二、少年再見

 石で造られた円形の楼閣から出た少年――颯季は、主と連れ立って提灯に照らされた湖畔を歩いていた。危なっかしくもちらちらと道端の桜を見上げながら、白妙の麗人の後を追っていく。そんな少年の様子を見て取ったのだろう、麗人――惟織は赤い鼻緒の草履の歩調を緩めて後ろを振り返った。


「どうだった、あそこからの景色は」


 ほど良い高さの声は、夜風にも似た穏やかな響きを持っていた。


「見事でした。桜が浮かび上がってくるようで」


 颯季は頬を紅潮させて、自分の見たものを次々に上げていく。その興奮する様は幼子さながら。しかし、惟織は少年を宥めることはせず、ただいとおしそうに目を細めて話を聴いていた。


「惟織さまも、ご覧になったのでは?」


 良かったな、と他人事のように言う惟織を、颯季は不思議そうに見上げた。楼閣の茶店の高欄の席まで颯季を迎えに来たのだ。湖とその畔を俯瞰ふかんした景色はきっと目にしているはず。

 しかし、あれほどの光景を目にしていながら、惟織の反応は薄かった。


「観た。だが、あまり好かないな」


 そうして傍の桜を見上げる瞳は、疎ましげ光を宿していた。


「掛け合わせとはいえ、紅の差した桜は好かない」


 颯季は主につられて、薄紅の花を見上げた。風にそよぐ目の前の桜。花ぶりは大きく、鮮やかな色のその木は、二つの種類の桜を掛け合わせて人工的に作りだしたものだという。桃のように色濃く、花は大きいがわずかにしか花を付けない品種と、卯の花のように小さく白く、多くの花を付ける品種と。

 組み合わせがよほどうまくいったのか、色も数も理想通りの見事な種の桜が生まれたわけだが。


「やはり桜は白に限る」


 力強く、惟織は断言した。主の強い拘りに、理由を知る従者はくすりと笑う。

 桜の薄紅は、根元の死体の血を吸い上げた色。そこここで語られる迷信は、実はおおよそ真実だった。昔、桜は白のみだったという。それが、あるとき血に穢れた桜が生まれ、それが紅を持つようになった。

 一度紅を持った花は、色もそのままに繁殖して拡まったので、現在においては全ての薄紅の桜が血を吸ったというわけではない。しかし、主は未だ穢れの象徴という印象が未だ拭えていないようだ。だからこそ、桜は純粋無垢な古来の色が好ましい、と口にする

 

「……そうですね」


 颯季もまた、同意の言葉を口にした。思い浮かべるのは、以前見た夜桜の庭。古い桜の真っ白な花弁は、華やかさに欠けてはいたが、闇に茫と浮かぶ様は、趣のある美しさを備えていた。

 華やかなのは素晴らしくあるが、性分ではないかもしれない。だからこそ颯季も、あちらのほうが好きなのだろう、とそう思った。



   * * *



「夕べは遅かったようだな」


 明朝。浅い眠りの所為で冴えない気分のまま勤め先へと向かった男――燈架とうかは、目的地について早々、一応頭目と仰ぐ男の苦笑いに直面した。一昔前の奉行所をそのまま利用した詰所。呼び出されて向かった、畳敷きの主の部屋、雛壇の上に臙脂袴の膝を立てて座るその人、煌利こうりは、三百眼と細長の面、平時は近寄りがたい印象を受ける。それも破顔すると一変して愛嬌すらあるのだが……寝不足に不貞腐れた今の燈架には、少しばかりそれが煩わしい。


「夜更け前には戻りましたよ」


 不機嫌さも隠すことなく、燈架は愛想なく煌利に応じた。実はこの煌利、燈架の父方の再従兄はとこである。近い血の繋がりと、ほぼ同じ年頃であることから、分家生まれの燈架は、本家生まれの煌利の遊び相手として過ごしてきた。成人した現在、燈架は煌利に仕える身ではあるのだが、子供の時分の癖が抜けず、時折こうして砕けた態度で臨んでしまうことがあった。

 戒めよう、と思ったときもあるのだが、なにぶん相手もこうして友人として気安く接してくるものだから、それができずにいる。


「では、眠れなかったか。ずいぶんと腑抜けた顔をしている」


 いくら気安く接してくれるとはいえ、それでも腑抜けとまで言われてしまうと、流石に自らが情けない。燈架は行の姿勢で頭を垂れた。因みに、今日は勤めのため、浅葱の着流しではなく袴姿だ。


