名の無き笑い人

T&T

超えた時空

1 「どうも、ありがとうございました」この言葉を最後に俺、安室ゲンの芸人人生は終わった。お笑いチャンプ1回戦。優勝すれば賞金500万円と副賞でレギュラー番組を貰えるビッグチャンスだ。結果は惨敗、時間が止まったのか、それとも葬儀に来ているのかと錯覚してしまうぐらいの静けさだった。それから数日後「結局は夢だったのか」と細い声をこぼしながら部屋の片付けをしていた。「絶対に負けない、夢を叶える」と表紙に大きく書かれたネタ帳も今となってはただの資源ゴミだ。部屋を片付けて終わったらゴミをマンションのゴミ捨て場に捨てて、芸人人生と共にマンションから飛び降り、人生を終わらそうとしていた。「こんな事になるんだったら芸人なんてならなきゃよかったな」と小さく呟きながらベランダでタバコを吸っていた。安室の頬には水滴が通った。

2  ゴミを捨てるためにエントランスに行き、両手一杯のゴミ袋を下ろした。そこには読まなくなった少年誌、新聞、粗大ごみの茶箪笥などがあった。なんとなく視線を下ろすとそこにビデオデッキがあり、近くにビデオテープも転がっていた。そこには{2019年4月}と書かれてあった。「おいおい、2019年にビデオデッキなんて使っている奴なんているのかよ」と驚きと同時に安室は興味がわいた。「逆に中身が気になるな、冥土の土産にはちょうどいいかもな」とそのビデオデッキとビデオテープを部屋に持ち帰った。

3  部屋に戻ると安室は部屋にあるテレビにビデオデッキを繋ぎ、ビデオテープを入れた。その様はまるでプラモデルを買ってもらった子供のようであり、先程まで自殺を考えてた人間には見えないくらいだった。そして、ビデオテープの巻き戻しが終わり、あとは再生ボタンを押すのみとなった。「さぁ、ご対面」と再生ボタンを押すと同時にとてつもない光が安室を包み込んだ。あまりの強さに体が吹き飛んでしまい後ろの壁に頭をぶつけた。「いったいなぁもう、何なんだよ今の」とちょっとふてくされながら目を開けると、さっきエントランスに捨てたはずのノートが目の前に置いてあった。「これさっき捨てたよな?」と不思議に思いながら、手に取った。そこには、「絶対に負けない、夢を叶える」とだけ書いてあり、あとは白紙になっていた。そして、ビデオデッキはなくなっていた。何が何だか分からない状況ではあったが、とりあえずテレビをつけた。夕方のニュースのオープニングが流れていた。「こんにちは、2019年4月1日夕方のニュースをお伝えします。」とぶっきらぼうにアナウンサーが言った。耳を疑った。「何言ってんだよ、2019年は10年前だろ。今は2029年だよと」鼻で笑った。「オリンピックまで約1年となりましたが、、」

ニュースが続く、安室に驚きと不安が襲った。怖くなり母親に電話をしようと携帯を取りその画面には2019年4月1日17:10分になっていた。ますます不安になる。とりあえず母親に電話をした。3回くらいのコールのあとに母親の優しい声が聞こえた。「もしもし、急にどうしたの?生活は慣れた?まだ1ヶ月も経ってないからわかんないか?」と冗談を交えながら言った。「何言ってんの?、もう10年以上こっちにいるよ。」と返すと「面白い事言うわねぇアンタ、笑いに磨きをかけようとしているのね。頑張んなさいよ」この言葉でようやく事態に気づいた。タイムスリップだという事に。

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