第1話 天使が見た2日間 5
「そろそろ、ループする一日の辞め時を決めてほしいですよ」
朝、目を覚ますとリキエルが言った。日付の表示を確認すると寝る前と同じ日が書かれていた。
「そういえば、繰り返した記憶がなくなるってのは、どういう感じになくなるの?」
リキエルが渡してくれたノートには、繰り返す日々の記憶をなくすと書かれていた。
「私は記憶をなくさないから、実感としてどういう風になくしているか、というのは分からないけれど、言葉で理解ということならこうね。『記憶は繰り返しを終えた最後の日をベースに記憶の定着が行われる。行動した理由から、繰り返したことによって得た知識の記憶をなくす』」
「だとすると、会話に矛盾が生じないか?」
「そこは、人間の脳の補正力よ。人間の脳には未知数の力が眠っているものね」
「そうですか」
要するに、都合の良い解釈が行われるということなのだろう。
だとしたら、白石さんは、『偶然が積み重なった日に、勢いで告白した』ということになったりするのだろうか。好きな人の話までしていた川崎さんが告白したことを知らなかったわけだから。
「まあ、自分のやりたい一日にすることね。私が見てきた中では、多くの人が大体は、『前々からやろうやろうとは思っていたことを決心してやってみる日』に当ててる人が多かったわ。犯罪にかかわるようなことをしでかしそうなやつには、制裁を与えたけれど」
制裁ってなにをするのだろう。雷でも落ちるのかな、と青野は想像した。
「だから、青野君には、前からやろうと思ってたこととかないの?」
何かあっただろうか。やり残したことと言えば、好きな人に、その気持ちを打ち明ける前にいなくなったことくらいか。テニスについては出し切ったと思っているし、受験勉強なんかは毎日の積み重ねで得られるものだし、とパッと思いつかなかった。
「リキエルさんなら何かやりたいとかあるの?」
「その手の質問はいつもされるし、答えないようにしてるの。ああ、青野君もみんなと同じ質問をするつまらない人だったのね」
なぜかオーバーに失望された。
「ふと思ったことを言っただけでひどい言われようだ」
「そう思うならもっとましな質問をするのね」
「リキエルさん、性格きつすぎないです?」
「そうね。ただ、いつもはこんなにやさぐれてはいないんだけど、今回は色恋に絡みすぎてて、正直『やってらんねー』って感じね。最初は白石さんがやってたことを踏まえて、青野君の反応とか考えると面白そうとか思ってたんだけど。青野君、思いのほかクールであんまり動じないし、そのくせうじうじしてるし。そりゃこんなの誰が一緒に見ててもやさぐれるわよ」
「なんか、ごめんなさい」
「そう思うんだったら、面白いことをやって見せて。車にひかれてもケガしないとか、ライオンに噛まれるとか、そういうの」
「ちょっと、あまりにひどくないですか」
「とりあえず、じゃあ、私が決めてあげる。こういうときに、何かを導くのって天使っぽいし。
今回の一日は……、そうね。自分が、いつもの一日じゃなくて、学校をサボってまでしたいこと、を考えてみたら。それと、白石さんの告白をどうするかを天秤に比べることね。いつものように放課後に白石さんと会うことになるだろうし」
アドバイスをいただいた。
やってみたいことって何だろうと思う。すぐにうまくなれるなら、ギターとか弾いてみたいとかは思う。ただ、これは思うだけで、実行に移さないのだから、せっかくだからやってみることにはならないだろう。一日で弾けるようになるとは到底思えない。
とりあえず、学校に行かねばならない。リキエルさんと話し込んだせいで、今日はかなりギリギリになってしまった。
慌てて通学路を小走りで通っていると、白石さんに会う。
「こんにちは、青野君」
「ああ、おはよう。急がないと遅刻するぞ」
「そうだね、あはは」
「ほら、早く走りなよ」
「青野君、先に行って」
「そんなゆったりしてて間に合う時間じゃないって。ほら、一緒に走るぞ」
ああ、こんな時間まで待たせてしまったなと感じていた。その感覚に対して、青野の中で否定する言葉が浮かんできた。そうじゃないでしょ、彼女が勝手に待っていただけでしょう、と。
いや、そうじゃない。繰り返しているから、何度も朝に会っているだけで、今まではこういうことがなかったわけだから、しつこい、というわけでないのだから。
彼女の身になって、考えてみてもいいかもしれない。
一分前に教室に着いた。すると、遠山が席で待っていた。
「シャーペンと、消しゴムだろ。貸してやるから昼休みにジュースおごってくれ。あと、そのシャーペン、芯が入ってないから、申し訳ないけど、五十嵐あたりにでも借りてくれ」
そう言いながら青野は急いでカバンからシャーペンと消しゴムを取り出す。
「青野、お前、エスパーか」
と遠野が驚きながら受け取ったところで始業のチャイムが鳴った。
授業の内容をあまり聞いていなかったとはいえ、三回目となると、さすがにまた同じ話かと思う。先生にその自覚はないのだけれど。
青野は自分が、この一日をもってやりたいことを朝から考えていた。しかし、何をしてもピンとこなかった。やれることと言えば、昨日という一日を賭して、自分への告白のために費やしてくれた白石に報いることくらいだろうか。
