第2話 天使、しろくま、ホームラン 2
ということで、思いがけず半永続的なプロット捻出期限ができた。そう思ってとりあえず、時間ができたので、寝ることにした。遠野は別途に横になろうとしたとき、
「私、できれば何度も同じことを繰り返すの見たくないから、今日が終わるまでに、必ず一案のプロットを私に見せてね」
と言ってきた。
「それは、厳しいですね」
「でも、遠野君の締め切りは一昨日だったんでしょう?」
「そうだけどさ」
「私、小説とか好きでよく読んでたから、うるさい方だとも思うし、私が認められるプロットができるまで、頑張ってね」
もしかするとこれはラッキーどころか終わらない悪夢かもしれない、と遠野は思った。
いつの間にか寝ていたようだった。起きて部屋を見渡すと、リキエルが本を読んでいた。なんだろうと本を注視すると、自分のだった。
「作者の目の前でその人の本を読むのやめて」
「あれ、寝てたのだから、いいじゃない」
「そりゃそうだけどさ」
「意外と面白いのね。私、結構小説を読んでた方だと思うから、批判してあげようと思ったのだけれど。今日のプロットが楽しみだわ」
「鬼か」
無駄にハードルを上げないでほしい。
「そういえば、ペンネームは、『遠山徹』で、とおやまてつ、って読むんだね。遠野君って確か、こう書いて……」と言って、リキエルはポケットからメモ帳とペンを取り出し、『遠野徹』と書いた。「これで、『とおのとおる』って読むんだよね。むしろ本名の方が韻を踏んでて面白いと思うんだけど」
「本名で書くの、いやだったんだよ。それと、いいのが思いつかなかったんだ。あと、響きで、硬派な印象を与えるから、覚えてもらいやすそうだって、編集さんも言ってたからさ。これでいいかなって」
「ふうん、なるほどね」
実はそんなに考えてはいない。知り合いの作家さんが白崎を白鷺と、下の名前の桃花を『つき』と読むことがあるからと、『白鷺月』と書いて「しらさぎのつき」と読ませている人がいたから、それにあやかって、自分の名前と読みをアレンジして付けただけであった。ただ、圧倒的に彼女の方がおしゃれであって、どこか悔しかった。
自分の本を読んでいるリキエルについてはとりあえずほっとくことにし、案をひねり出すために外出することにした。別にサボりではない。
遠野はどちらかというと、読ませる文章ではなく、等身大なティーンへの小説、ライトノベルに近いエンタメ短編小説で認められていたため、アイディア出しが一番大事なところである。ペンネームと作風の雰囲気があってない気もするが、そこがいいんだ、と編集さんは言っていた。
どんなアイディアでもいいから、とりあえずポンポン出してみること、それが、近所の知り合いの売れっ子小説家のおばさん、白鷺月の言葉だった。一度、遠野は本人のそばで「白崎のおばさん」と言ってしまい、読ませる文章と比喩で世界観を構築した作風である彼女らしい、遠回しなはずなのにエッジのきいた言葉でメンタル面に口撃されてしまったことがある。本人の前でおばさんというのはNGである。いくらそれが真実だとしても。
その娘、白崎千咲と遠野は幼馴染であった。
千咲は「私の名前より母さんのペンネームの方が考えた時間長いよね。私なんか、絶対語感で決めてるでしょ。しらさき、ちさき、ってさ。自分で気に入ってなくはないけどさ」と言っていたことがある。それは遠野自身も思っていて、自分自身の名前もとおの、とおる、といかにも語感で付けた名前であった。遠野の母が言うには、「私がこういう名前にした、という話を白崎さんにしたら、それいいわね、私もそういう名前にしようかしら」と言っていたことがあるらしいから、つまり千咲の名前の遠因として、遠野の存在自身もあったことを知っていたため、返答に困ったことがある。
遠野の散歩は、そんな彼女の家がある方向に向かっていた。歩く住宅街を、うまく描写できた方がいいのだろうか、と考えながら散歩していた。しかし大して良い描写は浮かんでこない。私的には、うだうだと比喩表現をこねくり回して書かれた文章には何の目新しい情報も入ってこないので、あまり好きではないが、そういうことができると表現力がある、と評価されてしまう世界なのだから、そういう力はぜひともつけるべきなのだ。ただ、苦手なものは仕方ないだろう。必要に迫られれば、きっと何とかなるはずだ。何ともならなかったら、そうなるしかない。得意なことで勝負しなければ、勝ち目がない。遠野は心が弱気にならないように、自分に言い聞かせた。
