第37話 夜の語らい

 魔人崇拝組織への襲撃を行った日の夜。レインは一人、与えられた部屋のバルコニーにいた。


「…………」


 空に浮かぶ月を眺めるレインはただ一人、物思いにふけっていた。

 考えているのはユースティアのことだ。エルゼとの任務が終わり、ユースティア達が戻って来るのを待っていたらそこに現れたのは慌てた様子のエルゼとイリス。コロネの背には意識を失ったユースティアが背負われていた。

 それを見た時、レインは頭が真っ白になった。

 ユースティアが任務に失敗するなど想像もしたことが無かった。苦し気な表情のユースティアの姿が今もまだ目に焼き付いている。

 あの衝撃は忘れようと思っても忘れられない。まるで空に浮かんでいた太陽が消え去ったかのような、夜道を歩くための明かりを失ってしまったかのような。そんな喪失感がレインの心を抉った。


「……また後でコロネ様にも謝らないとな」


 意識を失ったユースティアの姿を見たレインは思わずコロネが聖女であることも忘れて何があったのかと詰め寄ってしまった。

 イリスに止められなければレインは正気に戻れなかっただろう。それほどまでに動揺してしまっていたのだ。


「情けねぇ」


 誰に言うでもなくレインは呟く。

 考えてみれば当たり前のことなのだ。ユースティアは最強の聖女ではあっても無敵の聖女ではない。そしてレインと同じ人間だ。

 何が起きても不思議ではない。だというのに、レインはユースティアが倒れるということを想像すらしていなかった。

 いつものように、飄々とした態度で戻って来るものだとばかり考えていた。


「いや、違うか。想像したくなかったのか、俺は……」


 ユースティアが何かに屈するという姿をレインは想像したくなかったのかもしれない。

 この世に絶対などあるはずがない。それをレインは誰よりもよく知っていたはずなのに。


「ふぅ、別にユースティアは死んだわけじゃないし。何勝手に焦ってんだか俺は」


 さっさと寝ようと、そう思って振り返ったその時、レインの前に二匹の黒狼が現れた。


「「わふっ!」」

「うわぁっ! な、なんだこいつ!」


 思わず銃を取り出しそうになるレインだが、銃は整備して部屋の中に置いてあったので手元にないことを思い出し歯噛みする。


「くそ、こいつらどっから。なんとかしねぇと」


 ジリジリとにじり寄って来る二匹の黒狼。

 小さく唸りながら近づいて来る二匹にレインはいよいよベランダまで追いつめられる。

 姿勢を低くした二匹が飛び掛かってきて、思わず防御するレイン。しかし、想像していた衝撃はいつまで経っても襲ってこない。

 おそるおそる目を開けると、二匹はレインの目の前で止まっていた。


「? どういうこと……ってうわぁ!」

「「わふっ!」」


 防御の構えを解いた瞬間、飛び掛かってきた二匹にペロペロと顔を舐められる。


「ちょ、な、なんだよ! やめろ! くすぐったいって!」


 しかし二匹の力は想像以上に強く、レインが無理やり引きはがそうとしても離れない。


「アッハッハッハ! いいぞ、もっとやれ二匹とも」


 レインが訳も分からず混乱していると、どこからか笑い声が響いて来る。

 明らかに聞いたことのある声だった。


「おま、これ! ティアの仕業か!」

「やっと気づいたか。この、バカ、馬鹿、大馬鹿め!」


 心底楽しそうなユースティアの声がレインの頭上から聞こえ、二匹の黒狼の隙間から、心底楽しそうにケラケラと笑うユースティアの顔が見えた。


「よし、もういいぞ。離れろ」

「「わふっ」」


 ユースティアの命令でようやくレインから離れる二匹。

 唾液でベドベトになったレインがその体を起こすと、ユースティアが屋根の上から降りてくる。

 二匹の黒狼はそんなユースティアの隣に大人しく座る。


「なんか一人で落ち込んでたからな。この二匹を使って元気ださせてやろうと思ったんだ」

「お前なぁ。誰のせいで落ち込んでたと思って——」

「私だろ」

「っ」

「私が帰ってきた時のことはイリスから聞いた。まさかそこまで落ち込むなんてなぁ、どんだけ私のこと好きなんだお前」

「なっ!? 違うからな!」

「照れるな照れるな」

「この、お前なぁ……」

「……悪かった」

「え」


 思いもよらない言葉が聞こえて思わずレインは目を点にする。


「今なんて」

「ちっ、だから。悪かったって言ってるんだ! どんな理由があったにせよ、私のせいでお前に心配かけたのは事実だ。だから謝ってるんだ。文句あるか!」

「いや別に文句はないけど……っていうかそれが謝る態度かよ」

「うるさい。もうこれ以上は言わないからな。一回言ったんだからな」


 子供のようにそっぽを向いて言い放つユースティアに、それまでの憂鬱な気持ちはどこへやら。気付けばレインの気持ちも少しだけ軽くなっていた。


「私としても今回みたいな結果は不本意だし、ムカつくし。あのグラウって奴はギタギタにしてやりたいくらいだけど……まぁそれはまた次の機会だ。それよりも、お前よくもエルゼにバレてくれたな」

「いや、あれはしょうがないだろ。俺にはどうしようもないことで」

「うるさい。そのせいで私がエルゼに色々と聞かれて面倒だったんだからな」

「それは悪かったけど」

「そう悪いんだ。つまり、私も悪かったがお前も悪い部分があった。これでおあいこだ。はい、これで話は終わりだ」

「わかった。わかったよ。とりあえずはそれでいいけど……こっちはこっちで色々と聞きたいことがあるんだ」

「聞きたいこと? って寒いなここ。黒狼、こっちに来い」

「「わふっ」」


 冬も近づく日の夜だ。気温もかなり低い。

 部屋着しか着ていないユースティアが寒がるのも無理はなかった。

 黒狼がユースティアに身を寄せてユースティアの体を温める。


「っていうか、さっきから気になってたけどそいつらなんなんだ?」

「これか? 私が【創造魔法】で生み出した黒狼だ。可愛いだろ」

「いやまぁ確かに可愛い……可愛いのかもしれないけど。なんか雰囲気が……」


 自分に似てる気がする、そう思ったレインだったがさすがに自意識過剰な気がして言えなかった。


「なんだよ変な奴だな。それで、聞きたいことって?」

「医者の人から聞いた。お前が倒れたのは精神的なことが理由だろうって。それにコロネさんも、廃村についてからのティアの様子がおかしかったって言ってた。でもそれは俺も感じてたことだ。俺の場合は廃村についてからっていうより、この国に来てからだけどな。お前、ずっとなんかイライラいてるっていうか。ご機嫌斜めって感じだろ。いい加減理由くらい聞かせてもらってもいいんじゃないか?」

「…………」


 レインの言葉にユースティアは僅かに迷いを見せる。

 しかし、やがて何かを決断したかのように小さく頷く。


「そうだな。お前には話してやる。私がどうしてカランダ王国に来たくなかったのか。その理由をな」

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