教えてもらえたら嬉しい

 こうして。

 そのまま昼ごはんと一緒にお喋りをしたのを契機として、晴れて晴人は月島と話をする仲にまで進展した。話をするといっても、隣同士世間話をする程度のものであるが、友達づくりが苦手な晴人にしてみれば大きな進歩だったし、彼女について色々と知り得ることができるようになって、いっそう〝お近づき〟になれたように感じていた。

 と、同時に。これまで気が付かなかった彼女の不可思議さについても、ちょこちょこ目にするようになった。

 なんの脈略もなく、突然何処かへ走り出してしまったり。

 携帯についたマスコット相手になにやらぶつぶつと悪態を吐いたり。

 突然声を張り上げたと思ったら、慌てて誤魔化す仕草をしたり。

 思っていた以上に不思議な子だな、と思いはじめた頃。


 その日も、晴人は塾帰りだった。既に夏休みに入っていたが、晴人の通うコースは長期休みの間も変わらず夜に講義が行われる。

 今度は駅から徒歩十五分の距離の位置。晴人の暮らすマンションにいよいよ辿り着こうかというところに、小さな公園がある。ブランコと滑り台と、ベンチが置いてあるだけのミニマムな公園。唯一の街灯の下にぽつんと置かれたベンチに、青色の人影があった。

 運命的な遭遇に、なんとなく息をひそめて公園の縁の植え込みに身を隠す。


「もう……無理だよ、私」


 日中の暑さの残る夏の夜にもかかわらず、青い少女は寒さに凍えているかのように自らの身体を抱きしめた。


「こんな〝魔法少女〟なんて……とてもやっていられない」


 泣き出しそうな声は、紛れもなく聞きなれた月島のもので。俯いている所為で翳った顔の端に小さく光る物を見て、晴人の胸は締め付けられた。

 ――あの小さな身体に、彼女はいったいどんな重いものを抱えているのだろう?


 それからぽつぽつと、携帯を持つ手に視線を落としながら誰かと会話する月島。どうやらその声に励まされたようで、次第に顔が上を向いていき、元気を取り戻していったようだった。

 正面を向いたとき、その可愛らしい顔は決意の表情で固められていて。

 彼女はまた何か困難に立ち向かうようだった。


「僕に――」


 月島が去ってもなお、植え込みに身を隠した晴人は、言葉を漏らす。


「何か、僕にできることはないのかな」


 彼女にその自覚はないだろうが、晴人はいつも月島に励まされていた。笑顔が見れれば癒されて、言葉を交わせば心弾んで。名前を呼ばれるとなると、幸福感に満ち溢れる。

 すべて晴人の恋心あっての産物だ。だけど、晴人が受け取ってばかりであることには違いない。

 ならば、自分は彼女に何か返すべきではないだろうか。――否、返したい。少しでも彼女の力になってあげたい。

 どうすればいいのだろう、と晴人はその方法を模索し始めた。




 お盆を過ぎても暑さ和らがぬまま迎えた新学期。始業式を終え、半日で下校となった帰り際に、晴人は月島を捕まえた。一緒に帰ろう、だなんて、はじめて話しかける以上の勇気を必要とするはずなのだが、その事実に気付かないまま相手を誘い、承諾をもらう。


「僕さ、また見ちゃったんだ」


 二人連れだって通学路を行き、同じ下校途中の生徒がいなくなった頃を見計らって、晴人は本題に入った。晴人たちの通っている高校は住宅街の中に在って周囲が閑散としているから、あまり聞かれたくない話をするのにはもってこいだった。


「青色の魔法少女。あれ、やっぱり月島さんでしょ?」

「え……?」


 はじめに尋ねたときと同じように、月島は目を大きく見開いて表情を強張らせた。


「な、なんのことか、分かんないなぁ~」


 視線を斜め上にやって、へらへらと惚ける月島に、晴人は改めて確信した。


「嘘だよ。もう誤魔化されない。今度はばっちり顔を見たんだから。間違いないよ」


 ぴしり、と再び月島の表情が固まる。やってしまったとばかりに苦々しげな表情が、晴人に核心を突かれたことを物語っていた。


「安心して。誰にも言うつもりはないから」


 晴人は月島をからかいたいわけではなかった。もちろん弱味を握りたいわけでもない。ただ純粋に魔法少女として頑張る彼女を応援したかった。

 彼女が真剣なのは、夜の公園での姿を見てよく知っている。彼女なりに覚悟を持って事に臨んでいるのだ。なによりも励ましたい気持ちが先立った。


「もし、何かあったら僕に言って。何でも相談に乗るよ」

 

