第3話 ピッチャーフライ 7

 8回の裏、打順は4番の一ノ瀬から。スコアは4―2。

「やっぱり、打ちたいの、ホームラン」

 とリキエルは太一に尋ねた。

「まあね」

「どうして」

「ホームランを打ったらさ、喜んでくれるやつがいた……いるからさ」

「どうしてさ」

「誕生日プレゼントにさ、いつもホームランを見せてたからさ。あと、リキエルも野球が好きならホームラン、みたいだろ」

「見たいか、見たくないかだったら、そりゃ見たいかな」

「じゃあさ、打ってやりたい、そう思うんだよ」

 相手ピッチャーはこの回から交代するらしく、投球練習を始めていた。どうやら右投げの横投げに近い斜め上から投げるフォームのピッチャーだった。太一はその投球フォームを観察していた。必ずホームランを打って見せるために、そのストレートのタイミングを計っていた。

「別にさ、どうしても今日ホームランを打ちたいならさ、次の打席で打てなくても、今日を繰り返せばいいんだよ」

 彼が投球練習を終えたタイミングでリキエルは言った。

 答える前に、彼からホームランを打つために、その投球を観察したかった。

 一ノ瀬は、初球のカーブを見送る、ボール。

 二球目のストレート、これも見送る。コーナーに決まってストライク。

 三球目、やや甘めにストレート、一ノ瀬は読み間違えたのかタイミングがずれたようにファール。

 四球目、シンカーボール、キャッチャーは内角に構えていたが外角に来た。結果として甘いコースに来ることになったのだが、変化量は大きく一ノ瀬はファールで逃げた。

 五球目、カーブ、これもファールで 逃げた。

 六球目、ストレート、芯でとらえるもタイミングが速く、ファール。

 七球目、カーブ、見送った。球審はストライクのコール。三振。一ノ瀬はやや不服そうにしたが、すぐに打席を離れた。

「ごめんな、もう少し粘れたと思うんだが」

 すれ違いざまに、一ノ瀬は太一に言った。

「いや、十分」

 太一は素振りして、バッターボックスに入る準備をする。その間に、リキエルに返事をすることにした。

「そうじゃ、ないんだよ。お前にさ、ホームラン、見せてやりたいんだけどさ。そうじゃないんだ。

 打てるかどうかわからない、真剣勝負で打たなきゃ、意味がないんだ。あの時の勝負みたいに、俺が打つまで待ってくれたとしてもさ、それがいつまでも続くわけじゃないんだから。もう、六花に甘えるわけにはいかないからさ」

 太一はそう言って打席に入った。一死ランナーなし。しかし、太一の表情は、まるで一点差で負けているときの9回の攻撃、といった表情だった。是が非でも、大きな打球を打ってやる。そう心に決めていた。

 先ほどの一ノ瀬の打席を見て、彼のピッチングフォームの様子はつかんだ。スピードボールの速さの情報も確認した。あとは狙い球を絞って、芯でとらえるだけ。

 ピッチャーの決め球と思わしきシンカーを狙う。そう思って打席に入った。

 思えば六花のシンカーをとらえ、ホームランにしたことはなかったと思う。彼女のおかげで、インコースの手元に来る変化球にはかなり強くなった。それをリキエルに見せてあげたい、そう思った。

 リキエルは、六花が生きていたら、きっとそう言うだろう、という言葉を繰り返し発していたから。

 そう考えていると、天使が見えている、というのは自分の幻想のような気がしてきた。でも逆にとらえるなら、六花に、幻だとしても彼女にホームランを見せてあげるチャンスでもあった。シンカーボールを上手くとらえられ、フェンスの外に運べる、ということを見せてやりたかった。

