「レティーツィア嬢……」


 ラシードが気づかわしげに手を伸ばした、その時。薔薇の向こうから「殿下ー! ラシード殿下ー!」という声がする。


「……アーシムめ……」


 ラシードがうんざりした様子でため息をつく。

 ほぼ同時に、薔薇の小径をこちらに駆けてくる足音が聞こえて――アーシムが姿を見せた。


「ああ! ラシード殿下! こちらにおいででしたか!」


「……アーシム……。昼休みぐらいは……」


「いけません。殿下。お昼休みは六聖の乙女とともにすごされませんと」


 放っておいてくれというラシードの言葉を遮って、アーシムが地面に膝をつく。


「六聖の乙女のご意向でもありますが、なによりもヤークート王の命令でございますれば」


「っ……」


 瞬間、ラシードがムッとしたように眉をひそめる。


 だが、六聖をもっとも尊き者として扱うようにと世界六国の間で決まったばかり。その上、ヤークート王は、ラシードが六聖に選ばれることを望んでいる。


 ラシード自身はどう思っていたとしても――今は勝手が許される立場ではない。


「お昼は、サロンに顔をお出しになりませんと。六聖の乙女がお待ちでしょう」


 言葉を飲み込んだラシードに、レティーツィアがやんわりと言う。


「いえ、殿下をお待ちなのは、六聖の乙女だけではございませんわ」


「……そうだな」


 友のためにも。婚約者候補のナディアのためにも。――言外にそう匂わせると、ラシードが再びため息をつく。


「……穏やかな……気が休まる場所だったはずなのにな」


 決して、特定の人物の思いを忖度しつつもてなすような――生き残りをかけてお互いの腹を探り合うような場所ではなかったはずなのに。


「レティーツィア嬢は一人か? しばらくサロンのほうには顔を出していないが……」


「いいえ、友人を待っておりますの。もう来ると思いますわ」


「そうか。それならいい」


 ラシードは優しく笑うと、が立ち上がって伸びをした。


「じゃあ、可哀想なオレは真面目にお勤めをしてくる」


「いってらっしゃいませ」


 穏やかに微笑んで、軽く頭を下げる。ラシードはヒラヒラと手を振り、「まったく、空気の読めんヤツめ! 行くぞ! 馬鹿アーシム!」などと言いながら足早に去ってゆく。


 ラシードに付き従うアーシムと、二人の背中を見送って――レティーツィアは息をついた。

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