第93話 願い

「……は?」


 ユースティアが口にした言葉に、レインは一瞬思考が停止する。その言葉の意味を理解することを頭が拒んだのだ。


「何度でも言ってやる。私のことを殺せ」

「な、なんでそうなるんだよ!」

「言っただろ私の体は完全に魔神と同化した。レイン、お前みたいに封印することすらできないほどに深くな」

「…………」


 己の体の状況をユースティアは誰よりも理解していた。魔神の力と完全に一体化したユースティアは、己の中で強くなり続ける魔神の力を感じていた。先ほどまでと違いがあるとすれば、それは魔神の力をほとんど制御できているということだ。

 だがだからこそわかってしまった。魔神の力が封印できるような代物ではないということが。レインの魔人の力を封印することができたのは、ユースティアの力がレインの魔人としての力を大きく上回っていたからだ。

 だが今のユースティアの力は聖女と同等かそれ以上。封印しようにも、それ以上にユースティアの力が強いのだ。


「でも、力は制御できてるんだろ? だったら何の問題も」

「本気で言ってるのか? そんなわけないだろ」

「っ……」


 キッとユースティアがレインのことを睨みつける。もちろんレインもわかっている。力を制御できていればそれでいいわけじゃないということは。

 魔人は人類の敵だ。その認識は全人類共通のもの。ましてやその上位存在たる魔神となればなおのこと。いくら力を制御できているとはいえ、そんな存在を人間が受け入れるわけがない。

 だからこそレインが魔人の力を持っていることは秘匿し続けていたのだ。たとえ聖女といえども、魔神の力を持っているなど許されるわけがない。


「それだけじゃない。改めてこの力を手にしてわかった。魔神は……その場にいるだけで罪を振りまく存在だ。それこそ、イリスの比じゃないほどに」


 ユースティアがどれだけ魔神の力を制御しても、その身から罪の力が漏れ出ることだけは抑えきれなかった。

 つまり、今の状態で街に戻ればユースティアは本人の意思に関係なく魔人を生み出す存在となってしまうのだ。かつてのイリスのように。それよりもなお酷い形で。

 そんなことをユースティアが許せるはずがない。


「だから……私のことを殺せ、レイン。頼む」


 懇願するようにユースティアは呟く。こうしている間にも魔神の力は徐々に力を増し、ユースティアの意識を歪めようとしていた。

 魔神の力と混ざり合ったことで、ユースティアの思考も徐々にではあるが影響を受けつつあったのだ。

 今は自我を保っているが、それでもいつ呑まれてしまうかわからない。だからこそ、今この場で殺してくれとレインに頼んでいるのだ。

 それがいかに勝手な願いであるかということを理解しながら。


「俺は、そんなことをするためにここに来たんじゃない! 俺はティアを助けるために……なのに……」


 レインの銃を持つ手が震える。頭ではユースティアの言うことを理解している。しかし体が、心が、ユースティアの言葉を拒絶している。

 エルゼもイリスも、両者の想いが痛いほどわかってしまうから何も言えない。

 そしてユースティアは震えるレインの手をそっと取り、その銃口を己の心臓の位置へと持ってくる。引き金を引けば確実に心臓を貫けるように。

 そして強い瞳でレインのことを見つめる。


「俺……俺は……」


 喉がカラカラに乾く。唾を飲み込んでも乾きが癒されることはなく、まるで全身の水分が奪われてしまったのではないかと思うほどだ。

 ガタガタと手は震え、銃を落としてしまうそうになるが、その手はユースティアがしっかりと握っているため銃を手放すこともできない。

 刹那の間に数多の思考が頭の中を過る。

 どうしてユースティアが死ななきゃいけないんだ。

 もっと別の手段があるはずだ。

 そんな考えが頭を巡る間に、ユースティアはレインの指をそっと引き金へと持って行く。

 そして——。


「そんな残酷なことをさせるものではありませんよ、ユースティア様」

「っ!」


 それまでことの成り行きを見守っていたドートルが、突如として乱入してきた。

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