2-15 励ましの言葉は難しい
「凜々花が辞めるなんて言ったら、意味がないだろ!」
「なゆちゃんが辞めないなら、辞めない。けど、なゆちゃんが辞めてまで続ける夢に価値なんてないよ」
なゆちゃんの顔を、真下から見上げた。
どんどんと、彼女の表情は険しくなってしまう。
「違う……あたしは、凜々花にVtuberを辞めてほしくて言ったわけじゃないって……!」
「なゆちゃんが辞めることのどこが私のためなの? 私のためを思うなら、ずっと傍にいて! これからも、私と一緒に――」
「だから、あたしは――いつか、あたしと同じように、凜々花を傷つけたくないんだよッ!!」
私はなゆちゃんに両肩を掴まれ、引きはがされた。
「あたしへの批判が、そのうち凜々花に行くかもしれねぇんだぞ……もし、また凜々花が傷つくことになったら、あたしは……」
「また」……その言葉が意味するのは、きっと一年前に炎上した出来事だ。
辛い思いをした私に、なゆちゃんだけが寄り添ってくれた。
あの時のことは忘れていない。
だからこそ、これからも傍にいたいって思っていた。
「……炎上なら、もう大丈夫だよ。なゆちゃんが気にしなくても……」
「気にするに決まってるだろ。あの時のお前だって、Vtuberを辞めようとしていたくせに……!」
「ッ……」
アンチコメントが湧いて、私はデビューして間もないのに辞めようって思ったことがあった。
自分は、誰にも必要とされてないって感じたから。
炎上してまで、どうして続けないといけないんだってずっと思っていた。
騒ぎが落ち着いてからも、私はその時の出来事を引きずっていた。
もっと頑張らないと。
もっと配信も歌も、上手にならないと。
そんな気持ちに心を締め付けられていくうちに、私はリスナーの姿も見えなくなっていた。
なゆちゃんも、きっと同じ状況。
私は、それを忘れてなゆちゃんに「もっと頑張れ」って言おうとしていたのか。
あの時の私だって、もう配信なんてしたくない!って思っていたのに。
私は、なゆちゃんの気持ちをちゃんと考えられていなかったんだ……。
「……とにかく、凜々花。お前は続けてくれ」
なゆちゃんは私の肩から手を放して、背を向けた。
教室の扉を開いて、廊下へと出て行く。
遠ざかっていく足音に、私は反論の言葉すらも見失って口を噤んだ。
***
なゆちゃんを引き留める方法が分からないまま、三十分ほど経過した。
迷っているうちに、あれほど私の目を焼いた夕日は分厚い雲に隠れてしまった。
墨を塗りたくった雲が、夕日で赤くなった空を覆いつくす。
やがて、その暗い色に似つかわしくない透明な雫がパラパラと落ちてきた。
冷たい雨が、頬を濡らす。
校門の前に立ち尽くし、私は空を見上げた。
「……どうしよう」
ふと呟いた言葉は、傘を持っていないことに対してなのか、それともなゆちゃんとのこれからについてなのか、私には判別できなかった。
けれど、この雨は乾ききった心を少しは潤してくれるのかも。
砂漠に水が沁み込むように。
この心も、何とかしてくれないかな……。
「……弓削さん?」
傘も差さずに歩き出そうとしたその時、後ろからアキ君に声を掛けられた。
「あ、アキ君……? もう帰ったはずじゃ……」
「図書室に寄ってたんだよ。高校って、ラノベがたくさん置いてあるからね。僕の中学にはなかったし」
いつもの楽しそうな笑顔を浮かべるアキ君。
彼の鞄はいつも重そうだ。
多分、中に本が……主にラノベが、ぎっしりと詰まっているのだろう。
「それで、弓削さん。傘はないの?」
「は、はい……でも、走って帰ればいいかなって」
「ダメだよ! 濡れたら風邪引くよ?」
アキ君はうーん、と腕を組んで何やら思案中。
やがて、結審したのか「よし」と声に出してこちらを見下ろしてきた。
「弓削さん、この傘使ってよ」
持っていた傘を私に差し出しながら、アキ君はそんなことを言いだす。
「で、でも、それだとアキ君が……」
「僕は大丈夫! それに、この程度の雨ならあまり濡れなさそうだし……」
なんて話していたのがフラグだったのか。
ザァアァァ……。
と、雨脚が強くなってきた。
「……かなり濡れますね、これ」
「あ、あはは……でも、走ればなんとか……」
「絶対にならないですって!」
走り出そうとするアキ君の裾を必死に掴んで引き留める。
うっ、なんで身体が細いのに意外と力が強いの?