 打席に立つ。サインを確認するもヒッティングの指示のみだ。なら、ホームランを狙うのみ。

 一球目、シンカーを狙うために、ストレートにヤマを張っているように見せたい。ピッチャーが投げる。カーブ。ストレートのタイミングで踏み込み、見逃す。ストライク。

 二球目、もう一度ストレートのタイミングで踏み込む。またもカーブ。勢いあまってスイングしたように見せた。

 次は、シンカーを投げる、そう読んだ。ここでストレートを投げられてはおしまいだが、自分ならシンカーを投げる。おそらく彼にとっての決め球で、一ノ瀬の打席では少し力が入ってコントロールできなかっただけだろう。決めるなら内角。その内側にくいこむ球を引っ張って、仕留める。

 三球目、ピッチャーが投げた。内角やや甘め、から内側に曲がる。コースとしては完璧なシンカー。こっちが完璧にヤマを張ってなければ、だ。ストレートではなく変化球のタイミングで踏み込み、腕をたたんで芯でとらえる。


「また明日」

 太一が聞いた六花の最期の言葉はそれだった。

 六花は本当に明日また自分に会えると思っていたのだろうか。

 それは、いまだにわからない。


――――

 夏の日本一の高校野球部が決まった次の日だ。

「太一は、こういうところに出るような高校に行くって思ってたのにさ。私になんか合わせるから、甲子園に行けなくなっちゃったんだよ」

「いや、それは今の自分の野球部に対する冒とくだ。あと、結構レベル高い、と思うぞ。六花は練習の見学とか、最近はできてないからわからないと思うけど」

「でも、入学したときに見学くらいはしたけど、その時は、大したことなかったと思うんだけどな」

「練習したんだよ」

「そっか。太一もいるしね」

「野球は一人じゃできないけどな」

「だからでしょ。太一みたいな才能は、周りもやる気になるし、引き立てられるんだよ。それに、一人トビキリの選手が入れば、何とかできそうなのも、野球でしょ。その人をみんなで支えられれば、ね」

「だけど、俺より速い球を投げる奴もいるぞ」

「うそ」

「ホントだって」

「あ、でもそれは太一がサイドスローで投げてるから」

「まあ、それはあるかもしれないな」

「でしょ」

 そんな会話を交わしたのも、『また明日』の約束を六花が破った日と同じだった。

「野球部の強い学校から誘われてたでしょ」

「それは、まあ」

「じゃあ、なんでそこに行かなかったのさ」

「それはまあ、いろいろあるんだけどさ」

「自意識過剰みたいに聞こえるかもだけど、私がその学校にしたから、とか」

「……まあ、それもある」

「そうなんだ」

「いや、その、あれだ。

 まだ、六花との真剣勝負に決着がついてなかったからさ」

「こんな私が太一に勝てるわけないじゃん」

「でも、完全な状態の六花にまだ俺は勝ってない」

「そりゃ……太一は少し私より成長が遅かっただけだよ」

「あと、野球をやってきたのも、六花がいたからだ。六花がいなきゃ、多分俺は野球やってなかったからさ。だから、せめて六花のそばで野球を続けたかったんだ」

「そんなの、私に、勝手に、なんで……」

 六花が顔を伏せた。太一には続く言葉が見つけられなかった。

 蝉の声が病室の外から聞こえていた。夏が真っ盛りだった。

 自分が野球をやっている理由を、六花に伝えないといけない、そう思い、太一は口を開き。言葉を紡いていくことにした。

「別に、甲子園に行きたくて、野球をやってるってわけじゃない。真剣に野球してるのが楽しいんだ。それだけだ。真剣だからさ、勝ちたくなる。その先に甲子園があるってだけ。だから、野球部の目標が、甲子園なんだ。

 あと、まだ、見せるって言ってたホームランをさ、六花に見せてないからさ。

 見せてやるからさ、だから、早く治してさ、試合、見に来いよ」

「わかった。じゃあ、太一も、どんな球でもホームランにできるようにさ、練習しなよ」

「もちろん、そうするさ」

「じゃあ、また明日だね、太一。頑張って」

「六花もな、ちゃんと休んで元気になってくれ」

「また明日」

 その会話が、最後になるというのなら、もっと楽しいことを離せばよかったと、そう思わざるを得ない。

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