第十六節 復活の二人

 さて、エルサレムに入ると困ったことがある。エルサレムはイスラエルの聖地。よって、数多の学者、政治活動家が犇めき合っている。当然、ラビは朝から晩まで、彼等の屁理屈に付き合っているわけにもいかないので、余りにも過激そうな連中は、雷兄弟と禿岩が中心となって追い払う。と言っても、ラビはそう言う人々を見かけると、拒まずに付き合ってしまうので、ラビが疲れて休んでいる間だけのことだ。ラビはこの所、汗が出るほどに激しい祈りをする。良く眠っている時間が多くなっていた。

 その時は丁度ラビが、パンを食べ終わって日光浴をしている時だった。午前中の爽やかな風と共に現れたのは、サドカイ派の連中だった。彼等の大きな特徴は、ラビの言う「復活。」を真っ向から否定していることだが、実を言うとイシュも復活の意味がよく分からないので、こいつらにどうこう言うことは出来ない。殊更ねちっこくラビをつけ回しているパリサイ派とは一線を引く連中であるが、ラビを敵視していることに変わりはない。

「ラビ、お休み中の所申し訳ありませんが、わたくしどもの質問に答えてくださいますか。」

「ん? なんでしょう。」

 ラビも、休憩中だと追い払えばいいのになあ、と、イシュは呆れかえった。

「では、お尋ねいたします。ラビ、聖書の申命記二十五章の律法によれば、夫婦とはこのようにあるべきだと書かれています。即ち、『兄弟が一緒に住んでいて、そのうちの一人が死に、彼に子がない場合、死んだ者の妻は、家族以外の余所者に嫁いではならない。その夫の兄弟がその女の所に、入り、これをめとって妻とし、夫の兄弟としての義務を果たさなければならない。そして彼女が生む初めの男の子に、死んだ兄弟の名を継がせ、その名がイスラエルから消し去られないようにしなければならない』と。何か、間違っていますか?」

「間違ってないですね。貴方の言いたいことは、レビラート婚の事でしょう?」

 胸糞悪い、と、イシュは苛々しながら、傍で聞いている。イシャに至っては完全にへそを曲げて、今にも噛みつきそうな勢いだ。イシャは、律法が嫌いだ。男女は須く家を継ぐべきと言うイシュと反対に、イシャは、男女は須く愛し合うべきで、その為には如何なる障害もあってはならないと考えている。無論、それが男同士だろうと女同士だろうと、それこそ人間と獣であろうと、生き物が生き物を愛すると言う事に行きつくからには、男女の愛と獣との交わりに一体何の違いがあろうかと熱弁わきまを振るう。勿論、イシュ以外には話していない。

「ではラビ、お尋ねいたしますが、ここに、七人兄弟がいます。長男は妻をめとりましたが、子供を遺さず死にました。そこで、この律法に従い、次男が同じ妻をめとりましたが、やはり子供を遺さず死にました。三男も同じようにしましたが、やはり子供は残さず、終には七人の兄弟全てが同じ女を妻にしましたが、やはり子供を遺しませんでした。そして最後に、女も死にました。では、このような時、貴方方の言うように彼らが復活した時、この女は誰の妻になるのでしょうか?」

「貴方方は実に大変な思い違いをしているから、そのようなバカげた質問をするのです。貴方方がサドカイ派か、パリサイ派か、それともエッセネ派か熱心党かは関係なく、貴方方は聖書も理解していなければ、神の御力も理解していない。復活した者達は神の子ですから、誰をめとることも、嫁ぐこともしません。そのような必要のない、天使のような存在になるのです。」

 その言葉を聞いた瞬間、イシュとラビのわずかな空間に、大きな断崖にも似た溝が出来た。ゲヘナの炎が噴き出しそうなその谷は、イシュを嘲笑あざわらっている。お前は復活などしないから、此処にいても無駄だ、あっちへ行け、と、熱を持って威嚇してくる。

