第5話
腕から指先へ、指先の細かな神経まで意識を伸ばしていく。
新しい身体に「自分」が充満する。マックスはとても良い気分だった。
視覚が、聴覚が機能し始める。そして匂い!これが匂いか!と感動した。
部屋中の物に匂いがある。その情報の多さ、雑多さにマックスは眩暈を
覚えた。古い木製の家具の木の匂いと、そこに染み付いたタバコとアルコールの匂い。
壁のコンクリートの匂い。そこからも様々な人間の体臭がする。
キャスがこちらを覗きこんで見守っている。その豊かな髪からシャンプーと
汗の匂いがする。何度も汗を吸い取り乾いたTシャツの匂いと石鹸の匂い。
段々と情報を把握することができてマックスは落ち着いてきた。
「どう?」
心配そうにキャスが尋ねてくる。
「大丈夫、とてもいい気分だ。いや、最高だよ。」
マックスは答えた。少し顔の筋肉が動いた。自分は今笑っているのかもしれない、と
マックスは思った。
「成功ね・・・成功。成功だ。・・・・成功だ!」
キャスの声が徐々に大きくなっていく。
「やった!成功だ!!成功だ!!!」
キャッホーっと踊り出すキャスを見ながらマックスは言った。
キャスの動きを真似してみた。まだぎこちないが、動く手足を不思議な思いで眺めた。
マックスが自分の真似をして踊っているのを見てキャスは笑い出した。
それを聞いてマックスも楽しくなった。2人であははははと大笑いしながら
しばらく踊った。
「この身体には空を飛ぶ機能もあるね。ぜひ試したいんだが。」
少し落ち着いて、身体のあちこちの機能をキャスに計測されながらマックスが言った。
キャスはデータをとるのに夢中のようだった。タブレットにあれこれ入力している。
そのまま顔をあげずに答えた。
「いいよ。でもあまり遠くへ行かないこと。今日はテスト飛行のみで
徐々に飛行距離を延ばして行きましょう。」
「そうだね。今日はテスト飛行のみにしよう。すぐに戻るよ。」
窓を開けてもらい、窓枠に立つ。硬い前羽を開き薄くて軽い後ろばねを広げた。
「じゃ、ちょっと近くをぐるっと回って来る。」
後ろばねを羽ばたかせた。少しずつ強く、少しずつ強く羽ばたいた。
身体がふっと持ち上がる。
「行ってくる!」
一気に力を強く込め自分を空の中へ送り込んだ。見渡す限りの青い空だった。
ところどころ薄く千切られたような雲が漂っている。マックスはその中を直線を引くように進んでいった。風、これが風だ。体中に備わっている産毛が勢いよく後方へ移動する空気を感じる。
「うわあああああああああ!!!!」
マックスは叫んだ。初めて手にした実体。そして初めての空。
色も匂いも風の感触も最高だった。
あの、ボロアパートの前に捨てられ、雨に打たれながら周囲を見渡していた自分を
思いだした。
「うわああああああああああああああああ!!!」
スピードを上げた。まっすぐ上を向いて飛んだ。周りに雲が見当たらなくなったあたりで息が苦しくなり、くるっと向きを変えて真下を向いた。そのまま加速した。
MPEUに追われて、他の野良プログラムと共に逃げ回ったことを思い出した。
「じゃあな!」と言って颯爽と歩き去ったポールを思い出した。
「うわああああああああああああああああああああああああ!!!」
マックスは何度も何度も急降下と急上昇を繰り返した。地面に激突したら、死んでしまうだろうな、とちらっと考えたが止められなかった。地面ギリギリで急上昇する。
ジョナサンが極めようとしていたのはこれか、と思った。
叫びながらマックスは止められなかった。
回転しながら、ジグザグに飛びながら、前方回転しながら、後方回転しながら、
地面ギリギリのところで大きく弧を描き上昇する。
生きているんだ、と思った。自分は今本当に生きているんだ。
そこは都会のすぐ近くにありながら木々が生い茂り、広場がいくつもある巨大な
公園だった。自然と人の姿の無い場所を選んでマックスは危険な飛行を延々と
