1-10 歌はやっぱり楽しい

「世界で一番、ですか……?」


 私は、驚愕に目を見開いた。

 部屋中にカラオケの歌声が響く中、アキ君はうん、と頷いて。


「ヤエ様の歌は、僕の中では誰よりも大好きなんだ! 本当に歌が好きなんだって気持ちが伝わってくるから。それに、感情も籠ってるからね。僕は、歌い方なんて細かいところはよく分からないよ。けど、絶対にヤエ様の歌は世界で一番だよ! 僕はそう信じてるんだ!」

「でゅふふ、まったくもってその通りでござる!」


 二人で話していると、いつの間にか背後に主催者さんが立っていた。

 さっきまで他のヤエらーと話していたけれど、話が終わったみたいだ。

 私たちの正面へ座った主催者さんへ、アキ君は前のめりになりながら言った。


「ええとね! ヤンバルクイナさんとヤエ様の歌ってすごくいいな~って話をしてたんです!」


 主催者さんが戻ってきたことで、私の呼称も『弓削さん』から『ヤンバルクイナさん』に変化。

 私たちが話していた内容を知ると、主催者さんは腕組みしながら深く頷いた。


「むふっ! そうでござるな~! ヤエ様の歌は格別でござる! わ、吾輩もこれまでたくさんのVtuberの歌を聞いてきたが、あれほどに熱意のある歌い方をするVtuberは見たことがないでござるよ」

「っ!」


 あまりにも飛躍した表現だ。


 私には、到底似合わないほどに、きらきらと輝くような言葉。

 そして、その言葉は重い。


 主催者さんは、そんな惜しみない言葉でヤエの歌を表現してくれた。


「で、でも、ヤエ様は炎上しましたよね。広告を出した後、アンチコメントがたくさんついてて……」

「あぁ、そんなこともあったね。けど、あんなの事故みたいなものだよ」

「で、ですが……」

「それに、アンチコメントを書くためだけに配信に来るような人よりも、僕らはずっとヤエ様のことを知ってる。だから、あの時のことは気にしてても仕方ないんじゃないかなって思うんだ」


 ……本当に。

 本当に、それだけでいいの?


 私は歌が下手じゃない。

 むしろうまい方なんだ。


 そう、思い込んでもいいのかな……。


「あと、ヤエ様は頑張り屋だからこそ、その気持ちが伝わってくるんだよね! 歌に感情が乗っている感じ。僕が好きなのも、そんな思いに溢れたヤエ様の歌なんだよ!」

「その通りでござる! 『もっと上手く歌いたい!』って感情が伝わってくるでござるからなぁ~!」


 か、感情がこもっているなんて言われると、自分のことを丸裸にされているみたいで恥ずかしい。


 でも、なんでだろう。


 心が、熱い。

 胸の奥から、じわりと熱が浮いてくるのを感じる。


 胸元をギュッと握りしめる。

 心臓がバクバクと早く脈動していた。


 嬉しいんだ。

 応援してくれることも、そうして褒めてくれることも。


 私には、アキ君たちの応援の言葉が、何よりも大事な物だって思えてくる。


 その時、ずっとスピーカーから聞こえていた歌が止んだ。

 ちょうど、歌っていた曲が終わったらしい。

 ステージ上で「次は誰が歌う~?」とマイクを手に訊ねているのが見えた。


 そんなヤエらーを見て、アキ君が目を瞬かせると話しかけてきた。


「ヤンバルクイナさん、歌ってみたらどう?」

「へぁっ!? い、いきなり何を言うんですか、アキ君!!」

「だって、ヤンバルクイナさんの歌も好きなんだもん」

「ッ……!」


 学校の選択授業。

 音楽の授業で、クラスメイトの前で歌ったことのある私を、アキ君も知っている。


 もちろん、ヤエの時に出すような声は出していない。

 歌う時でも、私は声を変えながら歌うことができるんだ。


 アキ君は、私がヤエだとは知らない。

 なのに、私の歌が好きって……どういうことなの?


「コポォ! や、ヤンバルクイナ殿も歌が上手いのでござるか~?」

「そうなんですよ! だから、せっかくだし聞いてみたいんだよね」

「で、でも、私は……」

「なになに~? 君が歌うの~?」


 気づけば、ステージ上に立っていたヤエらーが私の前まで歩いて来ていた。

 痩身の男性。

 チェック柄のシャツを着た、オタクっぽい男性だ。


 その手に持ったマイクを、私に差し出してくる。


「い、いえ! 私、歌とか自信ないですし……」

「大丈夫大丈夫~! みんな、楽しんで歌ってるだけだから! 上手いも下手も関係ないよ」

「そうだよ、ヤンバルクイナさん!」


 後ろで、アキ君が援護射撃。

 いや、この場合は追加攻撃?


