第3話 ピッチャーフライ 2

 試合前ミーティングに出るため、太一は学校へ向かった。家を出るとリキエルはついてきていた。しかし、通りすがる人は、彼女の目を引く金髪や白いワンピースに目もくれておらず、どうやら彼女は太一にしか見えていない、ということが分かる。

「リキエルってもしかして誰にも見えてないのか」

「そうよ、太一にしか見えてないよ。だから、あまりこっちに話しかけると変な人に見えちゃうから注意した方がいいよ」

 その言葉にうなずくのも変かな、と思い、そのまま学校への道を歩くことにした。

 周りに誰もいなくなったタイミングで、リキエルは太一に話しかけた。

「そういえば、太一は今日の試合、登板するの?」

 太一は周りの様子をうかがった。

「たぶん、と言っても今日は練習試合だから、少しだけかな」

「そっか」

 リキエルは少し残念そうに言った。

「私も、よかったら……」

 といったところで、リキエルは言葉を止めた。リキエルの方を振り返ると、五十嵐そよぎがこちらに向かって駆け足で向かってきていた。

「おはよう、太一」

「ん、おはよう、五十嵐」

「そよぎって呼んでくれていいって言ってるのに」

「ああ、それは、また今度な」

「野球部には功もいるんだから、分かりにくくなるしさ」

 功は五十嵐の弟である。

「うちの部員、功には功って呼んでるし、五十嵐のことは『五十嵐さん』って呼ばれているでしょ」

「それとこれとは話は別」

 その言葉を太一はスルーした。

「さっき、太一、誰かと話してなかった?」

 スルーされたことを気にせず、五十嵐は別の話題を振る。

「俺はそんな不思議キャラでは通ってない」

「そうかな」

「周りには誰もいないだろ」

 実際には太一の見えるところにリキエルがいた。

「まあいいや。太一、今日の試合、頑張ってね」

「それは今日出ることになってるはずの五十嵐の弟の方にも言ってやってくれ」

 太一は五十嵐とともに学校へ向かった。その数メートル後ろをリキエルがついてきていたが、五十嵐はやはり気づいてはいなかった。

 しばらく通学路を歩く。あと十分くらいの道だ。この北の地ではもう10月では秋もそろそろ終わりの気配を感じる季節である。肌寒くなってきて、もうすぐ初雪だって観測されるだろう。

 五十嵐は何かを言いたげにしていた。口を何度か開き、何かを言おうとしてやめる、といった動作を繰り返していた。

「どんどん、寒くなってきたね」

 ほかに言いたいことがあるだろうに、彼女はそう言った。

「そうだな」

 太一はそれをせかすことなく、そう応えた。そもそも、太一は彼女が言いたいことにあてがあった。

「今日は、六花の誕生日、だったな」

「……、そうだね。六花の誕生日だ。

 だから、頑張って、ね。ホームラン、打ってあげて」

「大丈夫、約束したから。打ってやるから」


――――

 あの日の六花は、自分が女子であることで勝てないことを知り、一度くじけた。悔しくて太一のウイニングボールを草むらに投げ捨ててしまった。

 そんなことをするべきではなかったと思いなおしたのは、その翌日の朝だった。登校前にグラウンドの草むらをかき分けボールを探した。汚れると思って来ていたジャージはそんなに汚れることはなかった。意外と簡単に見つけてしまったからだ。ボールのあったところの草は踏みならされていて、誰かが見つけた後で、そこにボールを置いたようになっていたからだった。

 ボールを拾い上げると、そこに文字が書かれていた。

「六花からホームラン打ったら、このボールは返してもらうぞ」

 六花は、思わず笑みがこぼれた。彼には打たせない、打たせてたまるかと思った。

 次の日から、一週間に一度、六花は太一と一打席勝負を行った。これまで太一は六花のボールを完ぺきにとらえることはできていなかった。今後、六花にかっこいいホームランを見せてやるために、太一はこれを越えなければならない試練だと考えていた。

 一か月は、まともに当てるのも難しかった。本気の彼女のピッチングは、球速はないものの癖のあるサイドスローと、空振りをとれるほど曲がるシンカー、遊びのストラックアウトを全部抜いたことのあるほどのコントロールにより、前に飛ばすことすら困難だった。なにより、六花と太一の付き合いの長さが、彼にとっては不利に働いていた。バッターボックスの構えで待っている球種が六花には読めていたのだ。

 凡退するたびに、嬉しそうに言っていた、「残念だね、太一」のセリフを、太一は何度聞かされただろうか。しかし、六花は、見つけた欠点をすぐに太一に教えた。勝負には本気だったが、六花は自分自身にはできない、『かっこいいホームラン』を太一に託すために、気になっていることのすべてを伝えたのだった。お前にはこういうところが足りていないぞ、と。

 それが三か月続いた。やっと前にとらえた当たりが飛んだ。

「太一は、やっぱりすごいよ」

 と六花は言った。

「ちゃんと教えた欠点はなくなってきてるしさ。私より遠くにボールを飛ばせるしさ

 でも、ボールは太一が言った通り、ホームランを打つまで返してあげないから」

 そして太一はどんどんバッターボックスでの癖をなくした。そして、どうすれば鋭く打球を遠くまで飛ばすことができるか、その打ち方やフォームを研究し、身に着けていった。その行動が実ったのか、チームでは4番を任されるようになり、注目をあびるようになった。

 六花は、それが悔しくて、でも嬉しかったのだった。

 もうすぐ六花の次の誕生日を迎えようとしていた。六花ののらりくらりと太一の打ち気を交わし、タイミングをそらすピッチングにより、ホームランは避けていた六花だったが、打球は月に1度は外野の深いところまで飛ぶようになっていた。この六花の誕生日前の最後の勝負で、太一は決めてやろうと心に誓っていた。

「次は、私の誕生日のあとになるよね、太一」

「……そうだな」

「だからこそ、私は、太一には負けない」

 そう言って投げた一球目は、今まで六花が投げていたストレートより速いスピードの直球が来た。ストレートにヤマを張っていた太一だったが、早さに負け、一塁側へボテボテのファウルボールを打った。その様子を見て六花が笑った。

「もう少し、油断せずに打席に入って。変な先入観は捨てるの」

 太一は、確かに六花の言うことは正しいが、こちらの癖を見抜いたうえで行ってくるのだから、何をたわけたことを、と思い、苦笑いをした。そして、集中し、バッターボックスに入る。

 二球目はシンカー。太一の読みは当たっていた。スイングするが、思いのほか内角低めに投げ込まれた。当ててしまい凡打になるのを避けるために空振った。

「太一の考えてることはお見通しだから」

 六花はもう一度シンカーを投げてくる。太一はそう読んだ。そう考えていることを悟られないように、いつものルーティンでバッターボックスに入る。

 三球目、やはりシンカー。外のボールゾーンから内に入ってくる軌道。追い込まれていることもあり、読みが当たったのでスイングする。思ったより外角、泳がされるが、インパクトで強くはじくことを意識し、はじき返す。

 ボールはライトへ高く上がった。六花は、このゾーンなら勝負してもホームランにはなるまいと思って投げていたので、驚きの表情でライトを向く。ボールは……長い滞空時間の後に、フェンスに当たった。

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