第1話 天使が見た2日間 3
今日が本当に何度も来るというのなら、今、この授業を聴かなくても、次の機会にはまた聴けるということだ。繰り返すことを望めば、という条件付きであるが。ということで今のうちにリキエルから受け取ったノートを読むことにした。幸い、ただのキャンパスノートであるから、不審にも思われないだろう。
『繰り返す一日のしおり』
と、まるで修学旅行のしおりのようなタイトルが表紙に書かれていた。下にはマスコットキャラクターのようなものまで描かれている。何だろう、蝶、かな。六つの花の上を飛んでいた。中をめくる。
『あなたは、今日を、気が済むまで繰り返すことができます※1』
とまず大きく書かれていた。注意書きがあるようなので下を見ると、
『※1 私、リキエルが、認められる回数までですので、悪しからず。
また、なかったことになるからといって、あまりに公序良俗に反する行為は認めません』
と書いてあったので、苦労が見える。際限なく繰り返そうとしたり、犯罪を犯してみようとしたやつがいたに違いない。
この調子で繰り返しについてのルールが記されていた。注意事項も逐一書かれているあたり、まだ、リキエル自身もルールを定め切れていないか、把握しきれていない、と言った感じを受ける。
大きなルールとして重要な点は、
『・今日を繰り返して、その日の夕方以降にこの日を採用するか、もう一度繰り返すかを選択できる。
・繰り返している間はリキエルがそれを観察する
・繰り返したことはそれが終わると忘れてしまう』
といったところだろうか。ちょこちょこと、補足するような説明があるが、おおよそ、悪用されないためのものが多い。面白いルールには、
『・繰り返す1日の権利は一生で一度だけ
・次に繰り返す一日の権利をもらえる人を選ぶことができる。ただし、一度権利をもらった人には譲渡できない。また、リキエルが認めなければその人に譲渡することはできない。
・選ばない場合は、リキエルが次の人を選ぶ』
といったものがあった。なるほど、白石はこれを使って自分に一日を繰り返させようとしているのだと思った。
『・書いてないことで気になることや、情報不足な点、質問があればリキエルに聞くこと』
『・なお、書かれていることが変更されていることもあるので、その場合はご了承ください』
というものもあった。まあ、気になることがあれば聞いてくれ、ということだろう。
なんとなくフレキシブルな雰囲気を受けるルールを把握したところで、考えることができた。
――僕は本当に、彼女の告白に応えるためだけに、この繰り返す一日を過ごすべきなのだろうか。
そんなことを考えていると、クラスの中で一番普通から遠い人は誰、と聞かれると大半が名前を挙げる、二宮さんがこちらの手元をうかがっていた。いつの間にか授業は終わっていた。
「あら、そのノートは」
「え、何か気になることでもあるの」
「見覚えのあるノートだと思ってね。いや、青野もそんな風情のあるノートを使うだなんて、変わり者だね」
「一番変わってる二宮さんには言われたくはない。あと、これは僕のではない。けど、まあ、そうだね。なんか、年季が入ってる感じだよね」
変わっている、と言われてもどこか誉め言葉になる、二宮は答える。
「年季が入っている、というより、よく使われている、というのが正しい感じかな。一年間、開けたり閉めたりしてると、そういった感じになるの」
「へえ」
「大事に使ってあげてね」
じゃあ、と言って二宮さんは教室から去っていった。格好良く去ったが、もう三分もすれば次の授業だというところにオチがついている。どこに行ったのだろうか。
「おい、シャー芯が入ってなかったぞ……」
と遠野が声をかけてきた。
「あ、ごめん、それは悪いことをした」
「まっ、隣の五十嵐さんからシャー芯もらったけどね」
同じクラスの五十嵐は、成績がトップ、生徒会長で、野球部のマネージャーをしており、青野は漫画のキャラクターみたいな人だなと思っている。
「ああ、五十嵐さんって、お前のタイプっぽいよね」
「感謝、感謝。ありがとうシャー芯の入ってないシャープペン貸してくれて」
「でも、五十嵐さんって彼氏いるんじゃないの?」
「えっ」
「あの、野球部の宮本ってやつ」
青野は、彼女が宮本と『付き合っている』わけではないことを知っているが、まあ、脈はないに違いないので、そう言った。
「マジ?」
「確かじゃないけど、一緒にいるところとかよく見るよ」
「そうか……そうか。ごめん、ジュースの件なしで」
と言って遠野は過剰に落ち込んで自分の席へと帰って行った。確かに、宮本が相手では敵わないと思うに違いない。顔は悪くない、背は高い、何よりも野球部のエースで打撃センスはプロ注目、と噂されている。おそらくプロ注目、というところは少し大げさな表現ではあると思うが、スカウトは来たという噂がある。去年は防護ネットすら超えてしまう、ドでかいホームランを打った、という話を聞いた。
