第2話 天使、しろくま、ホームラン 6

 球場につく。母校の試合は今の試合後に始まるらしい。球場の外には、ちらちらと見かける顔がいて、おそらく同じ高校の生徒だろうと思われる。意外とみんな応援に来るものなのだと思う。友達の応援なら当たり前かもしれない。ちょうど休日に重なったのも好都合である。

 青野と白石とは別行動をとることにした。付き合い始めて一か月のカップルに構うのも憚るし、そもそも彼らは二人で来たのだから、ずっと邪魔をするわけにもいかない。

 球場の客席へ入場し、席をとる。人はまばらだが、休日ということもあり、制服で応援に来ている人たちもちらちらを目立っている。

 千咲が「ちょっと花摘みに」と言って席を外しているときに、姿を見せたリキエルに話しかけることにした。リキエルは野球が好きそうだから、と思い、質問を投げる。

「リキエルは、速い球を投げる人と、遠くまでボールが打てる人、どっちが好き?」

 目の前では野球部員が、試合前の最後の練習を行っていた。ノッカーがボールを打ち、守っている選手がそれをキャッチ、返球していた。

「そうね、遠くまで打てる人かな」

「じゃあ、自分の高校だったら、宮本太一、だね」

「知ってる」

 かなりぶっきらぼうに答えられて、遠野は戸惑った。その宮本太一は、ファウルゾーンでキャッチボールをしている。どうやら、投手として先発する様子だった。彼は、この学校で一番速い球を投げ、ボールを遠くまで飛ばせる男だった。たまに練習なんかを見ていると、何かにとりつかれたかのように真剣に練習に取り組んでいるように見え、彼を憎める奴なんて、そんなにいないだろう。すこし口数の少ないやつだが、いいやつだ。

「そうか、リキエルは光蘭の生徒に最高の一日を配って、そして見届けてるんだもんな。野球部の人にだってその一日を与えたことがあって、知っててもおかしくないか」

「そうね」

 リキエルは、何か気になることがあるのだろうか、やや、上の空にそう言った。

「リキエルは、今まで見てきた人で、面白いやつだな、とか、印象深い人とかいるの」

 その問いに考えてから、少し言いたくなさげに、でも秘密を洩らしたい、そう言った雰囲気で、リキエルは答えた。

「その、宮本太一、だね。彼は、私にとって、印象深い人だわ」

 その返事を聞くと、やはり彼と少し話をしてみるのは面白いのではないか、と思う。

 ふと、リキエルは姿を消した。千咲が帰ってきたようだ。そして、地方大会の三回戦の試合が始まった。

 遠野の学校の野球部は、性質としてはワンマンチームみたいなもので、その宮本太一がいなければ、今日は勝てなかったといってもいいだろう。3回戦というところまで来たということもあって、弱いチームは姿を消しているし、相手チームはかつて甲子園に出場したこともある歴史あるチームだった。

 そんな相手に彼は投げては6回までを1失点で止め、打つ方では4回出塁し、内1回は弧状になっている側の柵の向こうまでボールを飛ばした。7―3で勝っていた。途中でマウンドを譲ったのは、本気で先を目指しているからか、より強豪校と当たるまで、できるだけ疲れさせたくはなかったのだろう。彼に引っ張られてなのだろうか、2年ほど前までは野球では何もとりえのない高校だったはずの公立校が、3回も勝てたのは、彼以外のレベルも上がったからだ。

 遠野は、その試合を見て、彼には勝てん、と思うしかなかった。あのホームラン、フェンスを越えて飛んで行ったボールは、防護ネットにあたるまで地面に触れることはなかった。そんな目に見える形で圧倒的なことができる人間が果たしてどれくらいいるのだろうと思った。

「すごい打球だったね」

 そんな、千咲の応援しているとは思えない気の抜けた言葉に、ふと意識を取り戻した。いや、そうじゃない。自分には小説があったはずだ。文章があったはずだ。それはきっと彼にはできないことのはずだ。

 でも、そんあ遠くまでボールを飛ばせる彼が思ったこと、そしてリキエルが印象深いと言った彼について、聞きたいことができた。

 今日しかない。2回も繰り返したんだ。ここで動かなければ、今日を終えることはできない。そう思って、千咲を家に帰し、野球部が解散するまで待ち構えることにした。


 野球部が現地解散したようで、助かった。このまま学校へ戻られていると捕まらなかった。宮本を見つけ、一人になったところで声をかけることにした。あそこまで活躍すると人気者のようで、むしろ野球部以外の人がたかっており、野球部員はもう帰ってしまったようだった。

