第四十八節 双子の二人

 パルティアから出た二人は、双子の密偵に新しい名前として、兄を刃の背子、妹を弓の妹子と名乗る様に言った。二人は新しい名前により神の子として歩むことを歓んだものの、その感情は信仰と言うよりも忠誠心や義務と言った様子であったので、洗礼は授けなかった。かつてはパルティア第二位の貴人だった王弟も名前を捨て、ただ「師兄」と呼ばれることを好んだが、唯一人愛する人との間では、「妻よ」「あなた」と呼び合う事を希望した。

 一方名前を「ディディモ(双子)」と改めたイシャは、パルティアから馬で歩いて三日目の夜、漸く愛し合う二人として、王弟と結ばれた。その交わりは一度や二度では終わらず、また一日では終わらず、夜ごと激しく二人は愛し合い、求め合った。二人はもう自由で、それでいて神に護られているのだ。それまでの我慢や艱難辛苦を分かち合い、慰めるように、深く深く交わった。

 二人は愛し合う時、お互いに名前で呼び合う。師父として教えを宣べ伝える名前ではなく、師兄として師父を暴挙から護る盾となる名前ではなく。そして必ず、刃となり弓となる、サキンとケシェットを遠ざけた。それは、重いくびきをほんの一時忘れる為。人間である自分を、相手を尊ぶ為。

 何より、愛欲の檻にいる彼の為。

 何も知らない人間ならば、堕落の限りを尽くし、背徳の限りにいると非難するだろう。しかしその方法でしか、師兄を許容し、肯定し、確かにその存在が神の愛の中にいると確信させる方法はない。何故なら。


 何故なら二人は、双子の男だったからだ。


 男として生まれながら、女の色情を宿し、女とするように男と寝たいと願う者。どこの社会からも隔離され、迫害され、蔑まれる。だから彼等は思い込んだ。『自分には女の色情霊という悪霊が憑りついていて、この悪霊の所為で男を好きになるのだ』と。男の身体を持った女ではない、『男でありながら男が好きな自分』を、人間の社会に、神の民の同胞(はらから)となるためには、そう思い込むしか無かった。

 イシュは知っていた。何故国王が一人しか子供を望まなかったのか。何故王弟が妃の成長と共に顔を曇らせていったのか。物心つく前から、密偵として王家に仕えて来た者は、大抵知っていた。そして、そのような下劣を持った王弟を、仲間内では非難し、軽蔑していた。王弟は子供を女に産ませたくないらしい、何故なら男狂いだから。

 そんな王弟の前に現れた、自らを『私』と呼ぶ大工。美しさも若さも何も持っていない、情熱と理想だけに生きる異国からの職人。『彼』の慈愛は、臣民たちの心を深く捉まえた。それは密偵の双子も同じだった。

 そして何人かが気付いた。『彼』もまた双子の男であると。そして誰もが気付いた。王弟を自己嫌悪と軽蔑の世界から救うのは、『彼』だけであると。

 ひっそりと愛を語りかけ、王弟は権力を持って『彼』に近づき、愛そうとした。だが『彼』は、それを退け、王弟の妻を思いやり、二人の仲が終わるまで待ち、王弟が師兄として師父に付従ったとき、初めてそれを受け入れた。『彼』もまた、王弟が同じ双子の男であることを気付いていた。だからこそ、罪を犯させなかった。愛していたからだ。

 人間としてでも、神の子の兄弟としてでもなく、一人の男として、一人の男を愛したから。

 それはきっと、理想的な恋愛ではないのだろう。もしかしたら遥か西、メシアに共に聖霊を賜った兄弟弟子たちは、自分達を世俗的だと非難するかもしれない。天上の生活をするべきだと非難するかもしれない。

 子供の決して生まれない情交セックスは、するべきでないと言うかもしれない。

 だがそれは間違いだ。メシアと師兄、否、天の主と地の夫、二人の愛に包まれ、ディディモは確信していた。

 この愛が否定されると言うのならば、自分は始めから、「イシャ」を産まなかったし、双子の男として生まれる事は無かったのだと言う事だ。

 神は全てを創造し、良しとされた。「イシャ」が、繰り返し聞いてきた、世界を創り給いし神の御業の表す事は単純だ。全てが良いのだから、この世に悪い物などないのだ、という事。ただそれを押し通せば、不完全な人間は秩序を失い、自律を放棄する。実際「イシュ」は、「女と寝る様に男と寝る者は死ぬべきである」という律法を尊守することで、情欲を抑えて来た。自分には決して向けられることのない、逞しい男達が女達を見る視線に嫉妬を覚えながらも、その理不尽を嘆く事はなかった。「律法に定められているから」という理性は、思考を止め、自分を尊ぶ意思を麻痺させる程強力だった。

「孕みたいか。」

 夫の腕の中で息をしていると、何も宿すことも留める事もない腹を撫でられた。夫が王弟と呼ばれた祖国には、自ら抱いた女が産んだ、自らの血を引く娘がいる。何れは、その弟妹も産まれるだろう。ディディモはついぞ、不本意だったにしろ、子供とは縁がなかった。暗闇の中、自分を抱き締める腕はどこまでも優しく温かい。

「あなた、女でも、子供を宿せない事を恥とする者はいます。でも私は、永遠にその恥を抱える事はないのです。あなたとの愛を神に認められていると言う確信だけで、あなたが私を永久に選び続けて下さると言う信頼だけで、ディディモは十分です。これ以上何を望みましょう。何れは天使のようになり、男も女も関係ない者になりますれば…。」

「そうか。それなら良い。…ディディモ、われの妻よ。われの愛を認め受け入れた勇士よ。愛している。」

「はい、私もあなたを愛しています。でももうそろそろイシュとイシャを呼び戻してやりませんと、眠れません。」

「なんだ、もう疲れたのか?」

「無理矢理身体の中に揺り籠を作るのですから、下手に家を作るより疲れます。」

 ぷいっとディディモは顔を胸に埋め、すりすりと匂い芳しさに酔った。

「なら仕方がない。合図の鳥を放つとするか。」

 口付けを繰り返し、ディディモの呼吸に合わせ、夫は始末を終えると、窓辺に脚を結ばれていた鳩を一番い空に放った。この鳩は、双子の兄妹の兄と妹―――背子と妹子が其々飼っている鳩で、この鳩はこの後双子の元へ行くのだ。

「師父、明日はどこまで行くのだ?」

 冷えた汗を拭ってやりながら、「侍従長」はディディモに尋ねた。ディディモはうっとりと船を漕ぎながらも、答えた。

「遠く地の果てまで、全ての者が神の救いを見るように。」

 二人は口付けを交わし、決して自分達の愛は救われることはないのだという確信の中、眠りに落ちた。

 神の愛には程遠い愛だと、言われなくても分かっている。自分たちの愛は、お互い以外を救う事は決してなく、これから先、誰にも祝福されることはなく、その愛が形を残すこともない。

 それでも、この男を愛した自分を、最早恥じる必要はない。それだけで、男達は神の愛を語る確信と力を得ることが出来るのだ。

 この先には教えに殉じる道しかないと分かっていたとしても。明日から、拷問と殉教に向かって歩むのだと言う事を知っていたとしても。

 ―――あなたがわたしを抱いてくれるのだから―――。


【続 第三部 双子の従者】

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