2-4 頑張れないと離れていっちゃう…
私が魂として活動している夜色ヤエには、同時期にデビューした『夜桜ナル』という相方がいる。
普段の活動は別々に行っているけれど、オリジナル曲を出したり、イベントの時には二人セットで動いたりすることが多い。
二人でバーチャルライブをする話も出ているし、普段から私たちの仲も良好。
ただ、普段の配信ではあまり絡むことがない。そもそも、ナルを演じているなゆちゃんが、あまり配信をしないのだ。
Vtuberだから毎日配信しなきゃいけない、ということじゃない。だから、私としては別に気にすることでもないと思うんだけど……。
「……ナルちゃんは、あまり活動しないからよく知らないんだよね」
ヤエらーのアキ君でさえ、苦笑しながらもそう答えざるを得ないくらいに知名度が低い。
配信をしないので、ナルのチャンネル登録者数は企業勢にしては少ない。なゆちゃん自身でさえ、それを仕方ないと受け止めてさらに消極的になっている。余計に活動が減って、今じゃ二週間に一回くらいしか配信していない。
配信が少ないと、視聴者も離れていく。有名なVtuberのほとんどは、ほぼ毎日配信している。逆に言えば、毎日配信をしないと視聴者は離れていくのだ。
「そっか。そんなに頑張ってるわけじゃねぇなら、気にしなくてもいっか」
隣で、アキ君にそう答える吟君の声が聞こえた。頑張っていないわけじゃない。配信をしている子には、それぞれに事情がある。
ただ、それが視聴者側に見えないというだけ。
ただ、活動していないことを頑張っていないと捉えられてしまう。
そして、毎日頑張れないと、どんどんと離れられてしまう。
チャンネル登録者数を特に気にしている子は、みんなに見られなくなってしまう恐怖を感じながら配信をしている。
そうして気にするあまり、大物Vtuberが花を咲かせる陰で引退してしまう子もたくさんいる。
Vtuberは見てもらえないと存在していないのと同じなんだ。
私もチャンネル登録者数を全く気にしないわけじゃない。ヤエらーのみんながいないと、存在していないものと同じなんだ。
それでも、配信が楽しいからそこまで落ち込まずに活動を続けられる。
それに、チャンネル登録者数が減っちゃった時には、もっと頑張って認めてもらおう!っていう気持ちになれるから。
でも……なゆちゃんは、どうなんだろう?
マイペースに配信をしているし、やっぱり気にしていないのかな?
突っ伏していた顔を上げて、なゆちゃんのほうを向いてみる。
彼女は、まるで眠っているかのように机に顔を伏せたまま。
腕の中に隠れた表情は、もちろん見えなかった。
***
帰宅後、自分の部屋に戻った私はベッドに腰を下ろしながら、事務所のマネージャーとスマホで話をしていた。
一時間後には配信を始める予定。準備は整っているので、マネージャーとの打ち合わせを三十分程度で終わらせる予定だ。
「お疲れ様です、ヤエ様」
「お疲れ様です。……いつも言ってますけど、マネージャーまで私に『様』を付けなくていいんですよ?」
慇懃に落ち着いた声音で言ってくるマネージャーにツッコミを入れる。スマホの向こうで、大人びた女性の声が返って来た。
「そういうわけにはいきません。私はヤエ様に仕えるマネージャーでございます。ヤエ様の手となり足となり、時には頭脳として役に立ちましょう! あ、何なら奴隷でもいいですよ?」
「は、はあ……」
「あぁっ! ヤエ様に緊縛されて罵られるのもいいですねェ‼ 試しに罵ってもらえませんか⁉」
「通報しますね」
「警察はらめぇええ! お仕事無くなっちゃうぅうう!!」
電話越しにマネージャーの声が響いた。
この人は、もう大人としてダメだと思う。
「ごほんっ。つい興奮してしまいました。昨日、そういうお店に行ったからでしょうか……」
「え?」
「い、いえ! 何でもありませんよ? それでは打ち合わせを……」
「いや、今、聞き捨てならないこと言われましたよ⁉ マネージャー、そんなお店に行ってたんですか⁉」
「き、興味ありますか⁉ えへへっ……なら、ヤエ様も女王様口調で私を――」
「打ち合わせしましょうッ‼」
墓穴を掘りそうになるので、無理やり話を打ち切ることにした。
今日の打ち合わせは、最近の活動の報告と、今後の活動内容について。あとは、細々とした連絡が少しだけ。
一通りの打ち合わせが終わると、最後にマネージャーはこんな提案をしてきた。
「ヤエ様はASMRに興味はありませんか?」
「ASMRって……耳かきしたり、食べ物をマイクの近くで食べて音を楽しむあれですよね?」
ASMRとは、専用のマイクで録音した音をヘッドホンで聞くことにより、まるで自分がその場で体験しているかのように感じる音声作品のことだ。
例えば、耳かきをしているASMRをヘッドホンやイヤホンで聞くと、自分が本当に耳かきをされているかのような体験ができる。
そんなASMR配信は、Vtuber活動で頻繁に行われる配信の一つでもある。中には、ASMRだけの活動をする子もいるくらいだ。
ただ、私はまだやったことがない。
ASMR用のマイクを持っていないからね。
なのだけど……。
「もし、ヤエ様がASMRに興味があるようでしたら、こちらの経費でASMRマイクを買って送りますよ?」
「ほ、本当ですかッ⁉」
ASMRマイクは、高いものだと百万円近くするものもある。
さすがにそれほどのマイクじゃないと思うけれど、ASMRマイクといえば高い印象がある。
「で、でも、ASMRなんてやったことないんですけど……」
「誰でも最初は初めてですよ。それに、やり方が分からなければ、私も一緒に調べますから。どうですか?」
「う、うーん……」
ASMRは、チャンネル登録者数を増やす手段でも結構いい方法のひとつ。
普段はVtuberを見ないような人も取り込めるし、チャンネル登録者数が増えるならやった方がいいんだけど……。
「で、でも……私の声を耳元で聞かれるのってやっぱり恥ずかしくて」
「大丈夫ですよ。ヤエ様の声はとっても可愛いですからッ! 罵る声とか、特に‼」
「もしかして、私に罵ってほしいからASMRを進めてません⁉」
「そ、そそ、そんなことあるわけないじゃないですか!」
電話の向こうで、冷や汗をハンカチで拭いているマネージャーの姿が見えた気がした。
この人、やっぱり大人としてダメだと思う。
……ただ。
私は、今の言葉を信じたい。
この間のオフ会で、私に向けられるポジティブな言葉は素直に受け取ろうと思ったんだ。
だから、マネージャーが私の声を可愛いと言ってくれるなら、信じたい。
いや、信じよう!
「……分かりました。私、ASMRに挑戦してみます!」
「ありがとうございます! それでは、マイクを送る際にまた連絡をしますね。マイクが届いたら、ぜひ罵倒ボイスを……」
「前向きに検討させていただきます」
「えへっ、楽しみにしてますね……」
「……」
マネージャー、社交辞令って知ってる?
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