第3話 ピッチャーフライ 3

 練習試合前、監督からオーダーと、登板の予定が伝えられた。太一は打撃の要であるとともに部内で一番手のピッチャーでもあった。その投法はサイドスローの変則ピッチャーということもあり、あまり手の内は知られたくないが、大会前の調整も兼ねている。初めの数イニングのみ任され、残りは余裕があればサードでということになった。

「太一、結構重宝されてるのね」

 とリキエルが声をかけてきた。周りがこちらを気にしていないことを確認してから、

「まあ、ね」

 と太一は返事をした。

「でも、良かった。太一のホームランもそうだけど、ピッチングも見たいと思ってたから」

 その話し方の調子がやはり六花に似ていた気がして、

「六花?」

 と聞くと、リキエルは姿を消していた。

「どうしたの、太一」

 と代わりに声をかけてきたのは五十嵐だった。

「いや、なんでもない。ただ、六花のために、今日はホームラン、打ちたいなって思ってさ」

「そうだね。橘さんのためにも、ね。それより、そろそろ試合前の練習の時間だから、グラウンドに呼んで来いって言われたからさ、太一、早く行こう」

「ん、分かった」

 そう言って太一は監督のもとへ行った。はっぱをかけられ、軽いキャッチボールをこなす。サードに入る予定もあるため、トップバッターで2、3度ノックを受けた後にグラウンド脇のブルペンへ向かった。

「っしゃ、まずはゆっくり投げ込んで来い」

 と、キャッチャーミットを構えた一ノ瀬が言った。それにうなずき、太一は肩の高さと同じところから、まずはゆっくりと腕を振り切り、一ノ瀬のミットへ向かって投げ込んだ。

「っしゃ。次はもうちょっと早く」

 言われたとおりにもう少し腕の振りを早くして投げ込んでいく。徐々にスピードを上げ、十数球ほど投げたところで、全力の球を投げた。

 パシッと一ノ瀬のミットから音が鳴った。横から投げていることもあり、おそらくスピードは出ていて130キロ前半というところだろう。遅くはないが、速くもない。けれど。右バッターには、右投げのサイドスローが打ちにくいことを、太一は身をもって知っていた。

「じゃあ、これも投げてみよう」

 サインはシンカーだった。言われたとおりに、ミットへめがけて投げる。右打者から逃げていく軌道になる右投げのピッチャーは、外に逃げる変化球も有効であるが、詰まらせる、という面において、内に食い込んでくるシンカーは脅威となる。それが空振りをとれるほどなら、なおさらである。太一はこれを完ぺきに打てるようになるまで、3年かかったのだから。しっかり右バッターの内角に投げることができれば、もしかするとプロでも打つのには手こずる可能性のあるボール。太一は、六花のあのボールを投げたいと思う一心で、このフォームとシンカーを習得したのだから。

「うん、調子は悪くないみたいだ」

 と一ノ瀬は言った。投球練習はこれで切り上げた。ベンチに戻ってからチームメイトで集まり掛け声。その後、ホームベースのそばに整列し、帽子をとって礼。試合が始まる。


――――

 六花からフェンス直撃の打球を放った一週間後の勝負は、六花が体調を崩し、流れることになった。

 その1週間後から秋の大会が行われ、太一はそこで打ったホームランを打った。ピッチャーとしても登板し、2回戦で投げた試合のウイニングボールをもらい、それを六花に送ることにした。それは去年行ったことと同じで、六花を傷つけるかもしれないとも思ったが、ウイニングボールを手に入れたのに送らない方が余計に傷つけると太一は思っていた。

 そのウイニングボールを渡しに行った日も、六花は体調を崩しており、渡せずにいた。

 渡せないままで、地方大会決勝で敗れることで終えた太一には、いくつかの高校から声がかかった。太一はそのどれかに進むことを考えていた。そのどれかは野球がうまく、太一を上達に導いてくれた六花が選んでくれれば、そして。できれば同じところに行ければいいと思っていた。

 渡したかったボールと一緒にそれを相談しようと六花に連絡を取った。六花の家に電話をかけると、予想していなかった事実が六花の祖母から告げられた。

――六花ね、今、入院してるのよ

――太一くんの大会が終わるまで黙ってて、って六花に言われていたから、黙ってたんだけど、終わったでしょう? たぶん六花は太一くんのこと待ってるからさ、良かったらお見舞いに行ってくれると、六花は喜ぶから。よかったらでいいんだけど……。

 太一はその病院と部屋の番号を聞き、家を飛び出した。疲れてるだろうからしっかり休むようにと監督に言われた言葉をなかったことにし、疲労をため込んだ体に鞭を打ち、自転車をこいだ。この街で一番大きな病院、今の家から二駅隣の駅前から一キロほど。早く着くなら電車を待って歩くより直接向かった方が速いと、10キロ近い道を自転車で駆けた。

 夕方に到着し、病室のドアを開けた。右奥のベッドに六花がいた。こちらのドアの様子を気にせず、六花は本を読んでいた。そして笑っていた。その表情に、太一は少し安心した、

「六花」

 六花は顔を上げ、太一を確認すると、慌てて本を隠し、掛け布団を抱いた。

「え、なんで太一がここにいるの」

「見舞いに?」

「ノックは?」

「何回かしたけど、反応がないから寝てるのかと思って開けた。ごめん」

「それは別にいいんだけど。ノック聞こえなかった私が悪いから。それより、ここのこと、おばあちゃんに聞いたの?」

「そう。今年の分のウイニングボールでも渡そうかと思って。聞いたら、入院したって聞いて」

「そっか、ありがとう」

 六花はボールを受け取って、しみじみとそれを眺めていた。

「どうして入院してるの?」

「なんにも。ただの検査入院だし、明日には退院するから、黙ってても問題ないかなって。

 でも、来てくれて嬉しいか、嬉しくないかだったら、嬉しいかな」

 相変わらずな回りまわった言い方をする彼女の言葉に、太一は少しほっとした。

「なら、よかった」

「お見舞いの品とか持ってきちゃった?」

「あ、忘れてた」

「あはは、太一らしい」

「ごめん」

「いや、そんなに欲しいってわけじゃないし、さっきも言ったけど明日には退院するから、もらってもしょうがないし、ね。

 それより、明日は、勝負しよう。ホームラン打てたらさ、去年のボールは返してあげるからさ」

 その勝負は、太一が六花の得意のシンカーを引っかけて凡打に終わった。次の勝負は一年後になった。

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