗人姿の惟織と、心配そうに主を覗き込む颯季を見つけた。

 川原の上で蹲っている惟織は、肩口を押さえて歯を食いしばっていた。

 先に気づいたのは、颯季だった。惟織を庇い、こちらの様子を窺っている。


「……傷を負ったか」


 惟織が顔を上げ、鬼気迫る表情でこちらを睨んだ。燈架めがけて飛んできた狐火を、己が焔を持って打ち払う。


「……お前が私を売ったか」


 狐火を撃った手を下ろし、惟織は呻くように言う。緋坦の祓い師の術を受けたのだろうが、単なる礫だけでなく、なにかしらの呪も受けたのだろうか。


「いいや。俺はお前が妖であることにすら気がつかなかった。気づいたとして、そのときに使うのは身内だけだ。余所者に頼ったりなどしない」

「ならば何故――っ」


 叫びかけ、傷に響いたのか蹲る惟織。颯季が慌てて惟織に飛び付き、傷を確かめた。

 

「訳を聞かせろ」


 燈架は刀を抜き、惟織に向けた。隣で颯季が息を飲む。手負いに脅しのようなことをするが、相手は妖だ。油断ならない。


「何故、妖のお前が、人の子の颯季を連れ歩く」

「人間に語ることなどない」


 傷に呻きながらも、惟織は刺々しい光で燈架を睨み返す。端麗な顔に汗すら浮かんでいるのを見て、燈架は眉を顰めた。余程の深手を負っているのか。

 よくよく観察してみれば、惟織は左肩だけでなく、左脇腹も押さえていた。白妙の衣が赤い染みを作っている。

 燈架の視線に気づいた颯季が顔を上げた。


「宿にあの人たちが入ってきたとき、僕を庇った所為で、刀で刺されて」


 そうか、と一つ頷く。不意を打たれたのだろう。緋坦の連中もずいぶんなことをする、と思うのは、知り合いだからなのだろうか。

 手当てするべきか、と逡巡する。しかしまだ、尋問の途中だ。下手をすれば、敵である。燈架は下げかけた刀を握り直した。


「なら、どうするつもりか、それだけは訊かせてもらう。でないと、俺はお前たちを引き離す他ない」

「それは――っ!」


 颯季が声を張り上げる。訴えかけるような必死な目で燈架を見上げてしばし。一度瞑目すると、気を落ち着けて真っ直ぐに燈架を見つめた。


「それは、僕が嫌です」

「だが――」


 真剣な颯季の思いを知っても、燈架はまだこのまま二人を送り出すことには躊躇した。惟織にどんな思惑があったとしても、このままでは颯季の身が危険に晒される。いつぞや街で襲われたことから考えても惟織の存在は妖どもの牽制にはならず、また、惟織の存在がある故に人間からも狙われることになるだろう。それを看過することなどできはしない。


「そう、悩むことはありません」


 ふと、艶かしい声が割り込んだ。

 それぞれが顔を上げた瞬間、颯季の身体が後方にぐい、と引っ張られる。


「この子は、わたくしが貰い受けるのですから」


 颯季の身体を影が這った。後ろから抱き込むようにして華奢な胴に伸びるのは、黒い二本の腕。

 惟織が目を見開いた。

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