第3話 ピッチャーフライ 1

「おい、太一、起きろー。今日は練習試合の日だろ」

 懐かしいフレーズが聞こえてきたなと、宮本太一は思っていた。

「六花か……夢の中でくらいわざわざ起こしてくれなくてもいいだろう」

 太一は、寝ぼけていたから、その言葉のおかしさに自分自身で気づくことができなかった。

「寝ぼけてんの、太一。六花なんかじゃ、ないぞ」

 しかし、この口調はまさに六花みたいだと思いつつ、じゃあ誰なんだと目を開けた。太一の目の前にいたのは、金髪の小柄な少女だった。

「あれ、六花、金髪ロングのウィッグなんて持ってたっけ」

「だから、六花じゃない。私はリキエル」

 まだここは夢の中なんだろうと太一は思っていた。なぜなら、六花がそこにいるわけがないし、仮に六花でなくても、金髪の少女がそこにいるわけが分からなかったから。夢の中でも話は続いていくように、太一は思ったことを口にする。

「そうだ、六花。まだ今年の分のホームランを見せてないよな。今日の練習試合では打つから。見に来てくれるよな」

「……そう。分かった。見てあげる」

 その返事を聞いて満足し、目を閉じる。今の会話を思い返すと、太一は目の前の人物がいることが自分の記憶との間に齟齬があることに気づいた。

「あれ、六花じゃない」

「だから、そう言ってるでしょ。おはよう、太一」

「……おはよう。えっと、どちらさま?」

「リキエル、って呼んでもらうことにしてるわ」

「どうも。俺は宮本太一」

「知ってるわ」

「……で、リキエルは、どうしてここに」

 リキエルは新しめのノート一冊を太一に渡した。

「私はね、太一が今日を一番いい日にするために来たの。太一は、今日を繰り返して、一番いい日にできる。詳しくはそのノートに書いてあるから」

「そうか」

 ノートには『繰り返す一日のしおり』と書かれていた。その字はどことなく、六花の書く字に似ているよな気がした。

「やっぱり、六花ってことはない? どことなく名前も似ている気がするし」

「六花って誰ですか。知らないですよ」

「まあ、いいか。じゃあ、これをとりあえず読んでみればいいのか? といっても今日はあまりそういう時間もないのだが。練習試合なんだ、野球部の」

「それも知ってる。とりあえず、簡潔に言うなら、満足するまで今日を何度もやり直すことが出来るってこと」

 言葉の意味は分かったが、理解できていない太一だったが、とりあえず今日の準備をすることにした。遅刻するわけにはいかない。


――――

 太一が間違えた六花という人物は、橘六花という宮本太一の幼馴染だった少女のことであった。太一にとって彼女は野球を始めるきっかけになった人物であり、かけがえのない人であったはずだった。

 そのきっかけは、まだ太一が六花より背が小さなころだ。

「かっこよくホームランを打ってみたい」

 と幼き頃の六花は言った。太一はそれに対抗するために、六花より先にホームランを打つために野球を始めた。

 そもそも六花は彼女の祖父の影響もあり、野球の中継をよく見ていた。。それもあって、太一とともに太一の父の野球チームに混ざるようになり、彼女は小学5年にもなったころには周りの同年代のどの男子よりも早い球を投げ込んでいた。

 そして野球ゲームが好きだった。そのゲームの女性野球選手をいたく気に入っていた。左投のサイドスローでスクリューボールが特徴のキャラクターだ。六花は右投げだったが、サイドスローでシンカーを投げる練習をしていた。野球を教えてくれていたコーチは「やりたいようにやってみるのが一番」と言ってくれる、よく言えば好きなことをのびのびとやらせてくれるようなタイプの指導者だったこともあり、頭がいい彼女は試行錯誤を重ね、みるみるその才能を開花させていた。

 彼女には野球のセンスが間違いなくあった。動体視力がよく、バットにボールを当てることがうまかった。そして身体の動かし方が上手だった。だからこそ、子供の小柄な身体からでも糸を引くような直球を投げ込むことが出来ていた。そして、頭が良かった。状況判断がうまく、そして相手の心理を読むのが上手かった。彼女はそのセンスで、身体的なハンデがあっても男子より野球が上手かったのだ。

 太一はしばらく彼女のボールを打つことが出来なかった。直球ですらコントロールよく打ちにくいところに投げるのに、彼女の投げるシンカーは、打者から空振りをとれるほど曲がっていた。キャッチャーも取りこぼしてしまうほどだった。

 中学に入学しても、彼女はまた速い球を投げ込むようになった。そして、バッティングもヒットにすることに関しては素晴らしい技術を身に着けていた。

 ただ、彼女はホームランを打つことはできない。それは、その体格から明らかだった。彼女は女性の中でも背が低かったからだ。正確に言うなら、成長が止まってしまったのだ。球速も伸びてはいたが、周りの男子に比べればそれは微々たるものだった。いつの間にか成長した太一の方が速い球を投げ込み、ボールを遠くまで飛ばせるようになっていた。

「俺は、お前の代わりに、速い球を投げて、ホームランを打つから」

 太一がそう宣言したのは、中学二年の秋、彼女の誕生日の前だった。

 その誕生日の日、気づけばエースで3番を任された太一は、その日あった試合で相手チームを無失点に抑え、ホームランを2つ放った。試合後に、最後に三振に取ったときのボールを六花にプレゼントした。

「いらない」

 六花はそう言って、受け取ったボールを草むらに投げ捨てた。

 そんなことがあった。

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