第1話 天使が見た2日間 7
そして、最後の『今日』となる一日が始まった。
「ま、本気でこの一日にかける、とか思っても繰り返したことは忘れるし、都合のいいように記憶は改ざんされるから、これで繰り返しを終えると思っても気楽にやんなさいな」
とリキエルに声をかけられた。緊張感でも漂っていたのだろうか。
「わかったよ、リキエルさん」
「そ。じゃあ、まあ、頑張ってね。私は陰ながら様子を見守ってるよ」
「ずっと見守ってくれてたくせに」
「案外、そうでもないわよ」
「あれ、そうだったの?」
「まあ、ね。ただ、最初の日と最後になりそうな日は、レポートにしないとだから」
課題でもあるのだろうか。
「提出でもするの?」
「なんで、誰かに見せないといけないのよ」
「レポートにするっていうから、さ」
「ああ。これは、誰かの一日を大きく変えてしまって、運命を変えてしまう。なのに、みんなは忘れてしまうから、せめて私の中で記録は残そうかな、と思って書いているだけよ。私物よ、私物」
「思ってたより、律儀で偉いんですね、リキエルさん」
「青野君は今まで私をどういう目で見てたの」
目をそらさずにはいられない。ツンケンした態度から、もう少しおおざっぱな人だと思っていた。
「目をそらした態度で察したわ。まあ、そう思われるようにしている、みたいなところはあるから。こっちから身構えてたら、みんな緊張しちゃうからね」
「リキエルさん、結構ちゃんと考えているんですね」
「まっ、地を出した方が気楽というのがあるけどね」
それがどの程度本気なのか、なかなかつかみどころがないと青野は思った。
さて、まずは、待ち伏せして得る白石に、サプライズである。
といっても、あまり思いつかなかったので、私服のまま自転車に乗って通学路を通ることにした。ある意味、非常にサプライズになるはずである。いつものところに差し掛かる。
「おはよう、青野君……って、あれ」
「おはよう、白石さん」
「あれ、どうして制服着てないの、あれ?」
「ちょっと、用があって、ね。午前中は休もうかなっと思って。でも白石さん、ここで待ってそうな気がしたから。あと、待っててね。ちゃんと放課後には返事をするから」
青野はそう言って自転車をこいで去った。そのまま、街へと向かった。
三十分も自転車で走ると、この光蘭の街で栄えたところに出る。百貨店のオープン時刻まで時間があったので、行く当てもなく、時間つぶしに海を見に来た。
海辺の町に住んでいるというのに、それにかかわりのない日々を送っていたから、海を見に来たのはいつ以来だろうか。
「君も、特別な日には学校をさぼる人なんだ」
「うわ、びっくりした。リキエルさん、もしかしてずっとついてきたの」
「そうね。見届けるって言ったでしょ」
リキエルは青野の自転車の荷台に座った。
海岸にはやはり平日の午前中ということもあり、人の気配はなかった。季節もまだ夏とは言い切れず、潮風も涼しい。
「やっぱり、何か大きなことをなすときは、いつもの枠組みからは外れないと手が届かないと思うから、みんなの気持ちも分かるけどな」
「そりゃ、青野君は、実際にみんなと同じく学校をさぼって海なんかに来てるから、その気持ちがわからないわけないじゃない」
「そうだね」
風は涼しいというよりも、むしろ寒いかもしれない。
「そういえばさ、リキエルさんは、なんで僕のことを、『青野君』って呼んでたわけ?」
「青野君、それは絶対忘れちゃうやつだから、聞く意味ないよ」
「それでもさ。『今日』はこの日で終わらせようと思うから、そのお土産として、さ」
リキエルは、悩んで、それから言った。
「まあ、建前として答えるなら、 白石さんが『青野君』って呼んでたからかな」
「『建前として』ということだから、理由は別にあるってことだよね」
「そうね」
「どうして」
「それは、内緒ね」
「教えてくれないなら、もう一回やり直そうかな」
「無駄だよ」
「そうだよね」
波の音が絶え間なく聞こえてくる。
「青野君は、橘さんのことが好きだったんじゃなかったっけ」
「あれ、なんで知ってるの?」
「前に、教室でそういうこと、話してたでしょ」
「そういうことも、リキエルさんは聞いてたの」
「そうね」
空はきれいに澄んでいて、空の海の青の境界を青野は眺めていた。
「でも、橘さんは、もういなくなったからさ。あきらめるしかないでしょ」
「だから、白石さんにすることにしたの?」
「それもあるかもしれない」
「そんなんでいいの?」
「それは、わからないけど。でも、運命みたいなものってあると思う。リキエルさんがくれたきっかけとさ」
「そう」
「あと、この一日は、やっぱり、五日分あってさ。五日もあれば、恋のきっかけくらい、作られるものじゃなかなって思うけど」
「自分で恋なんていうとか、青野君、キャラじゃないでしょ」
「そうかもね」
リキエルは平らな石を拾って、水平に海へ向かって投げた。その石は、一度も跳ねることなく、海に吸い込まれていった。
「他に聞きたいこととかないの」
「リキエルさんのことについてだったら、はぐらかすんでしょ?」
「まあね」
「リキエルさんは、なんか、ぶっきらぼうなところ以外は、何となく、橘さんに似てた気がしたからさ。そんな人が、自分らのために、素晴らしい日をくれるっていうなら、報いようかなと思ってたんだ」
「ふうん。別に、素晴らしい一日はあげようと思ったけど、恋の応援はするつもりはなかったんだけどな」
「でも、これが、白石さんが選んだ一日と僕が選ぶ一日になったから」
ふうん、とリキエルは言って、平石が吸い込まれた海を見続けていた。
「そろそろ、百貨店も開く時間じゃない」
青野は腕時計の時間を確認した。
「そうだね、行こうか」
「私はついていくだけだから、勝手に行けば?」
「冷たいね」
「そんなことはないと思うけど」
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