第5話 天使がいた1日 1

 五十嵐さんと私が話すきっかけになったのは、太一だ。高校に入学したての4月、野球部の期待のルーキー扱いされていた宮本太一に興味を持った五十嵐そよぎが、私、橘六花に声をかけたのが始まりだ。

「橘さんが、宮本君が野球を始めたきっかけ、ってのは、本当なの」

 私はこの頃、やや復調したといっても、重い体を引きずって登校していたのだから、そんな質問にすら、いら立っていた。

「それが、何」

 こんなぶっきらぼうな返事をするつもりはなかったのに。

「えっと、その、いや、何でもないかな」

「なんでもなくはないでしょ、聞いてきたんだから」

 五十嵐さんが、いら立っている私から距離を取ろうとしたのに、私はその行為にすら咎めてしまった。そんな狭量な自分が許せず、余計にいら立ってしまう。

「じゃあ、そうだ。放課後、暇だったら話がしたいからさ、少し付き合ってくれないかな」

 物々しい雰囲気になりかけたところに彼女が提案してくれたことで、間が持ったのだろうか。私はこれに同意するしかないなと観念し、

「わかった」

 と答えた。

 授業中は先生が明らかに私に気を使っていて、そもそも先生だけではなく同級生たちも私のことを腫れものを扱うかのような態度だった。ただ、それは仕方ないことだと思う。なにせ、入学式を終えた次の日からの一週間で私は学校を5日間休んだ。そこから明らかに病弱っぽいやつがいる、という雰囲気をクラスに与えていたと思う。加えるなら、私と同じ中学校出身の人もいる。彼らは私が2学期あたりから休みがちで入院したこともあったことを知っていたから、その間に伝わったのだろう。

 そんな雰囲気の中で五十嵐さんは私に声をかけた。だからこそ、ぶっきらぼうな対応に反省していた。やってしまったなあ、と思いながら授業を受けた。


「橘さん、お話したいんだけど、いいかな」

 帰りのHR直後に五十嵐さんは私のもとに来た。

「まあ、ちょっとなら」

「私も、少ししたら野球部に行かなきゃいけないから、ちょっとだけしか話せないんだけどね。よかったらグラウンドの方に一緒に行かない?」

 それに同意して私は、のこのこと彼女についていった。

「橘さんって宮本君の幼馴染なの」

 その道中で五十嵐さんが質問をしてきた。

「そうだね」

「じゃあ、橘さんも野球できる系の女子なの」

「いや、そんなことない」

 今はもう、それができる自信がなくて、肯定できず、否定してしまった。

「でも、宮本君、あなたがいたから野球を始めたって言ってたよ」

 その言葉に思わず嬉しくなって、その感情が許せなくて舌打ちをしてしまう。そんなつもりではなかったのに、自分の態度が気に入らなくて、自己嫌悪に陥りそうになる。私は口元に手を当てて、

「ごめん」

 と言った。上手くコミュニケーションができている気がしない。話題の矛先をせめて自分から相手にしたい。

「五十嵐さんって、何。野球してたの? 『橘さんも』って言ってたし」

「してた、というか今もしているよ。邪魔にならないようなときとか、練習混ぜてもらってるんだ」

 うらやましい。そう言ってしまいたかった。

「そう」

 そう返すのが精いっぱいだった。この質問をしたのは私だったのに。そんなつもりではなかったのだ。なんでこんな気分になっているかもわかっているのだ。そういうことを考えていたら何も話せなくて、私は口をつぐんでしまう。

 そのままだんまりで、二人で下駄箱で靴を履き替え、私は来るつもりのなかったグラウンドにいた。荷物も持ってきているので、このまま続きがないなら断って帰ってしまおうか、と思っているときだ。

「わたしさ」

 そう口を開いた五十嵐さんは、

「宮本君のこと、すごく気になるんだけどさ、橘さんって宮本君のこと、好きなんでしょ」

 と言った。

 私は、ただ、絶対に否定はしたくなかった。でも、肯定をしようとは思っていなかった。ずっと私はこの気持ちを抱えたまま、身体が知らせる間もなく来る終わりの時間までいようと思っていたから。

「なんで」

 だから、質問に質問で返した。よくないことだとはわかっていたし、それがほぼ肯定を示すものだともわかっていた。

「だって、宮本君、すごく橘さんのこと好きそうだったもの」


 その後、なぜか野球部の見学をさせてもらうことになった。部員に軽く自己紹介し、ベンチで練習を眺めていた。

「ごめん、ベンチに呼んじゃって。でも、橘さんってさ、この辺で少年野球やってた同世代からは有名だったからさ。男子顔負けの女子選手がいるって」

 五十嵐さんは、そう言われた私にどう答えてほしいのだろう。

「私は、今の調子じゃ、運動がままならないからさ。有名だったからと言われたって、どうしようもないよ」

「でも、わたしも野球、やってたんだ。だから、橘さんには負けたくない、そう思っていたからさ」

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