 今だけはアキ君のことを本気で恨みそうだ。

 ただ……。


「せっかく、みんなで集まったんだし楽しもうよ」


 悪気なんてひとかけらもない笑顔。

 純真無垢な、無邪気そのものを表したかのような笑顔を向けられると、「やらない」という言葉が喉の奥へと引っ込んでしまった。


「……分かり、ました」


 私は男性からマイクを受け取った。

 手に僅かな重みが圧し掛かる。

 心まで重くなりそうだ。


 立ち上がると、ステージの上へと移動した。

 ステージ脇に置いてあったカラオケの装置を操作し、曲を選択することに。


 選んだのは、ヤエの時にも歌ったことのある曲だった。

 アップテンポで、カッコいい寄りの歌。

 地味で根暗な私が歌うには、あまりに使わない曲でもある。


 曲を選択し終えると、ステージからみんなを見下ろした。

 みんなは私の方を見ていない。

 それぞれのテーブルで、ヤエのどこが好きだとか、料理がおいしいだとか、会話している。


 けど、部屋の端から視線を感じた。

 アキ君と主催者さんは、遠くから私を優しく見守ってくれていた。


 ……こうなったら、失敗とかはどうでもいい。

 アキ君の言ったように、楽しんでみよう。


 目を閉じて、数秒。

 曲が流れる。


 アップテンポなイントロが終わり、そして――。


「♪~――……」


 私は、歌い出した。


 普段の生活では、あまり大きな声は発したりしない。

 国語の授業で朗読をしている際には、「もっとはっきりと喋れ!」と先生に怒られたことだってある。


 だけど、歌う時はしっかりと声帯を開き、腹の奥から強く息を吐きだす。

 喉を絞り、舌を回す。

 手や足に動きをつけ、自然とリズムを身体で取る。


 曲がサビに差し掛かる。

 ずっと、それぞれのテーブルで会話していたヤエらーが、私を見上げた。


 みんなが見ている。

 視線が集まり、身体が火照るように熱くなってくる。


 じとり、汗が首筋を流れた。

 だけど、気持ちの悪い感触じゃない。


 ――楽しい!

 ――私は、やっぱり歌うことが好きだ!


 自然と、顔に笑顔が浮かんでくる。

 いつもは、こんなに笑顔になったりできないのに。


 胸の奥から溢れる熱が。

 楽しさが。

 興奮が。

 私を奮い立たせ、歌と一体化する。


 感情と共に、歌が喉から溢れ出す。

 絶え間ない感情の放流は、歌が終わるまで続いた。


 歌い終えると同時、私ははぁ、と息を吐いた。


 歌いきった。

 その時、みんなが私を見ていることに気づいた。


「っ……!」


 やってしまった。

 歌うことに夢中で、みんなに意識を向けられなかった。


 こんな私の歌なんて、誰も聞きたくないはずだ。

 突き刺さるように、私に集まった視線が何も言わずともそう物語っている。


「何だよ、今の歌!!」


 次の瞬間、一番近くに座っていたヤエらーか怒号のような声が響いてきた。


 肩を震わせ、ギュッと目を閉じた。

 怖い。怒らせたかもしれない。

 謝ろう。ごめんなさいって……。


 頭を下げようとした。

 しかし――。

 

「――滅茶苦茶うまかったじゃんッ!!」

「え……」


 呆然と、顔を上げる。

 そこで、初めて気づいた。


 私へと視線を向けたみんなが、笑顔になっていることに。


「君、プロでも目指してるの!?」

「感動した! こんなに感動するの、ヤエ様以来かも!」


 そうして、部屋中に拍手が巻き起こった。


「え……え……っ」


 何が起きているのか、分からない。

 その時、なゆちゃんの台詞を思い出した。


『凜々花はできないんじゃない。ただ、周りの人を信じてないだけだ』


 なゆちゃんの言う通りだったんだ。

 私は、みんなの言葉を信じようとしていなかった。


 自分にはできないと思い込んだ。

 もっと頑張らないといけないって思っていた。


 でも、違ったんだ。

 今のみんなの言葉は、紛れもない本物なんだ!


「私、は……っ!」


 もっと自信を持っていいんだ!

 歌うことに。

 人から賞賛されることに。


 もっともっと、自信を持ってよかったんだ!


「ヤンバルクイナさ~ん!」


 その声に振り向けば、アキ君が私に向かって大声を上げていた。


「もう一曲、歌ってよ~!」

「へ……」

「そうだな! もう少し聞いてみたいしな!」

「アンコールでござるよ~!」

「アンコール! アンコール!」


 アンコールが響く。


 私は、眦に浮かんだ涙を拭い去った。


「……分かりました。それじゃあ、もう一曲だけ……」


 カラオケの機械に近づき、二曲目を選択する。

 そうして、もう一度歌い出した。


 今度は、不安なんてどこにもなかった。

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