第97話 一か八か
「っ、これは……」
ドートルの後ろの空間が歪み始める。明らかに常軌を逸したその光景に、ユースティアはこれまでにないほどの危機感を覚えた。
「さぁユースティア様。帰宅のお時間です」
「まさか!」
「えぇ、お気づきの通り。ユースティア様が大人しく帰られないと言うのであれば、無理やり連れ帰るだけ。ですが面倒は嫌いなので、いっそここにいる全員を連れて帰ればいいと結論しました。無駄が嫌いなので」
ドートルが開こうとしているのはいわば巨大なワープホール。その先がどこに繋がっているのかは考えるまでもない。
普段は移動にしか使わないそれを、ドートルは無理やり範囲を広げることで周囲一帯を……この廃村ごと飲み込んでユースティアのことを連れ帰ろうとしていたのだ。
「ユースティア様を連れ帰るついでにはなりますが、聖女二人にかつての実験体。そして魔人の力を人の身で制御する少年。研究材料としては申し分ないでしょう」
ドートルの背後の歪みが広がれば広がるほどその歪みの向こう側の気配が強くなる。それだけではない。少しずつではあるが歪みは周囲にあるものを吸引し、呑み込み始めていた。
ドートルの言う通り、このままではこの廃村の中にいる全員が魔人の支配する地へ連れて行かれるのは目に見えていた。
「くっ!」
ユースティアは手にした漆黒の銃——《刻限》の引き金を引くが、その銃弾は全てドートルに辿りつく前にその背後の歪曲の中へと吸い込まれていく。
「無駄ですよぉ。これから逃れることはできない。たとえあなたであろうともね。そして、攻撃が無駄だと悟ったあなたが次に考えることも手に取るようにわかる」
「っ!?」
鎖に繋がれたままのレイン達を解放して逃がそうとしたユースティアだったが、その前にドートルが現れる。
「壊せないのなら効果範囲から逃れればいい。そう考えるでしょう。ですが、せっかくの獲物をみすみす見逃すとお思いで?」
「邪魔をするな!」
ドートルのことを押しのけようと攻撃するユースティアだが、ドートルはその攻撃を容易くいなす。そうしている間にもドートルの生み出した歪みは少しずつ大きくなっており、その周囲にあった建物などは吸い込まれ始めている。
そして歪みの広がる速度と、吸い込む力は強くなり続ける一方だ。
しかし、ユースティアの目の前にいるドートルは容易く振り切れるような存在ではなく、焦れば焦るほどユースティアの動きに余裕がなくなっていく。
「動きが単調になっていますよユースティア様」
逆に時間という絶対的な味方を手にしたドートルは自ら仕掛けることはせずに、ただひたすら丁寧にユースティアの攻撃を捌き続ける。
リスクを避け、確実な勝利を手にするための動き。そしてだからこそ崩すのが難しかった。
「何も恐れることはありません。わたしの実験に協力してくれるのであれば、彼らの命の保障はしましょう。それどころか、全ての実権が終われば彼のことを再びあなたの側近として仕えさせることも可能ですよ」
「誰がお前の口車に乗るか」
「はぁ、残念です。ですが、あなたが認めようと認めまいと……結果は同じです。このままわたしと一緒に来ていただきます」
「っ……」
限られた時間の中でユースティアは必死に頭を回転させる。
あらゆる手段も模索し、その全てが否定されていく中でユースティアは天啓の如き閃きを得た。
それは一か八かの賭け。しかし、この状況下において唯一見出したユースティアがドートルを出し抜ける方法だ。
「迷ってる暇はない……か」
そしてユースティアは覚悟を決め、《刻限》の銃口を己自身に向けた。
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