「……申し訳ございません」

「良い。俺の前では気にするな。だが、その顔を他所の連中に見られたらつけこまれる。外では気を引き締めろ」


 はっ、と燈架が短く返事したところで、煌利も気安い表情を引き締め、三百眼を厳しく光らせた。


「神隠しについてだ」


 いよいよ本題と悟って、燈架は背筋を伸ばした。


「また一人見つかった。十四の男児だ。桜の木に逆さ吊りにされていたのを、未明、通りがかった男が見つけた」


 訥々とつとつと伝えられる情報に、燈架は眉を顰めた。

 見つかった男児は四日前に失踪した者と一致するというのだが、未明に見つかった遺体は、医者が見るに既に死後三日が経過しているのだそうだ。発見場所は、通りから少し外れたところにある木。この桜の盛りの時季、花見客は大勢いる。まさか三日の間、誰にも見つからずに吊るさっていたとは思えない。

 加えて、少年の死体も損傷は酷いものであったという。まるで獣になぶり殺されたような、牙と爪の痕がそこかしこ。

 話を聞き終えた時点で、燈架は口元に手を当てた。


「……まるで、見せ物ですね」

「そう思うか」


 煌利もまた、難しい顔で頷いた。

 遺体の状況を聴く限りは、獣に襲われたように思えるが、遺体の吊るさった桜の木は、湖の北岸の半分を覆う明都の只中にある。獰猛な野生の生き物が入り込むことはそうそう有り得ぬ事態だし、仮にあったとて既に騒ぎになっているはずだ。なにより、遺体を木に吊るそうという発想が多くの動物にはない。早贄という奇異な習性を持つ百舌鳥もずは、大人の片掌の大きさで、人間を吊るしようがない。

 そもそも、目立つ場所で遺体を逆さに吊るす、というあたり、自己顕示欲が垣間見えてならないではないか。

 で、あれば、犯人の正体は――


「奇特な性癖を持つ人間か、それとも妖の仕業とするのが妥当だろう」


 燈架もこれに同意した。


 妖。この世に蔓延る夜の生き物。人型、獣型と種類は様々だが、超常の力を持ち、度々人の世を掻き乱す不可思議な存在である。

 今さらであるが、燈架と煌利は、その妖から人の生活を守ることを生業とする〝妖祓い〟だ。五つある祓い屋大家のうちの一門で、煌利はその頭目である。


「それで、我々は妖の捜索ですか」

「その通りだ。所業がどうも妖に近いのでな。警察だけでなく我々妖祓いも動かすことにしたらしい」


 ということは、上からのお達しである、と燈架は察した。妖祓いは、国から仕事を請け負ってその任に着くことがままある。今回もそれなのだ。


「それに、此度もまた花の下で見つかったものだからな。〈花守〉が関わっているのではないか、と御上は色めき立っているよ」

「〈常世の庭〉ですか」


 燈架は呆れたとばかりに頭を振った。

 

「妖の領域に興味を示すなど、物好きな」


 〈常世の庭〉。それはこの現世うつしよとは異なる場所にある、妖が管理するという庭のことである。常に夜の暗がりにあるその庭は、季節を問わず様々な花が咲き乱れているという。

 そして、その〈常世の庭〉を管理するのが、〈花守〉と称される妖たちだ。彼らは古くより存在する大妖怪で、〈常世の庭〉の花を世話しているという。

 昨夜、燈架が颯季少年にした、花に血を吸わせる妖の話も、実のところ、この〈花守〉の存在が念頭にあったからだ。その世話に血が含まれるのか真偽は定かではないが、噂の一つとしてそういうものがある。

 まあ、世話の方法はさておき。


「そのようなもの、見つけたとしてどうするのです」

「さあな。俺も天上人の考えていることなど解らん。まさか〝不老不死〟など求めているわけでもあるまい」


 あらかた迷信に惑わされているのだろうが、とつまらなそうに付け加える。不老不死は〈常世の庭〉に纏わる迷信の一つだった。大妖怪が守る以上、その庭にはなにか特別な力が眠るのだろう、という卑しい人間の願望である。


「まあ、そちらは適当にやるさ。兎にも角にも悪趣味な妖を狩らねばならないという点には、相違ない。お前は下らぬことは考えず、普段通りに役目を果たせ」




 探せと言われたところで、何一つ手懸かりを持たない燈架に術などあるはずもなく。

 街に出た燈架は、団子を片手にふらふらと湖畔沿いの通りを歩いていた。天覧堂のある区画とはまた異なる街の一角。広い道の端に、良心的な価格で食い物や土産物を売る店の並ぶ、観光通り。死体が見つかった現場に程近い場所である。

