第2話 天使 しろくま、ホームラン 1
「本当にごめんなさい、明後日の打ち合わせまでには、必ずプロットあげますので。明日は学校の休みですので、必ず上げますので」
今まで、実直に締め切りを守り続けていたからこそ、担当の編集さんは、いまだにプロットを上げられない自分に対して、ややきつめに、でも厳しく扱ってくれているのだろう、と遠野は思っていた。しかし、今回は難産だ。ピンとこないとかいうレベルではない。本当に書きたかったものとは何だったっけ、と考えてしまうほどの泥沼にはまってしまっていたのは一週間前。そこから案がまとまることもなく、プロットを出してくれ、という期限にあたってしまった。
しかしネタ出しのためには、間違いなく、その脳が極限であるわけにはいかない。
何度も書いては二重線を引くことを繰り返したノートを閉じ、眠りにつくことにした。二十二時を少し回ったころには布団の中に入ってしまった。ここのところ、うまい案も出ず、睡眠時間を削ってしまっていたので、すぐに寝付くことができた。そんな昨日のことを思うと、遠野は我ながらマイペースだなと思わないでもなかった。
目を覚ましたのは、朝の五時だった。今日中に一発、案を出さなければ見限られてしまうという切迫感からか、ずいぶんと早く起床したのだろうと、遠野は考えた。
何かをしなければ案も出まいと思い、本棚を眺めた。しかし、どの本を読んでも、それがいいアイディアになるような気がせず、手が止まる。
普段しないことをすればいいのではと思い立ち、この時間の外を散歩しよう。そう思って天気を確認しようとカーテンを開ける。夏至も過ぎ、七月の朝はこんな時間でももうすでに明るかった。のだが、気になる姿が目に入り、それどころではなかった。
窓に薄く映った室内に、金髪少女がいるように見えた。
驚き振り返ると、そこには窓に映っていたのと同じ、金髪のかなり小柄な少女がいた。
「え、誰?」
少女に聞いているのか、自分自身に問いかけているのか、遠野にもそれは分からなかったが、そう声に出していた。
「私はリキエルです」
「それは、あなたの名前ですか」
中学生の英語の和訳会話のような言葉が口に出る。
「はい、そうです」
彼女もまた、中学生の英語の和訳のようなセリフで答えた。ただ、そう答えられても、遠野には何も分からなかった。まず、何が分からないかが分からない。
「あれ、ここは俺の部屋だよね」
「そうだね、遠野君の部屋だ」
「じゃあ、リキエル、だっけ。なんでここにいるの」
「それは、ですね……そういえば、遠野君、小説家なんだっけ。こういうこと言うと失礼かもだけど、体つきに似合わず、繊細なことをやってるんだね」
よく、何の協議をされているの、と聞かれるその身体は、親からの遺伝としか言いようがない。ただ、健康な身体があることは、遠野にとってはとても喜ばしいことだった。ただ、身体を動かすことより、頭を使うことが好きだった、想像することが好きだった。それだけのことだと考えていた。
「別に体格に性格や好みが出るわけじゃないからな」
「じゃあ、小説家らしく、どうしてここにいるのかの理由当ててみてよ」
挑戦的な口調でリキエルは言った。
「よく、そういうこと言われるけど、小説家は探偵じゃないから。そういうの無理」
たぶん、こんな情報量じゃ、探偵でも厳しいのでは。
「でも、想像力が豊かなんでしょ」
「まあ、それはそうかも」
「じゃあ、妄想でいいから、当ててみて」
リキエルは少し期待した表情で言った。
「なら、希望に応えて……。
リキエルは、俺のことが好きで……」
「バカでしょ、遠野君って」
「失礼だな、妄想でいいって言ったのはアンタの方だろ」
「まあね。で、何が起こったかを、聞きたい?」
「そりゃ、なんでここにアンタがいるのかが納得できなきゃ……もしかして、プロットの催促とかですか」
「なんで急にビビってるの」
「いや、締め切りが二日前だったんです」
「急にしおらしくなりやがりましたね、遠野君」
「どうにか、どうしても、今日中にはプロットを仕上げてしまわないと見限られてしまう……どうにかならないか」
「それが、どうにかなるんですよ」
リキエルは、ない胸を張って、そういった。
「失礼なこと考えてない」
「なんのこと? それより、どうにかなるってのは、どういうことかな」
遠野は疑問を口にした。
「ちなみに、遠野君は姿に似合わず空想、妄想が好きだそうなので、一度体験してからネタ晴らしコースと、もう教えておくコースがあるけど、どっちにします?」
少し思案した。それも面白そうではあるが、もうすでに、よくわからない女が前にいる状況に対する答えが欲しいという方が勝った。
「今、何が起こっているのか、これから何が起こるのか。教えてくれ、すぐに」
リキエルが笑う。遠野はそれを見て、これを不敵な笑みだというのだなと思った。
「わかったよ」
そして、リキエルは、遠野自身が満足するまでこの日を繰り返すことができることを教えてもらった。
「詳しくは、このノートに書いてあるから」
遠野はもらった、少しぼろくなりかけのノートを受け取った。
ノートを確認しようとしたとき、突然電話が鳴った。いや、電話は突然鳴るもので、鳴る前に、なることを予告されたら、その予告こそがまた驚かす要因になるから、つまり突然以外に電話は鳴らない。
「電話、取らないの?」
「取らないといけないのは分かっているんだけど、出たくねえ」
遠野は言ったことと反対の行動をとった。
「もしもし」
「海野です。徹君、プロット、できたら今日までにまとめてね。明日、私が白崎さんに会いに行くときに、打ち合わせしましょ」
白崎さんはとは、遠野の幼馴染、白崎千咲の母、桃花のことで、彼女は売れっ子小説家である。
「……わかりました」
「もしかして、徹君、大丈夫じゃない?」
「いや、大丈夫なんで」
「みんなそういうんだよね」
「なんとかなりますから」
「そう? 期待して待ってるよ」
そう言って、電話は切られた。遠野は思わずため息をついた。
「遠野君さ、ため息ついてるけど、プロット出来上がるまで、今日を終えないという選択もあるんだよ」
「……どういうこと」
「そのノートを見ればわかるよ」
手元にあるノートの表紙には、『繰り返す一日のしおり』とあった。中をぱらぱらと確認してみると、箇条書きでルールがかかれていたり、但し書きが書かれていたり、後ろの方には日記みたいな書き込みが見つかった。
「すごい、設定資料集だ」
「ルールブックです。繰り返す一日のしおりです」
すねた声でリキエルは言った。設定資料集という響きが嫌だったらしい。
遠野はざっと、内容を確認し、一つ疑問をリキエルにぶつけることにした。
「この繰り返す一日ってのは、やめるタイミングは自分で決めれるのか」
「そうだね。ただ、あまりにも前向きな理由なく無駄に過ごしていたら、打ち切ろうと思ってるけど」
「なるほど」
これは、ラッキーチャンスなのではなかろうか。思いつくまで、この一日を繰り返すことができる。
「じゃあ、次のネタ出し、思いつくまでずっと繰り返してもいいということかな」
「まあ、だいたいはそうかな」
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