2-16 夢の残滓に身を焦がされて

 私が何かをした覚えはないのに、アキ君は確かにヤエの名前を挙げた。


「えっと……どうして、そこでヤエ様の名前が出てくるんですか?」


「頑張り屋だからね」


 端的に。

 アキ君は十文字にも至らない言葉で言い表した。


「……それだけ、ですか?」


「それだけだよ。でも、頑張り続けることって、やっぱりすごいことだと思わない?」


 やっぱり分からなくて、私は首を傾げた。


 夢のために頑張り続けるのは当たり前だと思う。

 だって、自分の叶えたいことだもん。

 頑張り続けるのは、当然じゃないの?


 目を瞬かせる。

 アキ君は、そんな私から視線を上げて、真っすぐ前を見据えた。

 雨の降る街並みが、私たちの前に広がっている。

 ざあざあと、うるさいほどの雨量が地面を叩くのに反し、アキ君の口調はおだやかだった。


「……ヤエ様は、たぶん努力するのが当たり前だって思ってるんだろうね」


「へ……?」


 その通りだ。

 直球過ぎて、一瞬だけ「私の正体がバレちゃった?」と思っちゃったよ。

 けれど、違ったらしい。


「……努力できるのは当たり前のことなんかじゃないんだよ。痛いことや苦しいことも知らなきゃいけない。夢ばかり見ているだけじゃ、きっと夢は叶えられないから」


「……そうですね」


 私も、ずっと苦しかったことがある。


 炎上した時もそうだった。

 誰にも必要とされてないって思い込んで、何をやっても無駄だって思ったこともある。


 使い道のないガラクタを持っていても意味のないこと。

 なら、配信だってやらなくていいんじゃないかな。

 なんて、投げやりな気持ちを持ったことだってある。


 夢を追うのは辛い。苦しい。

 現実を見るほどに、辛いものがたくさん見えてくるから。

 その苦しみから抜け出すには、逃げるしかなかった。

 Vtuberを辞めよう、って初めて思ったのはその時だ。


 でも、私がVtuberを辞めずに続けてこられたのは――。


「だから、夢を追い続けられるのは本当にすごいことなんだよ」


 こうして、目の前で楽しそうに話してくれるアキ君がいるからだ。

 ううん、アキ君だけじゃない。

 ほかのヤエらーが、たくさん応援してくれた。

 だから、もっと頑張って、みんなの期待に応えようって思ったんだ。


 私にはファンがいたから乗り越えられた。

 けれど、なゆちゃんはそうじゃない。


 私となゆちゃんのチャンネル登録者数は、全然違うから。


 私たちは、いろんなところで違う。

 夢や、進むべき道は一緒のはずなのに……。


 胸の辺りが、ぎゅぅと指で抓られたみたいに締め付けられる。

 手の届かないところが痛くなって、もどかしさに胸の辺りで手を握った。


 唇を噛んでいると、アキ君が「僕もね……」と話し出した。

 顔を上げて、彼の言葉に耳を傾ける。


 優しい口調が、私に何かを伝えようとしているのだとなんとなく察していた。 


「僕にも……叶えたい夢があるんだよ」


「……そう、だったんですね」


「うん。だけど、何をやっても上手くいかないことばかり。必死になって頑張ってみているけど、誰にも認められなくてさ」


 前髪をくしゃり、と握り潰しながら、アキ君は目を伏せて話す。

 彼の心が、叫びを上げて、言葉になって震えているかのようだった。


「僕なんかが叶えるなんて無理じゃないかな、って思う時もあるよ。諦めた方がいいんじゃないかなってさ……」


 夢を諦めるのは簡単だ。


 学校やバイトみたいに、『やめる』って手続きをしなくても、自分の意思一つですぐに変えられてしまう。


 けれど、夢を諦めた後が一番大変だと思うんだ。

 いつまでも、夢を持っていた熱意が胸に残ってしまうから。


 夢という残滓が身を焦がし、怨霊のように、いつまでも胸の中に憑りついて放さない。


 アキ君の表情は、そんな辛さで滲んでいるように見えた。

 だけど――。


「でもね、そんなとき、ヤエ様の姿が思い浮かぶんだ」


 苦しそうな表情から一変。

 明るい笑みを浮かべたアキ君は、柔らかな口調で話し出した。


「僕よりも、ヤエ様の方がずっと頑張ってるからさ。夢を諦めそうになった時、逃げようとする身体を鞭打つんだ。『お前は、ヤエ様よりも頑張れないのか?』ってさ」


 推しが頑張っているから、もっと頑張ろうとしているってこと?


 それじゃあ、アキ君が身体を壊しちゃうんじゃないかな?

 私には私のできる範囲でやってるだけ。

 頑張っているんじゃない。

 当たり前のことをやっているだけ。


 無理はしないでほしい。

 身体を壊したりしたら、私は――。


 けれど……。


「ヤエ様を見ているとね、もっともっと、頑張ろうって思えてくるんだ。ヤエ様のことが大好きだから、あの子に相応しくなりたい。夢を叶えて、堂々と背筋を伸ばせるようにね」


 ――そんなに。


 そんなに、眩しい顔で言われたら、私は何も言えなくなっちゃうよ……。


「……アキ君は、その夢を叶えることが本当に大事なんですね」


「うん、大事だよ。僕は、その夢を叶えるために生きてるって言っても、過言じゃないくらいに」


 普段はほわほわとした雰囲気を漂わせているアキ君。

 しかし、夢を語るこの瞬間だけは、熱く揺らぐ炎をその瞳に宿しているような気がした。


 その時、私はオフコラボの日のことを思い出した。

 寝る前、なゆちゃんが自分の魅力を訊ねてきた時も、アキ君と同じような口調をしていたんだ。


 ――夢を語る時は、誰でも熱くなる。


 目の前のアキ君が、あの時のなゆちゃんの姿と重なる。


 部屋は真っ暗だった。

 表情は見えなかった。

 けれど。


 なゆちゃんの口調から感じた、夢への熱意は私の胸にしっかりと刻まれている。


「……やっぱり、こんなことで夢を諦めるなんて、おかしいよ……」


 どうしても叶えたいっていう思いを持って、Vtuberをしていたんじゃないの?

 頑張れないって言いながら、Vtuberを続けてきた理由って何?

 言い出せないだけで、本当はナユちゃんだって――。


「私と同じくらい、夢を叶えたいって気持ちに溢れていたはずなのに……ッ!」


 なゆちゃんのことを思うと、涙が滲んできた。


 やっぱり、こんなことで諦めちゃいけないんだ。

 なゆちゃんは、夢を叶えるべきだ!


「弓削さん……?」


 アキ君が、心配そうに私の肩に手を置いた。

 滲んできた涙を手の甲で払って、首を振った。


「……何でも、ないです。でも、ありがとうございます。おかげで、私がやるべきことが見えてきました」


 いつも優しくて、私のことを応援してくれる大切なリスナー。

 彼に向けて、私は笑顔を向けた。


「ッ……」


 その時、アキ君の表情が固まったように見えた。

 そして、徐々に顔が赤くなっていく。


「え、えっと……どうかしましたか?」


「あ、ああ、いや、何でもないよ? あはは……」


 頬を掻いてから、アキ君は「弓削さんの役に立てたなら、嬉しいよ」と言ってくれた。

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