きみの嘘、僕の恋心――Feb.

まさかとは思ったんだけど

 それは、満月の夜だった。

 塾の勉強に頭を悩ませ、疲労困憊になった晴人はるとは、活力を入れるために帰りに本屋に寄り、望むものを手に入れてほくほくとした気分で帰路に着いていた。夜でもカラスが鳴くほどに明るい駅前の繁華街から道を三本入ってしまうと、そこはもう街灯の明かりだけの暗い道。駅前との温度差は、通い慣れた者であっても不安を覚えるほどである。

 そんな道を足早に通りすぎようとした、午後九時。交差点に差し掛かり、律儀に赤信号に足を止めたその時だった。


「もう、いい加減にしてよね!」


 信号だけが機能して、自動車が一台も通らない車道に、突如水色の影が現れた。

 ふわりとした肩までの長い髪。ふんわりと揺れる、ペチコートの入った水色のスカート。白いブラウスの上、胴体回りに飾り用の青いコルセット。胸の上で揺れる大きな白いレースのリボンに、スカートと同じ色のケープ。青系色のロリータファッション。

 かつん、と銀色の靴がアスファルトを叩くと、その水色の少女は跳躍し、一つ向こうの交差点から、ホップ、ステップ、ジャンプで晴人の正面に下り立った。

 どうやら背後に気を取られていたようで、彼女がこちらを見ることはなかったが。


「え……?」


 焦りと苛立ちを浮かべた横顔に、驚きのあまり晴人は目を瞠った。

 高校一年生の晴人と同じ年頃。けれど、小柄で少し幼くも見える可愛らしい顔立ちに見覚えがあった。


「待ちな!」


 逃げる少女を追いかけるドスの効いた女の声と、走り抜ける閃光、そして遅れて走り抜けるパンキッシュな女を茫然と見送って。

 雷のように衝撃的に駆け抜けていった一幕に立ち竦んだ晴人は、


月島つきしまさん……?」


 道向こうの暗がりに消えていった水色の少女の名前を呟いた。



  ☆ ★ ☆



 月島万結羅まゆら。明日川高校に通う一年生で、獅童晴人の隣の席の女の子。背は小さく、クラスメイト全員を背の順で並ばせれば一番前。目は大きなアーモンド型。鼻筋は日本人にしては高め。唇はふっくらピンク色。化粧もしていないのに肌は白く、頬は薄く色づいている。肩までの黒髪は自然に下ろし、七三に分けた前髪の長いほうを小さな石の嵌まったピンで止めている。一言でザクッとまとめてしまうと、アニメの主人公をやっていそうな、とても可愛い女の子だ。

 そんな月島のことを、この春からずっと晴人は気にしていた。気にならないはずがない。人目を気にして引っ込みがちな晴人には、可愛くて穏やかで優しそうな子がど真ん中ストライク。派手だったり、勝ち気な女の子なんて、用事があっても近寄ることなんてできません。

 ……でも、好みのタイプであったとしても、話しかける勇気は晴人にはなく。今日までの三ヶ月間は、授業中に彼女の横顔を盗み見るのが関の山だった。

 だけど今日、会話の糸口を掴んだ晴人は、決意を固めて昼休みに月島に突撃する。


「あの……月島さん。ちょっと訊いていいかな」


 本人にしてみれば〝突撃〟、周囲にしてみれば〝おずおずと〟。それだけの控えめな勇気をもって晴人は隣の席に声を掛ける。

 いつも一緒の友人が病欠の所為で、一人きりの弁当を開けた月島がこちらを向いた。


「なあに? 獅童くん」


 きょとんと首を傾げつつ笑いかけてくれる。晴人はこれだけで満足しそうになった。けれど、折角の機会を無駄になんてできなくて、気を取り直して質問を続ける。


「昨日の夜、月島さん、駅周辺に居なかった? 夜の九時ごろなんだけど」

「…………え?」


 途端、月島は目を瞠って固まった。心なしか、若干の警戒心を向けられているような気もして、浮かれた一転、晴人は泣きそうになった。昨日見た青いロリータが本当に月島だったのか、その自信をなくしてしまう。


「……行ってない、よ」


 硬直から溶けた月島は、視線を逸らしながら噛み締めるように一度そう言って、


「うん、行ってない。その時間は家にいるし」


 妙にこちらをじっと見つめて、言い聞かせるように頷いた。ぎゅむぎゅむぎゅむ、と机に入った携帯にぶら下がった犬のマスコットが、両方の親指でもみくちゃにされている。


「……どうして?」


 何故そんなことを言い出したのか、と尋ねてくる。


「昨日、月島さんによく似た人を見かけて……」

「駅の辺りで?」

「うん、繁華街からちょっと離れたところ。アリスみたいな格好をしてたから、まさかとは思ったんだけどさ……」

「……アリス? 〝不思議の国のアリス〟?」

「いや、そっちじゃなくて。〈ピュリメイ〉のアクアのアリス――って、あ……」


 と、自分の失言に気付いて、晴人はさっきまで別の冷や汗を掻いた。

〈ピュリメイ〉――正しくは〈ピュリファイ・メイガス〉は、悪を倒して世界を浄化するのを使命とした魔法少女アニメだ。対象は小学生低学年の女児向け。なので、普通の高校生が詳しいはずがない。仮に知っていたとしても、晴人がオタクがバレてしまって、結局よろしくない。オタクは女子に醒めた目で見られるのが運命であるのだから。

 しかも、〝魔法少女みたいな格好をしていたのが気になって月島に話しかけた〟なんて知られたら……どんな目で見られるのか。想像するだけで恐ろしい。

 しかし予想に反して、月島は晴人を気味悪がることなく話題についてきた。


「ああ、〈ピュリメイ〉の。今やってるのは〈エレメンタラー〉、だっけ?」


 弾んだ声が返ってくる。心なしか目も輝かいているようだった。


「そう。月島さん知ってるの?」

「実は結構ああいうの好きで。〈スターリィ〉までは見てたんだ」


 やはり恥ずかしいのか、えへへ、と躊躇いがちに笑う。はにかむような表情が晴人の目を引いた。いや、それだけじゃない。オタクとばれてもドン引きされなかったどころか、もしかすると共通の話題ができてしまった。

 しかし、そんな晴人の心と裏腹に、月島は浮かない表情になってしまった。


「……まあ、今年のはちょっと、見るのをやめちゃってるから、〈エレメンタラー〉知らないんだけどね」

「どうして? 〈スターリィ〉からまた元の王道に戻っていい感じなのに」

「……その」


 視線がすっと逸れて、斜め下に向かった。はぁ、と何故か肩を落としている。


「……いろいろ、居たたまれなくなっちゃって」

「そ、そっか……」


 やはり子供向けアニメの話題なんて振らなければ良かったかな、と後悔する。結局好きで止められなかったとはいえ、その恥ずかしさは晴人にも覚えがあった。周囲の反応を考えてしまうと、どうしても割り切って堂々とすることはできないものだ。


「あ、だから、人違い、だよ? いくら人気がない暗いところだといったって、そんなヒラヒラした格好で飛び回る勇気なんて、私にないし!」

「あ……うん、そうだよね。きっと人違いだ。ごめんね、変なこと言って」

「ううん。気にしないで。ところで獅童くんは、どうしてそんな遅くにそこにいたの?」

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