「宮本君、こんにちは」

「ああ、えっと、遠野、だっけ」

「あってる。聞きたいことがあって……というか、取材みたいな感じになっちゃうと思うんだけど、ちょっと時間あったりする」

 宮本は少し考えこんだ。

「何か、聞きたいことがあるのか」

「そう、ある。天使を名乗った少女が、宮本君には特別な印象があるって言っていたから、というのが一番の理由かな。信じてもらえなくてもいいけど」

 宮本は、どちらかというと不愛想で口下手なやつなのだが、遠野の言葉を聞き、目を見開いた。すこしして、少し嬉しげで、それでいて悲しげな表情で、言った。

「わかった。三十分くらいなら、時間は取れそうだから、そこのファミレスでちょっと話そうか

 ああ、そうだ、人に待ってくれと言われているところだから、その人が来るまで待っててもらえるかな」

 と宮本が言ってすぐに、彼の待ち人が現れた。五十嵐そよぎだった。彼は彼女に何か伝え、ボールを渡して、彼女を見送っていた。

 

 遠野は宮本と一緒にファミレスへ場所を移した。

「聞きたいことって、なんだろうか」

「ああ、そうだった。本題の前に、一つ聞きたいんだけど、いいかな」

「まあ、いいけど。でも、人を待たせてるし、話は三十分くらい、だからな」

 宮本は少し不機嫌そうな顔をした、気がした。そもそも彼は不愛想でいつもすこし不機嫌そうな顔をしている。そう見えるだけでいいやつなのは分かっているが、その表情には興味を追ってくれないでくれというオーラがある。しかし、遠野には聞かずにはいられないことがあった。

「オッケー、分かった。じゃあ、質問その0、五十嵐さんとどういう関係なの」

 宮本は、呆れたような表情をした、気がした。

「親友の親友、かな」

「それは、つまり、付き合っているとかではなく?」

「ああ、遠野って五十嵐に気があるの」

 図星を突かれ、遠野は動揺する。

「う、まあ、そうかな」

「別にいいんじゃないかな、そういう感情を持つことは、自由なんだから。

 で、そろそろ本題に入ってくれないと、時間がないんじゃないか」

 肝心の答えが聞けていない気がするが、遠野は、本題に入ることにした。

「わかった。

 本題なんだけど、宮本は、天使だと名乗るやつを、会ったことがある?」

 表情が読みにくいが、宮本はその問いに対し、どう答えるかを悩んでいた。答えられないことなのかもしれない。

 そのタイミングで店員が来て、ドリンクバーを頼む。

「俺が飲み物取ってくるよ。宮本は何がいい?」

「じゃあ、アイスのミルクティー」

「わかった」

 ドリンクバーの方に向かうと、五十嵐が遠野たちの席からは少し離れたところにいた。宮本が待たせているのは、五十嵐らしい。少し気にはなるが、時間がない。ドリンクをとって、席に戻る。

「リキエル、って名乗った少女になら、会ったことがある」

 と宮本は席に着いたばかりの遠野に言った。

「そうか。じゃあ、良かったら、その日のことを教えてくれないか」


 ここから聞いた話は、遠野にとっては一つのきっかけで、そして、何よりも興味深い話であった。遠野は、宮本にその話を参考に、小説を書いて、発表することの許可をもらった。曰く、

「こんな、天使がどうとかいう話は、フィクションという形にして、さらに嘘を足して面白い話にするのにもってこいだと思うし、別に俺は気にはしない。よかったら、書きあがったのを見せてくれると嬉しい」

だそうだ。

 それを忘れるわけにはいかず、なかったことにするわけにもいかず、午後4時から、今日の終わりまでの8時間で、一気に短編の小説を仕上げた。

 これが、遠野の繰り返す一日の終わりとなった。

 最後に、リキエルに聞いた。

「リキエルって、みんなの記憶から消されるんじゃなかったの?」

「おかしいけど、きっと何かと勘違いしてるんじゃないかな」

ささいな矛盾が気にはなったが、もう限界だった。遠野は原稿を送ることを忘れ、眠りについた。そこで、十二時を回った。流していたラジオからは次の日の日付が放送された。

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