第3話 ピッチャーフライ 6
太一は5回を投げて被安打3、無四球無失点でマウンドを譲った。今はサードの守備に入っている。2番手は同級生で、太一より速いボールを投げられる本格派である。
「でも、太一はかなりサイドスローで投げてるから、多分、肩の強さという点においてはむしろ勝っているんじゃない」
と、2アウトランナーなしとなった場面でリキエルが言ってきた。先ほど五十嵐に誰としゃべっているのかと疑問を持たれたばかりだったので、それにこたえることはやめておいた。そもそも真剣な試合中である。これをかけてこないでほしい。
相手打者は初球を打って、サードへの強いゴロ。やや正面、後ろに打球を洩らさないように受け止め、ボールを丁寧に握る。一塁めがけて、鋭い送球を意識し放った。
「いい守備じゃん、太一」
大したことじゃない、と言おうと思ったが、こらえた。さっきも五十嵐に不自然に思われたばかりだ。
そして、6回1アウトで第3打席が回ってきた。相手ピッチャーは、マウンドを降りることなく続投していた。起用法には方針があることだから仕方ないが、少し気に食わない。相手投手はここまでで被安打2、四球3、無失点である。いまいち自軍は打ちあぐねているといったところだ。ここらで点が欲しい、そういったムードがある。いや、点数なんてものはいつ入ってもよいものだけれども。
ベンチからの指示はない。この場面ですべきことは出塁以上である。
一発狙ってみよう。
「ここで一発、見せてください」
とリキエルが言った。左手を上げて答え、バッターボックスに入った。
初球、インコースのシュートにヤマを張ることにした。最初の打席で引っかけた球である。
ピッチャーがモーションに入って、投げる。インコース。スイングする。コースは内角、だがやや甘い。ここから曲がると、ストライクのボール。打てない球じゃない。スイングする。いやストレートか。なら余計に打ち頃の球だ。ストレートの球のタイミングではないが、いいや、いっちゃえ。太一はボールに力を伝えるように、はじき返す。
ボールが飛ぶ。右中間方向。あたりはよかった。バットを離して一塁へ向かう。打球は野手の頭上を越えて、フェンスを、越えずに直撃する。2塁ベースを踏んだ。
「越えなかった」
思わずそう漏らしてしまった。
「シュートを意識しすぎた、けど、ボールを芯で上手く叩けた、うまいヒッティングだったよ」
「でも越えなかった」
「読み間違えていたのだし、仕方ないわ。むしろ良く打ち上げなかったと、私が褒めてあげてるんだから喜びなさいよ」
「はいはい」
ぼーっとしている暇はなく、ランナーとして出塁したので、監督のサインを確認した。打者へのサインはヒッティング。バントの指示が出て次の塁に行きたそうなふりをする。それができているか、そもそも相手に伝わっているかはわからないが。
相手ピッチャーの投げた球はほぼど真ん中に抜けた失投だった。太一が打ちたかったホームランは自分ではなく、交代で入った二番手ピッチャー6番鳴滝が放った。
「まあ、あれだね。あの球が来れば太一はホームランにできたかもしれないね」
そんなことを言われても、自分のときには来なかったのだから仕方ない、と太一は思った。
ホームを踏んで、鳴滝を迎え、ベンチへ戻る。
「ナイスバッティング」
と五十嵐が声をかけてくれた。
「それは鳴滝に言ってやってくれ」
「いやいや、太一が芯でとらえたから、向こうのピッチャーの集中が切れたのよ。ほら、どうやら交代するみたいよ」
「ありがと」
「いえいえ」
「ホームラン、打ちたかったんだけどなあ」
「もう一回、あるでしょ」
「あるかな」
「あるでしょ」
この後、試合の展開はこれまでの投手戦の空気はどこに行ったのか、均衡は破れ両チーム得点することになった。鳴滝もホームランを打って気が緩んだのだろうか。
そして五十嵐の言った通り、次の打席が回ってくることになった。
――――
それから冬を越しても六花の抱える病が快方に向かうことはなく、自宅療養の日々が続いた。
太一の学年は一つ上がり、六花はそのまま休学を続けることになった。
「大丈夫、治ったら一緒に学校に通えるから」
彼女がそう言ったのはいつだったか。本人もそう言ったことを口にしなくなったしまったところ、よほど体調の悪化が進んでいるのだと察せられた。太一は、彼女のために自分ができることは、このバッティングとサイドスローで、できる限り活躍することだと、そう思い練習をした。
夏がやってきて甲子園の予選会があった。結果は、学校の野球部としては歴代最高の成績を収め、ベスト8まで進んだ。負けた相手が甲子園に出場することになったのだから、致し方ない、というところだろうか。しかしその試合はコールドにはならずとも完敗であった。
「太一が本格的に投げられるようになっていれば、もう少し違った展開になっていたかもしれないよね。もう一年ある、頑張って」
と彼女は言った。その日は調子がいいからと、出かけ、一緒にファミレスへと向かった。
調子が良くて、出かけることができる、ということは、裏を返せば、調子が良くなければ出かけることすらできないほど、普段がもうすでに病に侵食されている、ということから、太一は目を背けざるを得なかった。
「パフェが食べたい。このしろくまパフェっていうの。たぶん、全部食べられないからさ、太一も食べてくれない」
夏だからさ、と言って、練乳かき氷の上にパフェが乗るというそれを、六花は注文した。
「しばらく、こういうの食べてなかったけど、またしばらく食べようと思って食べる機会もなくなりそうだからさ。
そうだね。また入院、することになったんだ」
そんな気はしていた。ただ、完全な完治が見込まれている病気なのに、なぜ目の前の彼女はそれに悩まされ続けているのだろう。
頼んでいたしろくまパフェがやってきた。メニューに載っていた写真では想像できなかった量の練乳かき氷が、そこにはあった。
「元気なら、これも一人で食べられたんだけどな」
「いや、六花が体調万全でそれ全部食べらたとしても、おなかを壊すんじゃないか」
「いやいや、女子の別腹はそういう風にはできてないから
でも、今日は一人じゃ食べきれそうにないから、手伝って」
あまりにでかいかき氷パフェは、意外とおいしく、太一は気が付けば六花よりも勢いよく食していった。
「ねえ、またホームラン、打って見せてよ。私、しばらく太一のホームラン見てない」
「わかった。ホームラン、また見せてやるから。誕生日にはそのボールを贈ってやるから」
「約束よ」
こうやって、太一と六花の間には、叶えられなかった約束が積み上げられていった。
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