第66話 力の代償

「ガルルルルゥ……」

「なんだ聖女……なんだその姿はぁ!!」


 切り裂かれた左肩を押さえながら、グラウはコロネのことを睨みつける。

 その視界の先ではコロネがその赤い眼を爛々と光らせながらグラウのことを見据えていた。それは、獲物を見つめる獣そのものだった。


「コロネ様……?」


 その姿を遠くから眺めるイリスは、まるで獣のように変貌したコロネの姿に戸惑っていた。今のコロネはイリスの目からみても明らかに異質だった。

 これこそがコロネの【皇牙暴拳バーサークレオ】の持つ能力の一つだ。【皇牙暴拳】は持ち主に尋常ならざる力を与える。そしてその力はコロネの理性を代償にすればするほどさらに強くなるのだ。

 コロネは、理性を失うギリギリまで代償にし、その結果として莫大な力を得ていたのだ。


「それが貴様の奥の手か? 理性を捨て去り、獣に成り下がる。くはははっ! 愚かな人間に相応しい所業だ。しかし、一度不意をついた程度で図に乗るなよ!」


 コロネに肉薄したグラウは全力で拳を振りぬく。しかし、その拳が捉えたのは壁だけ。すでにそこにコロネの姿は無かった。


「なにっ!? ぐぁっ!」


 背中に走る痛みに思わず痛苦の悲鳴をあげるグラウ。グラウの苦しむ姿を見て、コロネは裂けんばかりの笑みを浮かべた。


「どういう手品だ……何をした!」


 グラウは一瞬たりともコロネから目を離さなかった。グラウが拳を振り抜く直前まで、コロネは壁に張り付いたまま微動だにしていなかったのだ。

 だというのに、気付けばコロネはグラウの背後にいた。それはまるで時を止めたかのように、瞬間移動でもしたかのように。

 人智を超えた力を得たグラウであっても、何をしたのかまるでわからなかった。

 グラウが激昂すればするほど、コロネは楽しそうに笑うだけだ。もはや何を言っても無駄だと悟ったグラウは、がむしゃらに拳を振るう。


「うぉおおおおおおおおっ!!」


 体力と腕力にものを言わせた猛攻。数撃てば当たるという至極単純な考えに基づいた攻撃手段だ。

 しかしグラウのそれはただの乱雑な攻撃ではない。攻撃すればするほどにその速度は増し、威力も同様に増していく。一撃でも当たれば致命。掠っても大ダメージ。

 そして今のグラウは背面に壁を背負っている。つまり、背後を取られることはないのだ。


「名づけるならば『鉄拳嵐舞』。この拳の嵐、掻い潜れるものならば掻い潜ってみろ!」


 グラウの攻撃範囲は少しずつ広がっていた。腕を振り抜くたびに衝撃波を飛ばしているのだ。

 部屋の中はすでに衝撃波でボロボロになり、絶え間ない揺れが襲う。しかしその中であってもコロネは笑みを浮かべたまま……その場から一歩たりとも動いていなかった。


「なぜだ……なぜ当たらんっ!」


 拳がすり抜けている。自分からそこを避けているのではないかと錯覚してしまうほどに、グラウの攻撃は当たらない。

 嘲笑するようなコロネの笑みに、いよいよグラウの我慢が限界に到達する。


「こんのぉおおおおおおっっ!」

「シャッ!!」


 グラウの目が捉えたのは、その場から霞のようにコロネの姿が消える姿のみ。

 そして——。


「……は?」


 不意に右腕の軽くなる感覚。理解の追い付かないままに右腕に目を向けてみれば、そこには確かにあるはずの右腕が無かった。


「あ……ぁ、ぐあぁあああああああっっ!!」


 床に転がる己の右腕を見て、グラウは悲鳴と共に腕を押さえる。

 右腕からあふれ出す鮮血が、その痛みがそれが現実であるのだとグラウに伝えてくる。


「なぜだぁ……何をしたぁ……」

「アハハハハハハハハッ!」


 グラウの表情が苦悶に歪むのを見てコロネは高笑いする。楽しくてたまらないといった笑顔だ。

 こいつは遊んでいる。グラウは痛みに思考が乱される中でも、そう直感した。

 もし殺す気であったならばすでにグラウの首は刎ねられているはずだからだ。

 舐められている。そう直感した瞬間、カッと怒りに頭が燃えた。右腕の痛みすら忘れ、グラウは体を起こす。

 その様をコロネは獲物をいたぶる獣のような目で見つめている。


「舐めるなよ……右腕一本を奪った程度でなんだ。私はまだ生きているぞ。そして、この左腕があれば貴様の首を圧し折ることなど容易いんだ!」

「……ふふっ」

「なんだ。一体何がおかしいと——っ!?」

「ヒダリウデ……ドコ?」

「あ……あぁ……っ!」


 グラウの表情が絶望に染まる。

 見えなかった。コロネが動いたことに気づけもしなかった。

 グラウの左腕が、右腕と同じように切り飛ばされていた。


「あぁああああああああっっ!」


 両腕を失い、膝をつくグラウ。溢れ出る血を抑えようにも、そのための腕はもうどこにもない。


「この……貴様ぁあああああああっっ!」


 その身に抱く絶望すら憤怒へと塗り替え、噛みついてでも殺さんとしたグラウだったが、それはあまりにも遅すぎる行動だった。


「オワリ」


『暴牙爪塵』。

 爪刃の旋風がグラウの体を撫でた次の瞬間にはもう終わっていた。


「嘘だ……私が、この私がぁあああああああっっ!!」


 その叫びと共に、グラウの体に赤い線が走り……そして、バラバラになって絶命した。

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