「それに、死者の復活を貴方方は信じていないようですが、かつて預言者が柴を通して神の声を聞いた時、神は自ら、『私は生きている者の神である』と言ったではありませんか。神は死者の内にあるのではなく、生きている者の内にあるのです。」

「ははぁ…。立派なお答えで―――あいたっ!」

 サドカイ派の一人が感心していると、別のサドカイ派の男が頭を叩いた。サドカイ派からも多くの者がラビの弟子になっていることを知っているからだろう。物凄く悔しそうな顔をしながら、彼らが去っていくのを見て、イシュは試しに聞いてみた。

「ラビ、彼等サドカイ派は復活を信じない者達です。そのような者達に、何故復活を教えようとするのですか?」

「何でって、それが真理だからだよ。」

「でも、分かり合える存在とは思えません。」

「そりゃそうだよ、だってイシュが分かり合おうとしないんだから。」

「いや、ぼくは彼らの考え方を尊重したうえで―――。」

「ままま、そんなに焦ることもないよ。あと七日もすれば、全てが解かるからね。まずは私がお手本を見せてあげるから、その後、皆は私の真似をすれば良いよ。」

「はあ…。」


 その日の夜になって、甲斐甲斐しく働いていた禿岩をぼんやりと見つめながら、イシュは坊やに尋ねてみた。坊やは昼間、派手に喧嘩をしたので、医者に治療をしてもらっている。

「坊や、ちょっと聞きたいんだけど。」

「何? …あいてて! 医者! もっと優しくしろい!」

「無用な争いをした罰ですよ、全く…。」

「もしこのまま故郷に帰ることもなく世界の終りが来たら、嫁さん欲しい?」

「うん、情交セックスしてみたい。女抱きてえし、入れてみてえし、出してみてえし。なんか、凄く凄ぇらしいし。」

「そっちか!?」

「どうせオレは童貞ですよ。早く結婚して子作りに励みたいですよ。悪ぃか!」

「いや別に。」

 聞く相手を間違えたようだ。だがまあ、正直な話、それは事実だろう。坊や位の年齢となれば、毎晩でも構わないだろうし、イシュもそれは否定しない。

「でも坊や、ラビが言うには、世界の終りが来たら、誰もめとったり嫁いだりしないで、天使のようになるらしいぞ。」

「ええ!? そりゃ困る! 兄貴だけ嫁さんも子供もいるのにずりぃよ!」

「天使になるらしいから関係ないんだって。」

「関係ある! むっちゃある! 俺も俺の子抱いてみたい! っていうかやっぱり情交セックスしてみたい!」

「あ、やっぱりそこなんだ…。」

「復活と言えば。」

 ふと、治療の手を止め、医者が言った。

「ラビはこの所、その手の難しいお話をされることが多くなりましたね。」

「少し前に、神殿を建て直すとか言ってたけど、あれもなんか関係あるのかな。」

「なんていうか…不吉なんだよな…。過越しの祭が近いのに、ラビの顔はずっと曇ってる。」

「あれじゃない? 過越しの祭りの時には囚人を一人釈放してやる風習だから、ラビは世に囚人が放たれる事を憂いているんじゃ?」

「馬鹿言え。そんなもの、ラビの話を聞いたら一発で改心するさ。」

「う~ん………。」

 三人で考えても、特に何も思いつかない。まあ、ラビの考えを先読みしようという事の方が無理難題だ。

「まあ、御三方、何を悩んでいるの?」

 そこへ、イシュには少し懐かしい女が近づいてきた。

「あ、おばさん。」

「ご母堂様、お久しゅうございます。」

「坊や、いくらなんでもラビの母君におばさんはないだろ。」

「いいのよ、私は坊やのおばさんなんだから。それより何を話していたの?」

 彼女は、ラビの母だ。過越しの祭を祝う為に、彼女もエルサレムへ登ってきていたのだろう。旅の疲れのせいか、少し顔色が悪い気がする。医者は痛い痛いと文句を言う坊やの治療に専念してしまったので、イシュが代わりに話題を粗方説明する。するとラビの母は、何か思い当たる節があるようで、喉まで言葉を出しかかったが、柔和な微笑みでそれを押し隠した。