「じゃ、じゃあ……こうしましょう」
雨が降っているにも関わらず外へ飛び出していきそうな犬のようなアキ君を引き留めて、私は提案する。
「い、一緒に傘に入りましょう。そうすれば……」
「そ、それって……」
「か、勘違いしないでくださいねっ!? あ、あくまで、仕方なく、です……お互いに濡れないためにも……」
「そ、そうだよね! ……じ、じゃあ、弓削さんがいいなら……お邪魔します……」
私が受け取っていた傘の中に、アキ君が入ってくる。
清潔そうな、石鹸の香りが漂ってきた。
それに、意外と男らしい体温まで感じられた。
「……それじゃあ、行こうか。弓削さんの家まで送るよ」
なんて言って、さりげなく傘を持ってくれるアキ君。
隣に立つことで、意外と身長が高いことに気づく。
私が少しでも雨に濡れないようにするためか、傘を低く持ってくれている。
そのせいで、彼の頭が傘の骨組みにぶつかっていた。
恥ずかしくて、少し距離を取ろうとした。
けれど、離れると濡れてしまう。
アキ君が気づいて近づいてきて、肩が触れ合った。
どうしても、離れることは出来ないらしい。
そんな彼の顔を見れなくて、つい雨に濡れる路面ばかり見下ろしていた。
……雨だから、少し肌寒い。
そのはずなのに、顔がじわりと熱くなるのは、なんでだろう……。
「ねえ。弓削さんはどうしてこの時間まで残ってたの?」
並んで歩きながら、アキ君が訊ねてきた。
「……少し、色々とあって」
アキ君が首を傾げる。
私のリスナーである彼に、本当のことは言えない。
必死に頭の中から、言葉を探す。
真実の部分は隠しながらも、意味だけは繋がるように、ガラクタの言葉を繋ぎ合わせてみた。
「……その、友達と喧嘩、みたいなところでしょうか……」
ぽちゃり、と雨に濡れた路面に靴を鳴らしながら、私は大事な部分を隠しながらも説明した。
ある程度の説明が終わったところで、私は小さく息を吐く。
「……私、どうすればよかったんでしょう? 夢を追うのが辛いってこと、ちゃんと分かっていたはずなのに」
夢は、追いかけるほどに辛くなっていく。
自分には到底越えられないだろう壁が目の前に現れてしまうから。
それでも、叶えた人がいるのも事実。
叶えるためには、諦めちゃダメだ。
頭では理解できる。
辛いことも苦しいことも、我慢して努力するべきだって。
でも、頑張るのが辛くなることだってあるんだ。
辛くて泣いているような人に、「頑張れ」って言うのは、あまりにも無責任すぎる。
私は、無意識のうちにそれをしてしまった。
なゆちゃんを励ますつもりで、傷つけちゃったんだ。
「……友達を傷つけるなんて、友達失格ですね。私に彼女を引き留める権利なんて、きっとないんですよ……」
「それは、違うよ」
つと、アキ君が立ち止まった。
隣から、私を見下ろす優しい瞳。
視線が合うと、彼は柔和な笑みを浮かべた。
「夢を叶えるのは、一人じゃダメなんだよ。誰かが支えてくれたり、逃げようとする身体を鞭打ってくれたりしてくれるから、夢を追い続けられるんだ」
それって、辛いと思っていても走れって言っているようなものじゃないか。
疲れ切った馬に、さらに走れって命令するような横暴さ。傲慢さ。
優しいアキ君が言うとは思えない台詞に困惑する。
「……どうして、そんなことが言えるんですか?」
疑問に思った私に、逡巡しながらも彼は答えてくれた。
「だって――僕もそうやって、ヤエ様に力を貰ったから」
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