 そう言うと、月島は困った表情になる。それで晴人は、自分が押しつけがましいことを言ったことに気が付いた。


「ごめん。なんかちょっとストーカーじみたこと言ったかも……。でも僕は、本当にただ友だちの力になりたいってだけだから」


 だから応援しているね、と彼女の手を握りしめ――ることはできないので、そうしたつもりで力強く想いを伝えると、じゃあ僕こっちだから、と手を振って曲がり角を折れ、晴人は月島と別れた。

 少し怯えさせてしまったか、と申し訳なく思うと同時に、どこか高揚した気分を抱えていた。秘密の共有という甘美な響き。そして自分は彼女の味方であるという自負。なにより自分が好きな子の役に立つことができるかもしれないということそれ自体が、とても嬉しい。


 ――そういえば、魔法少女のが具体的にどういうものなのか、訊いていなかった。

 思った以上にいっぱいいっぱいだったんだな、ということに今更気付く。とにかく自分が知ったことを伝えたくて、そちらにばかり意識を向けていた。

 まあ、でもそれはまた、あとで聞いてみればいいし。


「イベントとか何処かで発表があったとき、教えてもらえたら嬉しいなぁ」


 舞台でのショーなのか、それとも撮影をしているのか、晴人はそこまでは判らなかったけれど、あれだけの大立ち回りをしているのだから、きっと何かしらの方法で公開するときがあるはずだ。

 そのときに真っ先に教えてもらえたりしたら最高だな、なんてそんなことを考えたりするのだった。



  ☆ ★ ☆



 晴人が立ち去った交差点。一方的な晴人の宣言に頭が真っ白になってしまった月島は、晴人が道向こうに消えたのを見てようやく立ち直った。頭を抱え、重々しい溜息を吐く。


「どうして獅童くんにバレたんだろう……」


 疲れた表情でそう呟いた次の瞬間には、投げ飛ばさんばかりに携帯を持つ手を振り上げて頭上に掲げた。ぷらん、と左下にぶら下がったストラップが揺れる。


「ていうか、全然気が付かなかったの? 獅童くんに見られていること」


 恨みがましい声で、月島は目の前にぶら下げた携帯のストラップ――黒色のボサボサな犬のぬいぐるみを睨め付けた。


「ただの人間に、そこまで気を遣うはずがなかろう」


 周囲に誰もいないはずなのに、月島の言葉に応える声。(月島以外の)女性なら腰が砕けてしまいそうな良質のバリトンボイスを響かせるのは、なんと今月島が絞め殺さんばかりに握りしめている犬のぬいぐるみである。スピーカーが入っているわけではない。実はこれ、ぬいぐるみに擬態した犬の姿の使なのだ。

 月島万結羅。十五歳(早生まれ)。晴人の予想を裏切って、魔法少女をやっていた。


「あるの! むしろそっちのほうが重要なの!」


 月島は、だん、と幼児のようにローファーを踏み鳴らした。このマスコットと会話している時点で周囲に人がいないのは確認済。憚る人目もないので、思うままに振る舞っている。


「ああ、もう恥ずかしいぃ……。高校生になって魔法少女とか、端から見たら、ただのイタイ子だよ……」

「いざとなったら、〝こすぷれ〟と言い張って逃げれば良かろう」

「それはそれで恥ずかしいの!」


 まさか晴人が本当にそう思っているとは知らず、月島は目の端に若干の涙を浮かべてもう一度犬のぬいぐるみを睨み付けた。

 ふん、と使い魔は鼻を鳴らす。自分でその服を選んだのだろうに、と。それは本当のことなので、ぐぅの音も出ない。

 月島はよろよろと道の端に寄ると、電柱に片手をついて項垂れた。


「しかも、よりによって、獅童くんにバレるなんて……もう学校に行けない……」


 なんていっても同じクラス。そして、席が隣同士なのである。隣の人間が「あいつ魔法少女やってるんだぜ」なんて思っていると思うだけで、とても居たたまれない。せっかく表向きは普通に楽しんでいた高校生が、これで一転、針の筵――否、釜茹での刑に等しい。羞恥で頭の中が煮立ってしまいそうだ。

 これから来るであろう日常に悶える月島に、無情な声が落とされる。


「行けよ?」

「行きますよ! 少し黙って、この元凶ぉ!」


 半ばヒステリックに声を上げて携帯のストラップをぶんぶんと振り回すことで、なんとかストレスを発散させると、むむむ、と顎に手を当てて考え込んだ。


「……とにかく、明日からどうやって獅童くんと接すればいいのか、考えなきゃ」

「……別にこれと言って、考える必要もないと思うが」


 懲りずに突っ込む使い魔に悪態を吐きながら、月島もようやく家へと向かって歩き出す。



 晴人と月島。互いに微妙なすれ違いをしてはいるものの、普段より少し色をつけた新学期が幕を開けた。

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