考え事をしながら歩いていると、白崎家の前にたどり着いていた。
「お、やっほー」
と、白崎家の二階の窓から、千咲の声が聞こえた。
「やっほー、じゃねえ、俺はお前の先輩だぞ、敬語を使え」
「徹あいてに敬語なんて一回も使ったことないでしょ、使われたかったら、もう少し、先輩オーラを出しなさいよ、たった三か月生まれるのが早かっただけで偉そうにするんじゃない」
「あー、わかったわかった」
三か月の違いが、一学年の違いを生んでしまった例である。
「そういえば、徹、ちゃんと覚えてるよね、今日はお出かけ、付き合ってもらうってこと」
「……ああ、覚えているぞ」
遠野はそんな約束をした覚えはないが誤魔化した。千咲と会話をした覚えはあるが、何を話したかを覚えていない。きっとそのタイミングでそういう話が合ったのだろう。
「覚えてたら、こんな早くここに来ないで、約束の時間に来るはずだから。絶対忘れてたでしょ、嘘つくんじゃない。忘れてたんだから、あとでスイーツ、おごってよね」
まったく誤魔化せていなかった。正直なところ、いいプロットが全然浮かばずにいて、そんな約束をしていたということを失念していた。
「はいはい、分かった、おごるからさ」
「やった。じゃあ、約束の時間になったら、またここにきてね」
千咲はそう言って手を振っていた。手をひっこめて、窓が閉じ、千咲が外から見えなくなった。さて、約束の時間とはいったいいつだろうか。そう考えていた直後、白崎家の玄関が開いた。
玄関からは、千咲の母、小説家、白鷺月こと、本名を白崎桃花がでてきた。実質的には白崎のおばさんである。
「海野ちゃんから聞いてるよ。あんた、期限破ってまだプロット出してないんだって」
海野ちゃん、というのは、朝電話をかけてきた編集さんである。女性の年齢を気にすると云々、という話もあるが、桃花の十くらい下らしい。
「すみません。これでもない、あれでもないとやっているうちに、時間が過ぎちゃって」
「いやいや、分かるわ、私もそういうのはよくやってたから」
「そうですか。でも、桃花さんに海野さん紹介してもらったのに」
「まあね。ただ、前の短編の反響がだいぶ良かったみたいだから、売り出すなら、もう次の一手を海野ちゃんも打ちたいの。私もあんたのこと、買ってるからさ。」
「ありがとうございます」
「でも、そういう期限破っているのに、うちの可愛い娘とデートするってのは、ちょっと許せないかな」
「いや、デートとかでなく」
「だから、千咲には、あんたのこと、見張ってもらうから。そのつもりでね。約束の時間の十二時になったら徹くんの家に行ってもらうから、ここに来ないで、気合でプロットでも練ってなさい」
遠野は頷いた。約束の時間の情報を得たことに一つ満足を覚えた。
一つ疑問が解決すると、ふともう一つ、好奇心から疑問がわいたりするものである。いま自分に怒っている荒唐無稽な天使のいる状況について話してみたら、この人はどういう感想を抱くのだろうと疑問がわいた。
「そういえば、今朝、自分の前に天使が表れて、自分が満足するまで、一日を繰り返すことができるって言われたんですけど……」
「そう、そういう風に、突拍子もない設定とかがあると、とっかかりにしやすいからね。いい調子だ。もう大丈夫そうだね。あとは、一日、それがどういう風に面白くするかを考えるんだ」
やっぱり、現実に起きていることだとは信じてくれなかった。じゃあね、と言って桃花はドアを閉めた。
「当たり前じゃん、私でも信じないわ、こんなこと」
とリキエルがいきなり現れて後ろから言ってきた。これをもたらしてくれた本人のはずなのに、信じられないとは言ってくれる、と遠野は思った。
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