読みたい本もあるが、繰り返したことを忘れるなら、蓄えた知識も、一日分に制限されるに違いないし、最高の一日ってそういうものでもないと思う。やりたいことって、そう簡単に見つかることでもない気がする。
ここまで考えて思いつかないと、いや、なんとも面白みのない人生を歩んできたのだろうと思わなくもない。
そう思っていると、授業が終わっていた。
「青野、シャーペン、ありがとな」
遠野が話しかけてきた。今度こそ、ジュースをおごってもらいたい。二回連続お預けになっていると、今度こそ、という気持ちが湧いてきた。これがやりたいことかもしれない。
「いや、困っているときはお互い様だよ」
慎重に、期限を悪くしないことを徹底しよう。
「そうか、じゃあ、申し訳ないんだけどさ」
「ん、なんだ? 五十嵐さんにシャーペンの芯をもらえなかったのか」
「いや、もらえたけど」
「じゃあ、いいじゃん。よかったじゃん。五十嵐さんがタイプじゃないの?」
「まあ、どちらかというと」
「よし。じゃあ、お昼だし……」
「ごめんな、財布も忘れてきてたんだよ。ごめんな、ジュースは今日は無理だ」
あ、なるほど。どちらにしろジュースはもらえなかったんだな。これが、理由だったんだ。
「そうか。まあ、いいよ。ジュースのために、貸してるわけじゃないしな」
「そっか。ありがとう。そのうち何かでお礼する」
わかったことは、ジュースをもらえないのは、世界線の収束とかではなく、遠野が財布を学校に持ってきていないという因果関係があったから、ということだ。遠野のタイプな五十嵐さんは、無関係だった。次があれば生かそう。
さて、すべての授業時間を終えて、また、彼女の気持ちに向き合う時間が来た。何度の告白の返事がなかったことになり、相手が覚えていない、というのは、なんとも自分の心に来るものだと思う。白石さんを呼び出すことにも慣れてしまった自分が少し悲しい。これでは本当にリキエルが言う『最高の一日』を得られるのだろうかと考えてしまう。
屋上に行く。その景色はその雲の位置をとってまで、見たことがあるものだった。もうすでに彼女はそこにいた。
「青野君」
「……」
何を言えばいいのかがわからなくて、開いた口から声を発することができなかった。
「青野君、ごめんね、私がせかしたから」
「いや、そんなことはないと思う。一日待ってもらって、決められなかった」
「私もね、不思議なんだ。どうして急に告白しようと思ったのか、とか、なんであのときは絶対に今日までに返事をくれると確信していたのか、とか、昨日のことが、確かに私がしたいと思っていたことなんだけど。」
「そっか」
「青野君は、何か知ってる? 私が忘れているだけで、わたしが 言っていたこととかあったりするのかな」
「そんなことはないと思うけど」
リキエルさんの話によれば、言っても記憶をなくしてしまうのだから、説明は無意味だろう。
ただ、ふと、聞いてみたいことを思いついた。
「白石さんはさ、昨日の一日は、最高の一日だったと思う?」
白石はふと、何かに思い当たった表情をして、言った。
「そう、それも不思議なことなんだけど。私は、青野君が告白を受け入れてくれても、断ってしまっても、私は、昨日という一日は、最高の一日だったと、思っているの」
「ありがとう、そうか」
彼女の返事を聴いて、自分なりの答えを見つけられたような気がした。なら、彼女の昨日の思いに応えるべく、、返事の言葉を伝える。
「分かった、返事を決めた。だけど、ちょっとだけ、待っててくれないかな。俺も、最高の一日を目指してみるから」
「うん、わかった」
この三回の内で、彼女を一番いい表情にできた気がして、その表情を見ることが、とても嬉しいということに思い当たって、青野は確信した。これが、好きになる、ということなのだろうと。
だから、いつも悩んで行動が遅くなる自分にとって、こんな繰り返す一日には、ちょうどよかったのだ。
「もうすぐ、最高の一日を決められそう?」
とリキエルは尋ねた。
「あと二日、ほしい」
「分かったよ。それは、付き合ってあげる」
「ありがとう」
「別に青野君のためだけにやっているわけじゃない。私の仕事みたいなものよ。白石への返事は決めたの?」
「決めた。付き合ってみることにする」
「なるほどね。ああ、嘆かわしい。青野君はそんなキャラじゃあないと思ってたんだけどなあ、だから恋愛なんて、リア充なんて、ふぁっ」
「そういう汚い言葉を、仮にも天使を自称する人が言ってはいけないと思うんだけど」
「別に私は天使を自称はしてないわよ。何に分類すべきか、というときに、天使みたいなもの、とは言ったけど」
「天使じゃなかろうと、汚い言葉は口にすべきではないよ」
「いいじゃない、別に。幸せそうな人には、何を言っても幸せなんだから。あーあ、リア充爆発しないかな」
「してほしいの?」
「どちらかというと」
これはリキエルさんなりの、祝いの言葉だったのかもと、次の『今日』を迎える前に思った。
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