第3話 ピッチャーフライ 8

 だから、太一は、六花に見えた天使に出会ったこの日に、六花の誕生日であるこの日に、どうしても、ホームランを打ちたかった。

 本当は言いたかった気持ちを隠したまま眠った六花に、言わせたかったのかもしれない。太一はすごいと、言われたかったのかもしれない。


 バットの芯で当たった打球は、レフトのポールの内側を、ポールの高さより高いところを飛んだ。防護ネットを越えて、消えてしまった。

 ――どうだ、見たか。

 ――伝えられなくて、ごめん。

 ――俺はお前のこと、好きだった。

 ――その言葉を、元気になったお前に伝えたかったんだ。

 ホームベースを踏んで、チームメイトとハイタッチして、ベンチへ戻る。その間に、リキエルの姿を探したが、見つけることができなかった。

「太一、ナイスホームラン」

 と五十嵐が太一に声をかけた。

「あ、ああ」

「誰を探してるの」

「いや、誰も」

「私さ、思うんだ。六花は、太一のホームラン、見ててくれたって」

 試合は、点差はついたが、9回表の相手チームの攻撃まで行い、そのままのスコアで終了となった。


 試合後、太一は休養のため練習免除となり、帰らされることとなった。

 時間が空いて、六花とピッチングの練習をした公園に行ってみることにした。練習試合でもらったボールを誰かに見せたかった。場外まで飛ばしたボールは、珍しいこともあったということで、太一に渡されていた。

 そういえば、記念のボールを集めていたけれど、自分の部屋には一つもそれがないことに気づく。すべて彼女に渡していたのだ。このボールだけが手元に残るのは、それで悲しい気がした。

 公園に着いて、誰もいないグラウンドをのぞいてみた。少し盛った土の上に、制服をまとったリキエルがいた。

「今日を、繰り返したいと思いますか」

「繰り返す必要なんかないさ。今日ホームランを打てたことが、何より今日やりたいことだったから。それはそれで、勝負に負けた、ということになるだけだから。勝つまでやる勝負をしたいわけじゃない」

「そう。ほんとなのかな、それは」

 少しつまらなさそうに、リキエルは答えた。

「リキエルは六花が俺のホームラン、見ててくれたと思うか」

「それは、分からないけど。少なくとも私は見てたわ。太一がホームランを打つところを」

「そっか」

 太一には、それは、私が六花でホームランを見てあげたんだ、という風に言っているように聞こえた。そして彼女が六花だったなら、もしかして野球もできるのではなかろうか、と考えがよぎる。そもそも、試合中に助言をするほど彼女は野球に詳しかったのだから。

「リキエルって野球に詳しいんだよね」

「そうでもない」

 そうやってしょうもない嘘をつくところにも、太一は六花らしさを垣間見た。

「でも助言とかくれたでしょ」

「そうだったね」

「だからさ、野球、アドバイスできるくらいなら、一勝負、できるんじゃないかなとおもってさ。リキエルはピッチャー出来たりしないの」

「できないことはないけど。でも太一ならきっと簡単に打ててしまうから。だから勝負するというのならさ、私が打席に立ってあげるから。一打席だけ」

 勝負の提案をしたのは、ただ、リキエルがもし六花なら、また彼女のボールと勝負する機会が得られると思ったからだった。ただ、本当に彼女が六花なら同じような理由で断るとも思えた。太一はすでに彼女のボールを遠くに飛ばしたことがあるから。

 肩慣らしにキャッチボールをしてから、リキエルはバットを太一から受け取って打席に立つ。制服姿で、スカートが風になびいているのにも関わらず、妙な風格を感じた。やはり、野球の経験者であると、雰囲気から察せられる。

 太一はマウンドに立つ。一球目、何を投げるか真剣に考えた。大きく曲がるシンカー。これで行く。

 ストライクゾーン真ん中からリキエルの身体に近づいていくコースに、しっかりボールに指をかけて投げた。狙い通りのコースにボールがいった。

 リキエルはスイングした。狙い球だったようで、タイミングは完璧だった。ただ、打ち損じた。ふらっとした打球が打ちあがる。行方は太一の頭上。

「太一の球なら、打てると思ったんだけどな」

 彼女は何か言っていたが、キャッチするために目線を彼女に向けることはできない。

「じゃあね」

 ピッチャーフライをキャッチした。周りを見渡しても、どこにもリキエルの姿はなかった。


―――――――――

 こんな早いタイミングで太一の番になるとは思っていなかったから、自分が作ったルールをいくつか自分で破ってしまったことに気づいた。ただ、自分で作ったルールだから、それを咎め罰してくれる人もいないことに気づいた。約束だって破ったのに、自分で作ったルールすら守れないのかと、思った。

 ただ、こんなこともある、と気持ちを切り替えるしかないだろう。

 私はこのルールを一緒に作ってくれた、彼女のことを思い出す。

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