2-8 努力ができるのはね……
配信を無事に終えると、私たちは鍋の片づけをした。
あ、イナゴの佃煮はちゃんと食べた。
見た目はグロテスクだけど、ちゃんと美味しかった。本当に料理が得意だったみたい。
い、いや、疑ってないけどね!?
今日はなゆちゃんがこのまま泊まる予定だったので、私が配信機材を片付けている間にお風呂に入ってもらうことに。
お風呂から湿った髪をピンクのバスタオルで拭きながらなゆちゃんが戻ってきたのは、配信機材を全部片づけ終えた頃のことだった。
「風呂、サンキューな。でも、凜々花のママは……」
「ママ……?」
「ッ! お、お母さんは今日はいねぇのか?」
なゆちゃんが顔を赤くして、咄嗟に今の言葉を誤魔化そうとした。
へぇ……見た目と違って、家ではママって呼んでるんだぁ。
「な、何だよ……」
「いやぁ、なゆちゃんって可愛いところがあるんだなぁって知ることができて、私嬉しいよ」
「忘れろ。でなきゃ『耳』で殴るぞ」
「ぎゃああっ! 私の黒いお耳ぃいい!!」
机の上に置いていたASMRマイクの箱を手に鋭い目つきを向けてくるなゆちゃん。
それ、お高いマイクぅうう!
「わ、忘れるから、それは一旦置いておこうか!?」
「……ふんっ。次に言いやがったら承知しねぇからな」
なゆちゃんの目は、軽く人を数人は殺ってそうだった。
うん、これ以上からかうのはやめておこう。
「んで、結局お母さんはどうしたんだ?」
「いつも通り、仕事だよ」
「……なんか、家に来るとき、いつも仕事してないか?」
「うーん、まあね」
お父さんがいないから、お母さんが一人で働くしかないんだよね。
「私も、高校生になったらバイトするって言ったんだけどね、お母さんが「夢を叶えるのに集中していればいい」って言ってくれたんだよ。だから、絶対に夢を叶えたいんだ」
声優の養成所だって、タダで通えるわけじゃない。年間で数十万かかってしまう。自分で働いたことがないから分からないけれど、きっとそのお金を捻出するのは大変なはず。
「……お母さんが期待して、応援してくれるから頑張りたいんだぁ」
「……そっか。ま、凜々花なら夢も叶えられるだろ」
「うん。叶えるよ、絶対に」
「っ……」
なゆちゃんは目を瞬かせた。
「どうかした?」
「……いや、よくそんなに自信満々に言えるなぁって思ってさ」
「自信はなかったよ。その自信をくれたのは、ヤエらーのみんな。それと、なゆちゃんも」
「あたし?」
小首を傾げるなゆちゃん。自覚がないのかもしれない。でも、私はなゆちゃんに前を向くきっかけを確かに貰った。
「なゆちゃんがオフ会に行けって言ってくれなかったら、きっと私は変わらないままだったもん。だから、なゆちゃんにも勇気をもらっているんだよ?」
「……ああ、そういうことか」
淡泊な口調で呟いて、ついと視線を逸らす。なゆちゃんの白い頬が赤くなっていた。
やっぱり、可愛いところがあるなぁ。
「えへへ。だから、ありがとうね?」
「べ、別にお礼を言われるようなことはしてねーっての。あたしは、当たり前のことを言ったまでだし」
「当たり前のこと?」
「凜々花は誰よりも頑張ってる。毎日配信して、リスナーのために身体を張ってさ。あたしには、そんなことできねぇよ。飽き性だし、毎日頑張るなんてできない」
なゆちゃんが毎日配信していないことを想いだす。配信数が少なくて、彼女のチャンネル登録者も少ない。
チャンネル登録者数は、目に見える「実力」として現実を突き付けてくる。
もっと伸びたい。
もっと上に上り詰めたい。
そんな気持ちをいくら抱えてみても、頑張らないと始まらない。
それこそ、毎日配信して、観てくれる人のために努力をしなくちゃいけない。たとえ、結果が出なくても頑張り続けないといけない。
「……あたしには、無理だな」
なゆちゃんは笑って、首を振る。
困ったような、苦しいような、そんな笑い方。
「凜々花みたいに、あたしは頑張れない。結果が出ないって思っちゃうと……なんでこれをやるんだろう? って、考えちまうんだ」
「……うん。分かるよ」
私も、初めの頃はそうだった。
どれだけ頑張っても結果が出ない日々の連続だった。
観てくれる人の数を数えて、記録して。
落ちていたらダメなところを洗い出して。
反省して、次に生かす。
何度も何度も。
何度も何度も何度も――。
失敗を繰り返して、形にしていく。
熱した鉄を、思い通りの形に変えていくように。
その工程を「辛いから」って諦めたくなる気持ちもあった。どれだけ頑張っても、思い通りにはいかなくて、辛い思いをすることだってたくさん……。
それでも、頑張ってこられたのは……。
「――だから、ファンがいるんだよ」
「え……?」
「たった一人でもいい。観てくれる人がいるってことを、ちゃんと覚えておくんだよ。私がVtuberとして存在する意味は、その一人の人に応援してもらうこと。それだけでいいんだよ。何も難しい話じゃないんだよ。努力することは」
「……でも、応援してくれる人なんて、そう簡単に見つからねぇだろ。あたしなんて、誰も見てくれねぇし、待ってるやつもいねぇって」
「私がいるよ」
「ッ……」
なゆちゃんは、顔を上げて私と目を合わせてくれた。
いつも強気で、それでいて優しい瞳。
なゆちゃんは、いつも私に力強く、元気をくれる。
だから、今は私が元気を与えるんだ。
相方として。
友達として。
応援したい推しとして――。
「私は、応援してる。だから、落ち込まなくていいんだよ?」
チャンネル登録者なんて気にしなくていい。たくさんの人に観られていなくても、落ち込まないで。
たった一人、私のためにVtuberでいて――。
私の思いは傲慢だ。
自分が優しいつもりになって、それを押し付けているだけに過ぎない。
それでも……。
「……ああ、分かったよ」
なゆちゃんは、笑ってくれた。
「じゃ、凜々花のためにあたしも頑張ってみるよ」
「うんっ。それで、一緒に声優になろうね?」
私は小指を立てた手を差し出した。なゆちゃんは笑って頷くと。
「ああ、もちろん」
小指を絡め合わせた。
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