続けた。
「ここは飛行制限区域です。ただちに着陸しなさい。」
突然大音量で呼び止められた。驚いて振り返ると、大きめの円形をした物が側まで
来て浮かんでいる。ウィーンと動力の音がする。直径3メートルほどの巨大な
ドローンだ。それでも人が直接乗り込むには小さい。赤と青のランプが点滅している。警察のドローンだ。
「直ちに着陸しなさい。飛行許可コードを。」
まずい。許可が必要だったのか。
「逃げて!」
キャスの声だ。ぞうか、キャスと通信できる状態なのか。
「逃げて!逃げてどこかに隠れて!あとで私が回収しに行く!」
ホバリング状態から、クルっと向きを変えて木々の生い茂る方向へ向かった。
「あ、待ちなさい!発砲するぞ!止まりなさい!」
遠隔操作なのだろうか。操縦者の慌てた声がした。構わずマックスは木々の枝が多い場所を選んで急降下した。
「警告だ!止まらないと撃つぞ!警告したぞ!」
パパパパパ!と軽い音がした。小さな高い温度の物体が自分のすぐ近くを空気を
切り裂き飛んでいくのが感じられた。もし当たったら一たまりもない。自分の身体はバラバラに引き裂かれるだろう。マックスはおびえた。大振りな枝をかわしながら飛行し逃げた。
「待ちなさい!」
追跡されている。声が的確に自分を捕えている。すぐ後ろにつかれているようだ。
右に90度、右斜め下35度、左上方20度、鋭く角度を付けながら飛んだ。
パパパパパパパ!と音がする度にシュッ、シュシュ、と音がして周囲の葉や小枝が
バラバラと落ちていく。避けた木の幹にビシっと開いた穴は直径3センチほどあった。
マックスはスピードを上げてドローンの視界から消えるため複雑に飛んだ。
「止まれ!クソ!止まれって!」
ドローンから苛立った声が聞こえる。と、ドン!と胸に衝撃があり呼吸ができなく
なった。上下の感覚を失ったマックスは空中で羽ばたきを止め、一度静止したあと
ゆっくり墜落しはじめた。
「やった!」
ドローンは喜んでマックスを追う。木々が邪魔なためマックスの落下地点目指して
飛んだ。先回りできるはずだ。上方を向いて待ち構える。
ドサっと落ちてきたマックスを4本のアームでキャッチした。
「やった!」
しかし、彼がキャッチしたのは木の枝だった。
「なに!?」
「くそ!なんなんだあいつは・・・・」
マックスは身代わりの術で警察ドローンの追跡を逃れ、視線を切るように地面を走った。
ドローンが放った弾は、胸のカーブにはじかれて飛んだ。幸い、どこにも損傷は
なかったが、衝突のショックが大きく羽の動きが悪くなっていた。少し進むと小さな橋があった。その下に潜りこんでやりすごすことにした。
ドローンは、ブツブツ言いながら一帯をしばらくウロウロと飛んでいたが、
20分ほどするともと来た方向へ飛び去った。
マックスは少しおびえていた。そして、あのドローンが遠隔操作ではない事に気づいていた。あれは自意識を持ったロボットだ。自分と似た存在のはずだが立場が違うため敵となっているのだ。そのことに驚いていた。徒歩で移動しながら、人間の気配のしない方へと移動した。様々な植物が生えている場所は歩きにくかったが、少し開けた場所に出た。その端に腰かけると少し休むことにした。
「マックス、大丈夫?」
キャスの声だ。ずっとハラハラしながら待っていたのだろうか。自分をモニタする機能はなかったはずなので、キャスには事の経緯はわからない。
「大丈夫だ。なんとか」
マックスは答えた。
「うちの窓から君が飛んでいる姿を見てたら、突然警察ドローンが君めがけて飛んで来たんだよ。」
なるほど、だから声をかけてくれたのか。
「ちょっと休む・・・」
やっとそれだけ返事して、マックスの意識は途切れた。
彼は眠った。
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