「ラビは昔から、聖書と神様について良く学んでいる子ですから、私達には理解の及ばないことも多々あると思うわ。でもそれは、ラビが意地悪をして貴方方に教えないのではなくて、貴方方が答えを見つけるのを待っているからだと思うの。」

「無理無理無理! おばさん、オレぁ網元の息子だぜ! ラビとは―――しゅわっち! 医者てめぇ、もっと上手にやれねえのか!」

「ご母堂様に対してその言種は何ですか!」

「なあイシュ、姑ってこんな感じ?」

「いや、ぼくに振られても困るんだけど。」

 その様子を見ていて、ラビの母はくすくすと笑い、部屋の隅の椅子に腰掛けて言った。

「ラビが十二才になった時にね、初めてあの子を連れてエルサレムに登ったの。ところがうっかりして、私達、あの子を神殿に置いてきてしまってね。あの子は結局神殿にいたのだけれど、あの子はいつでも私達を呼び止めることが出来たのに、そうしないで、私達があの子がいないことに気づくまで、ずっと神殿に一人で、大勢の学者様と一緒に議論していたのよ。それと同じだと思うわ。」

「まあ確かに、最近のラビは祈ってるか飯食ってるか議論してるかのどれかだよな。」

「この頃ご飯もあまりお召し上がりにならないからか、便秘気味だって、馬面が言ってた。」

「イシャ、お前どういう脈絡でなんだって馬面にそんな話を聞いたんだ…?」

 ここにきて、やはり結論は頓挫してしまった。まあ、考えてみるのも楽しいと思うわ、と、ラビの母は何か用事を思い出したように、その場を後にした。

「ラビともあろう御方の母君ですから、わたくし達の考えの及ばないところにお考えがあるのでしょう。」

 はい、おしまい、と医者は坊やの腕を叩いた。ピリピリと心が妬けつくような思いがする。

「いや、お前らは昔のおばさんを知らないからそう言うんだよ。オレから見ればおばさんなんて、そんな大した女じゃないぜ。まあ、大分親が老けてから生まれたんで、結構箱入りで育ったけどな。フツーに結婚してフツーに子供育てた、フツーのばっちゃんだ。」

「坊や、あんまり言葉が過ぎると頭にも傷を作りますよ。」

 ぎゅっと医者が坊やの目の前で拳を握る。坊やは手短にお礼を言うと、頭を手で覆ってそそくさと逃げ出した。クスクス笑いながら医者は治療具を片づけ、ほっと溜息を吐いた。

「でも、前よりもラビがお傍に置かれているから、怪我もしなくなりましたね。」

「あ、あれやっぱりそうだったんだ。」

「と言いますと?」

「ぼく達十二弟子の間では、禿岩と雷兄弟がやたらとラビにお目にかけてもらっているのは、三人が特別偉いからだって噂があったんだよね。でも雷兄弟は喧嘩に強いからまだいいとして、禿岩が一番傍に置かれてるのは皆納得がいってなかったんだ。」

「それ、本人に言ってはいけませんよ?」

 失礼、と医者はその場を後にした。医者は異邦人だし、病気と言う不浄に触る仕事をしているのに、物腰も卑屈でなく丁寧だ。

「復活したら、医者は何になりたいのかしら。」

「ここんところ暇さえあれば絵描いてるから、風景画でも売るんじゃないか?」

「あら? でも復活したら、お金も使わなくなるのかしら。そうしたら、私も王妃様みたいにお洒落できる? ちょっとイシュ、聞いてきなさいよ。」

「やだよ。昼間のサドカイ派みたいに返り討ちに遭う。しかも手痛い奴! さっさとお前も寝る支度しろ!」 

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