遠野も過剰に落ち込んだ演出をしているきらいがあるように見えなくもない。いつも飄々とした態度をとるのが彼なりの親しみやすさを感じさせるコミュニケーション手段なのだろうと青野は邪推していた。
昼休み、青野は誰も来なさそうな、校庭の裏へ向かった。案の定、人影がないので、後ろからついてきていたリキエルに声をかける。
「リキエルさんの言っていた、『縛られていて、かわいそう』と言った発言は、要するに、白石が告白のために使ってほしい、と言って僕にこの『繰り返す日々』を押し付けたことなんでしょう」
リキエルは、あいまいに笑った。
「そうだね。その通り。逆に、白石さんは青野君を縛ったとは思ってないようだったけど。それくらい、必死だった、ということね。私は一応、昨日は白石さんのことを見ていたから、それくらいのことは教えてあげたほうが、フェアかなと思うから言っておくけど」
青野は了解とリキエルに伝えると、
「よい一日になるといいね」
と彼女は言った。
さて、ノートによれば繰り返すタイミングは日付が変わるタイミングとのことだった。すなわち、放課後はやってくるし、告白の返事は今日の放課後にすることになっている。つまり、一度は返事をしないといけない。決めてないのに。
決めてない、って返事するのはどうだろう、とリキエルに聞いてみると、
「白石さんは、今日、返事が来るものだと思っているからね。昨日を繰り返してまでアピールしたことは忘れて、偶然青野君と近づくことが多かったから、勢いで告白してしまった、という風に記憶が変換されているはず。ただ、明日までに返事をくれという問いに、青野君は『分かった』と言ってしまったからね。決めてないというのは、断ると同義じゃないかな」
「なるほど」
「だから、好きでもないけど、女の子と付き合いたい、とか、思っているならとりあえずイエスと言っておくと吉よ」
「人聞きの悪い。そんな風に思っているの、リキエルさん。僕は、付き合うって、もうちょっと、お互いに惹かれ合うからそうなるものだと思うんだけど」
「ふうん、青野君はそう思うのね」
実際のところは、どうだかわからない。ただ、白石さんと付き合う、ということが起こるためには、確かに劇的な関係の変更がなければ、あり得なかっただろうとは思う。自分で、恋愛の理想を少し高く掲げてしまっていると思わなくもないのだ。
「まあ、なんにせよ、今日は繰り返すことにするよ。別のことに気を取られすぎて、白石さんのことを全然考えてなかった」
「そう、繰り返すのね。何度もやられると飽きるのよね」
とリキエルは、あくびの振りをした。実際、本当に飽きているのだろう。
「まあ、ただ、今回は、告白を押し付けるというシチュエーション、今までになかったから、どうなるかというのは気になるね」
ただの出歯亀天使だった。
放課後になった。一応仁義を通すために、17時に屋上へ白石を呼び出した。考えたいこともあったから、時間より早く屋上に来ていると、白石もすぐにやってきた。
「あれ、青野君、もう来てるんだね」
「白石こそ早いんだな」
「遅く来ても、いいことないからね」
少し苦笑いしていった。
「で、返事なんだけど」
「う、うん」
白石は文字通り息を呑んでいた。緊張が見える。言わなければならない。
「決められなかった。から、今のところは、告白を受けることはできない」
「そっか」
「ごめんね」
「別にいいの。いつか告白しておきたいって思ってたから。ごめんね」
青野は、どうしていいかわからないでいると、白石を挟んで向こうにいたリキエルが目を合わせてきた。
「早くここから去りなさい、青野君。今これ以上ここにいるのは、彼女を惨めにするだけよ」
それに気づき、ごめんなさい、と告げて青野は屋上から去った。
「青野君って思ったよりデリカシーないのね」
学校からの帰り道でリキエルが言った。
「断って、泣かれて、どうしていいか分からなくなっちゃったんだよ」
「青野君がそういう気持ちを持ったことないから、フラれた人がどういう気持ちを抱くか、ということに鈍すぎたのが原因ね」
「そう言われてもね。実際のところ、泣かれると、困った」
「青野君、冷静に物事を見る質の人っぽいから、本気の心とか、自分が持ったとしても、その自分の感情にすら俯瞰してみてそうだよね」
「リキエルさんに言われたくない。僕らのことをそもそも俯瞰して見ているくせに」
「まあね。でも、女子の涙って、こっちも心が揺さぶられるものがあるから、青野君も『断って失敗したな』と思ってるんじゃないかな」
「テレパシー?」
「人の心を読めるような力は持ってないんだよね、申し訳ないけど。でも、今日は特別だから、告白を断ったことが失敗だと思うなら、やり直して、今度は受け入れればいいのよ」
「なるほどね」
青野は、繰り返すことを決めた。
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