 団子を一つ、口と手を使って串から抜きながら、燈架は辺りを見回した。死体が見つかったのも片したのもいずれも未明のこととはいえ、さすがに噂になっているらしい。不安そうにひそひそと言葉を交わす者がまばらに見える。これらは地元民。観光客は噂も知らず、暢気にはしゃぎ回っている。


 さて、誰なら詳しいか。見定めようとしたところに、知った影を見つけた。茶葉を売る店の軒先に佇む詰襟姿。昨日天覧堂で言葉を交わしたあの少年である。

 実のところ、本当に夜更け前に帰った燈架は、気がたかぶっていた所為でなかなか寝付けなかった。原因は、あの少年と――その主たる麗人にある。一目見て、気にせずには居られなかったのだ。

 ……と言うと、まるで懸想したかのようだが、そんな甘いものでなく。

 あの二人が並び立ったときの違和。その正体が、掴めずにいたのだ。

 もしや今なら何か掴めるかも、と考えて、燈架はその少年に声を掛けることにした。手懸かりのない妖捜しなど、つかの間保留にしたところで支障もない。


「昨日ぶりだな、坊主」


 足先を弄びながら、空を見上げてぼうっとしていた少年は、燈架に気づいて会釈した。偶然の逢瀬に目を見開いている。


「昨晩は、ご馳走さまでした」

「気にするな。菓子の一つくらい」


 律儀な礼に応えて、燈架は店の入り口を覗き込んだ。店内の薄暗がりの中、白妙に薄墨の袴姿が浮かび上がっている。


「ご主人は買い物か」


 少年はこれに頷いた。


「これからお訪ねする方への土産物だとか」

「地元の茶を?」

「僕らの道行きに、良いお茶が見つからなかったもので」


 方々から人も物も集まる明都の店なら、それなりのものが見つかるだろう、とのことらしい。看板を見れば、それなりに名の知れた店で、判断に間違いなかろうな、と得心する。


「坊主は見ないのか」

「僕はその方にお会いしたことがありませんから」


 そうか、と一つ頷いて、密かに少年の様子を観察した。会話の中で、何処となく沈んだ気配。昨日もあった。置いていかれた、と嘆いたときだ。

 どうやら此度もまた、除け者にされるらしい。それともされたのか。いずれにしても、主はこの従者を訪問先には連れていきたくはないようだ。


 ――何故だ?


 とても可愛がっている風であったのに。


「すまない、待たせたな。よく知らないものだけに、悩んでしまった」


 燈架が訝っている間に、その主は買い物を終えたらしい。包みを抱えながら暖簾のれんを潜り出てくる。そこで従者と話す燈架の存在に気がついて、動きを止めた。

 すぅ、と明るい琥珀の眼が細められ、燈架は身を強張らせた。張り詰められる緊張の糸。そろり、と左手が腰を這う。


「どちら様?」


 吐息のような誰何の声は、凍てついた響きを宿していた。燈架は返事すらできず、鋭い視線を見つめ返すことしかできなかった。


「昨日、お茶をご一緒したんです」


 そんな緊迫した雰囲気を打ち破ったのは、少年の声だった。


「お菓子をご馳走していただいて」


 敵意にも似た麗人の凄みがたちまち霧散する。は、燈架は短く息を吐いた。どうやら相手の気迫に飲まれ、呼吸すら忘れていたようだ。


「そうか。それは失礼した」


 麗人は淡く微笑んで、軽く一礼した。ああ、いや、と曖昧な答えを返し、頭を掻いて自らを宥める。


「……菓子か。なるほど、その手もあるな」

「なにがです?」

「土産だ。だが、店を知らないな」


 そんな燈架の傍らで微笑ましい会話を繰り広げる白と黒の主従。燈架はそんな二人を観察した。端から見るとなんとも理想的な主従だが、昨晩もあった違和感を今もまた抱いている。

 悪いものではないようだが、と少年に不審の目を向ける。理由を掴み切れずにいるのだが、嬉しそうに麗人と話している彼が、燈架にはとても信じられない。


「ああ、これは申し訳ない。でも良かったら、ここらで美味い菓子を売っている店を紹介してくれないだろうか。我々は明都に詳しくないんだ」

「それだったら、この通りの先の――」


 と道を指し示しかけたところで、燈架は突如空を見上げた。同じくして麗人もまた、上を見る。

 から、と小さな音。瓦の鳴る音と気づいて、燈架は店の屋根の上を見る。庇の向こうから、黒い影が燈架たちの前に落ちてきた。

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