2-5 ASMRの裏側!

 電話から数日後の金曜日、本当にASMRマイクが届いた。


 梱包された箱を開けてみると、耳の形をした黒いマイクが発泡スチロールに入れられたまま姿を現した。


「ほ、本当にASMRマイクだ……」


 しかも、ちょっとお高めの黒いお耳。

 調べてみると、三十万以上するらしい。

 高校生の私じゃ、到底買えるはずのない金額のマイクだ。


「うぅ、手が震えちゃう……」


 高級なマイクを前に、私のチキンハートは鳴りやまないビートを激しく打ち鳴らしていた。

 ごくり、と唾を飲んでからおずおずとASMRマイクに手を伸ばす。発泡スチロールから取り出すと、ずしりとした重さが手に伝わって来た。

 耳はシリコンで出来ていて、つるつるした感触があった。マイクはその耳の奥に内蔵されている。


 持ち上げたマイクを、慎重に床へ下ろした。マイクの他に入っていたケーブルを取り出して、さっそくパソコンへと繋いでみる。どんな風になるのかな……。


 三十分ほどして、ようやくパソコンに繋げられた。パソコンに強い人ならすぐに繋げられるだろうけど、私には無理だ。


 さて、それじゃあ、実際にASMRをしてみよう!


 今日のために、ASMRに使う耳かきや綿棒も用意していた。ASMRを配信している人の中には、耳かきをコレクションのように集めている人もいるらしい。耳かきによって音も変わるみたいなので、色々試したいところだ。


「よしっ、やってやるぞ~……っと、その前にヘッドホンしなくちゃ」


 一人で呟きながら、ピンク色のヘッドホンを着ける。私のヘッドホンはゲーミング用で、細かい音もかなり聞こえる。ASMRを聞くにも最適の代物だ。


 なので、ASMRマイクのスイッチを入れてみて、驚いた。


「っ……!」


 軽く触れただけでも、耳の中を音が駆け巡る。マイクに伝わる僅かな振動すら、ガサガサという雑音に変わって耳に届いた。

 実際に配信をするときには、本当に気を付けないといけないだろう。もし、配信中にマイクを落としたりなんてしたら……密林アマゾンで鼓膜を買わなきゃいけなくなる。


「うぅ、そう考えるとプレッシャーが増してきちゃった……」


 私のチキンハートが再加速。手の震えもスマホのバイブ並みに加速する!


「お、おお、落ち着きましょう、私。大丈夫。私ならできる……できる……」


 自分に言い聞かせるようにつぶやきながら、そっとシリコンで出来た耳に触れる。


 ――ザワッ。


「く……っ!」


 少し触れただけでも、耳元に感触があった。耳の溝から穴へと指先を移動。なぞるように触れていくと、ヘッドホンの中でも何かに触れられるような感触が伝わって来た。


 こ、これがASMR……!


「でも、どうしてこんなに触られるような感触で音が伝わってくるんだろう?」


 スマホでちょっと調べてみる。


 ……脳にある聴覚と触覚を感じる場所が近く、ASMRを聞くと触覚も刺激されて、まるで触られているように感じる……らしい。


 ASMRにそんな原理があるなんて知らなかった。「へぇ……」と小さく呟くと、ASMRマイクが私の声を拾って耳元で小さく響く。


 うっ……自分の声を自分で聞くのは、まだ恥ずかしい……。


 けれど、ASMR中は囁くこともあるし、自分の声に慣れないといけないかも。


 スマホをゆっくりとベッドの上に置き、改めてマイクに向き直る。

 よしっ、と気合を込めてから、床に置いた耳かき棒を手に取った。


 竹で出来た細長い棒を耳の穴へと突っ込んでみる。


 ゴッ!


「ぐへっ⁉」


 つ、強く突っ込みすぎた……。

 耳の中で竹槍に突かれたのかっていうぐらい強い刺激が走る。全然心地よくない。むしろ痛い。


「ゆ、ゆっくりやらないと……」


 気を取り直して、もう一度耳かき棒を耳の穴へと入れてみる。ゆっくり挿入しながら、耳の壁を軽くなぞる。


 ゴソッ……ゴソッ……。


「おぉ……」


 今度は、ちゃんと耳かき棒で耳に触れられる感触があった。ただ、少しだけ力が弱いかな?

 指先に力を込めて、刺激を少しだけ強くする。


 うーん、ちょっと強すぎた。指先の感覚でやらないといけないので、なかなか難しい。私もASMRを聞くことはあるけれど、みんなと同じような音は出ていない気がする。


 うーん、みんなはどうやってあんな音を出しているんだろう?


 調べてみたけど、それらしい記事はなかった。Youtubeで、実際にやっている人の動画を観てマネしてみるのが一番かもしれない。


 Youtubeを開き、実写でASMRを撮影している人の動画を観てみることにした。今まではVtuberのASMR配信ばかり見ていた。けれど、こうして実写で観てみると、興味深いものがあった。


 ただ、肝心の耳かきをしている手つきに違和感はない。普通になぞっているだけのように見える。そう見えてしまうことが、熟練の証だとでもいうかのように。


「うぅ、みんなすごいなぁ……。私も、こんな音、出せるようになるかな……?」


 せっかく、マネージャーが私のために買ってくれたんだ。――まあ、罵倒ボイスが目当てっぽかったけれど。


 期待されたからには、その気持ちに頑張って答えてみたい。


「ま、始めたばかりだからうまくいかないのは仕方ないことだよね。よしっ、他にも動画を調べて色々と試してみようっ」


 むんっ、と腕の前で両手を握りしめ、気合いを込める。Youtubeで動画を観ながら、同じようにASMRマイクをイジってみた。


 最初はやはり難しいものがあった。軽く触れたつもりでも、思ったよりも大きな音が返ってきたり雑音にしかならなかったりする。


 雑音になるのを恐れて慎重になりすぎると、今度は音が入らない。耳に触れる感触も弱く、心地よいとは思えない音声になってしまう。


 色々と試しているうちに、段々と楽しくなってきた。


 いい音が鳴った時は嬉しいし、雑音になってしまった時には「どうしてだろう?」と悩む……そんな時間が楽しくて、つい時間を忘れて没頭してしまった。


 日もすっかり落ちてしまい、夕食を食べることも忘れてASMRマイクをイジり続けていた。だいぶ慣れてきた気がする。


「ぐふふ……これでヤエらーさんたちを私の虜にしてやりますよ……」


 悪代官みたいに、ニヤニヤしながら私は呟いていた。


 そうだ。ASMRといえば、耳元で囁きながら耳かきをすることもあるよね。

 ……ちょっとやってみようかな。


 床に屈みこむようにして、マイクの耳に口を寄せる。うっ……自分の息が耳に当たっちゃった。囁く時には距離や位置も気を付けないと。


 試行錯誤しながら耳に顔を近づけ、ゆっくりと囁く。


「……みんな、ヤエの虜になーれっ」


 …………自分で言ってて恥ずかしくなった。


 熱くなる顔を持ち上げて、パタパタと手で仰ぐ。その時、扉が開いていることに気が付いた。


 あれ? 扉、閉めてなかったっけ……?


 恐る恐る、顔を持ち上げ……。

 扉の前に、今にも笑い出しそうななゆちゃんの姿を見つけた。


「ふふっ……何やってんの、凜々花?」

「み……み……見ないでぇえ‼」


 次の瞬間、私の絶叫が轟き……。


「ぎゃあああっ!」


 私の耳は死んだ。

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