第5話 天使がいた1日 3

 夏になると私の身体もまた悲鳴を上げ始めた。まず、体育の授業に参加できなくなった。よくめまいを起こし、しゃがみ込むようになりがちになった。ギリギリ夏休みまでは耐えられた。そう思って気が緩んだのか。家に帰って、横になる。体が悲鳴を上げている気がした。とりあえず、明日起きてから父と病院に相談しよう、そう考えて眠りについた。それが起きたら日付が思っていたより一日先だった。寝るのにも体力が必要だというから、ある種まだ健康である証拠かもしれない、気を失ったりしていなければ。

 父との相談の結果、夏休み中は祖父母の家で過ごすことにした。去年の秋ごろに、私が入院したころと同時期に祖母が亡くなり、今は空き家になっている家で、父の仕事が一区切りしたころに整理するはずの建物だったが、隣が宮本家で、私の健康状態について知ってくれているからということで、過ごさせてもらうことにした。

「六花、こっちに戻ってきたんだ」

 祖父母の家に戻った日、太一がこっちを訪れて声をかけてくれた。

「ちょっとね。高校に通わなくてもいい夏休みだし、だれも住んでない家というのはすぐに老朽化する、というのもあるしね」

「何かあったらすぐ俺の親とか、俺とかに言うんだぞ」

「二奈ちゃんは?」

 二奈は太一の4つ下の妹である。

「まあ、誰もいなかったら二奈でもいいかもしれないけど、まだ小学生だからな」

「そうだね」

 当たり前のことではあったが、太一は隣の家に毎日帰ってきていることに気が付いた。だから、私は太一に毎日会おうと思えば会うことができるのだ。そのことに気づいて少し嬉しくなっていた。

 やはり、一人はさみしかったのだ。病気の身体と、多忙すぎる父。もういない母と祖父母。家族で生きるには父が働かないと行けず、懸命に働いた結果、父は信頼が厚くなりすぎ、逆に私のところにいられなくなった。一緒に住んでた祖父母が亡くなったとき、父のもとに行くことも考えたが、私は、どうしてもこの地を離れたくなかった。わがままを言って、病院のそばにマンションを借りた。そんな暮らしは、やはりさみしかったんだと、ここにきて思った。

 それから、太一が部活を終えた日は、その日の練習がどうであったかを聞いた。今までできていなかったことをできるようになっていく太一の話がうらやましかった。だから、私は対抗するかのように、自分の身体と向き合いながら少しずつトレーニングをした。もう一度太一と一打席の勝負をするために。

 部活が休みの日はそよぎが訪れてきた。

「元気?」

「まあまあ、かな」

「倒れたって聞いてた割には元気そうでよかった。

 ……心配したんだよ。私と一緒にキャッチボールした後でそうなったって聞いてたから」

「ごめん、心配かけて。でも無理したのも私だし、無理したかったのも私だからさ。そうだ、気にしてくれちゃうならさ、お詫びとしてさ、私にちょっと付き合ってよ」

「……何させるつもりなの」

 なぜか梵はおびえたふりをした。そんな脅したこととかないはずだが。

「練習。太一に勝つための」

 そう言ったら、そよぎは笑って快諾してくれた。

 たぶん最後の勝負になりそうだから。できるだけ、真剣勝負になってもらえるような自分でいたかったから。


 一度、入院してから受けている定期検診に引っかかってしまったのは秋になってからだ。明らかに体調を崩しがちになってきたあたり、そろそろそういった診断を受けてしまうと覚悟はしていたから、意外とすんなりと悪い結果を受け入れることができた。

 ただ、まだやっていないことがあった。せっかく太一との勝負のために準備してきたのに、それをする前に入院するわけにはいかなかった。一年越しの勝負である。前に私が勝ったから預かりっぱなしになっているボールの行方を決める勝負でもある。

 太一は毎年ホームランボールをプレゼントしてくれていた。それは、私が昔に『ホームランが見たい』と言ったから始まったものであるし、彼はバッティングを磨いて本当に毎年ホームランを打ってくれていた。だから、私の誕生日である日に行われる彼の練習試合は見に行こうと思っていた。

 その結果は、太一にとって散々なものであった。相手校は甲子園に出場したこともある格上であったこともあるが、新しいチームのエースとなりうるものとして先発し、5回4失点と、打ち込まれていた。それは調子が悪い、というわけではなく、今のままでは投球については伸びようがないということを示唆していたと、私からは見えた。

 バッティングは、そのピッチングも影響していたが、彼に対するマークがきつく、まず甘い球が来ることはなく、ヒットすら打てなかった。だから、私に誕生日祝いの活躍を見せる、という彼が毎年行ってきたことが、その練習試合で達成されることはなかった。

「太一、勝負しよう」

 と私が声をかけたのは、彼が練習試合を終え解散になり帰ってきたところだった。

「一打席勝負。負けたら、あのボールは返してあげる。私が勝ったら、誕生日のウイニングボールを頂戴」

 そんなものがないことは知っていた。

 たぶん、私は負けたかったのだと思う。

 もちろん全力で勝負はした。

 だけれども、自分の身体が悲鳴をあげていた。もう限界だと言っていた。

 ただ全力で放った6球目に対する打球は、かつて私が見たいと彼にねだったホームランボールそのものだったと、私は思っている。


「太一がサイドスローに転向するっていうなら、私がちゃんと見てあげる」

 入院することを告げたら、太一が私の放るサイドスローが投げたいと言ってくれたので、時間が許す限りレクチャーすることになった。

 入院してからは彼が撮ってきた投球の様子を確認して、よくなさそうな点を指摘していった。

 投球モーションは欠点をなくしていくことが重要である。負担のかからない投げ方をすること、ボールに力が効率的に伝わるように投げること、違う握りでも同じように腕を振ること。そして何よりコントロールをよくすることはトライアンドエラーを繰り返した上で、よく反省し次に生かすことが大事である。

 それは何にだって言えることだ。けれど、それを続けることは、なぜかとても難しい。

 あまり自分の身体が思うように動かなくなってからよく本を読むようになった。本当か嘘か疑わしくとも、興味深い視点の知識が得られる。繰り返し反省をすることが難しいのは、人間は機械のようなものではないからだ。しかし、機械が生まれる前の昔の価値観では、むしろ機械のような人間は野生さがなく、人間らしいと言われていた、みたいな話がある。つまり、生きるために必要のないことを繰り返しやるようなのは、人間くらいである、ということなのだろう。

 その努力を積み重ねようとそれだけでは上手くいかない。それに見合った身体を持っていること、勝負に見合った素質を持っているという才能こそが最も勝ちを引き寄せる要素だ。

 私には、頑丈な体はなく、女だったから、太一に勝てなくなった。それだけである。

 私は太一がサイドスローを投げてくれるということが、私がいた証拠になるように思えて、嬉しくて、それと同時にむなしかった。彼にはバッティングに対して特別な才能がある。ピッチングに時間を割くのは無駄なんじゃないか。そういった考えがよぎりながらも、彼が投げたいと言ってくれたものに、私は残りの時間を使いたいと思っていた。

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