「ええ。レティーツィアさまが僕に遠慮することはないけれど、殿下相手にそういうわけにはいきません。殿下の前では、レティーツィアさまは徹頭徹尾――完璧な淑女であろうとする。それとも、そうさせないことができるとでも言うんですか? と言いました」


「そ、そこまで……?」


 それは、あんまりにもあんまりな言いようではないだろうか。レティーツィアが畏まるのは立場の違いゆえの仕方のないことで、リヒトのせいではないし、そもそもそれは悪いことでもなんでもない。


 唖然として――リヒトを見る。チーンと鼻をかんでいるエリザベートが珍しいのだろうか? まじまじとそのさまを凝視している。


「いつもの殿下なら、それで引き下がったんですけど……今回は逆に火がついちゃいまして。仕立て屋を呼んで、スーツを作る算段までご自身でつける始末で……」


「えっ……!?」


 さらに驚いて、目を丸くする。


「あ、あのフロック・コートは、殿下が!?」


「そうです。レティーツィアさま、黒い殿下が見たいと仰ったとか」


「ええ。それを叶えてくださったということ?」


「それもあるんでしょうけど、明確な区別をつけるためというのが大きいと思いますよ」


 イザークはそう言って――エリザベートにとんぼ眼鏡をかけてあげているリヒトを示した。


「白を身に着けてはいない。つまり――今はシュトラールの皇子ではないという」


「――!」


 鮮烈な驚きが、胸を染め上げる。

 トクンと、心臓が大きく跳ねた。


 今は、シュトラールの皇子ではない――?


「口調もそのせいです。ごく近しい側近しかいない場所では、殿下はあんな感じなんですよ」


「……! 素って……そういうこと!?」


「ええ。レティーツィアさまに『ただの女の子』でいてもらうため、殿下は『皇子』の仮面を脱いだんです」


「ッ……!」


 たとえひとときでも、リヒトに皇子としての立場を放棄させてしまうのはどうなのだろう? 婚約者として、それは間違っているのではないだろうか?


 理性ではそう思うものの――胸は勝手に熱くなってしまう。


(どうしよう……! 嬉しい……)


 鼓動が早くなってゆく。


「本当に、必死かよって……笑っちゃったんですけど」

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