第35話 儀式の目的

「…………」


 すっかり忘れたつもりでいたこと。

 だがそれは忘れたわけではなく、自分の心の奥底に。見えない場所に隠れていただけにすぎないことをユースティアは知った。


「胸糞悪い」


 廃村に居た時に感じていた妙な高揚感。そして、気付かぬうちに過激になっていた言動。その原因を理解し、ユースティアは我知らず深いため息をついた。


「私は……あんなんじゃない」


 あの瞬間、廃村で戦っている間……ユースティアは自分が聖女であるということを忘れかけた。自身の体に刻み込まれている本能が呼び起こされたような気がして、酷く不愉快な気分になった。


「……忘れたいけど、そういうわけにはいかない。あの空間があの場所だけとは思えない」


 東大陸と同じ空間を再現したという廃村の地下。それと同じ空間を他の場所に作っている可能性は多分にある。

 そうなった時、同じようなことにならないよう警戒しなければならないのだ。

 あの時の感覚がまだ体に残っているような気がしてユースティアは自分の手を見つめ、ギュッと拳を握る。


「大丈夫。あの時の私とは違う。今の私は聖女なんだ」


 言い聞かせるように小さく呟いて、ユースティアはエルゼの部屋へと向かう。

 すでに体に寝起きの倦怠感は残っていない。 

 エルゼの部屋についたユースティアは、ノックして返事を待つ。


「どうぞ」


 ノックしてからほとんど間をおかずに返事があり、ユースティアは部屋の中へと入る。

 部屋の中にいたエルゼは机に向かって書類の整理をしていた。


「体調の方は大丈夫ですか?」

「えぇ、すみません。心配をおかけしてしまって」

「それはコロネに言ってあげてください。あの子、あなたのことをずっと心配していましたから」

「そうですね。彼女にも迷惑をかけてしまいましたし……情けない姿を見せてしまいました。それになにより、私のせいで『魔導神道』のリーダーを逃がしてしまいました。聖女として恥ずべき失態です」

「そのことについてですが……一応コロネからも話は聞いているのですが、あなたからも話を聞かせてもらっていいですか?」

「えぇ。もちろんです。と言っても、コロネが話した以上のものがあるかと言われると微妙ですが」

「コロネは直感型ですから。話に具体性がかけることがあるんです。今回のことで言えば、そのグラウと呼ばれる『魔導神道』のリーダーが東大陸を再現したと言っていましたが、あの子の口からはなんとなく気持ち悪かった、嫌な感じがした。という話ばかりですから」

「ふふ、彼女らしいですね」

「その直感に助けられることもあるのでなんとも言えませんが、報告としては不十分です」

「確かにそうですね。では足りない分は私から話しましょう。私の行った廃村の地下では確かに東大陸の空気が再現されていました」

「東大陸の空気……それはどういったものなんですか?」


 一言で東大陸の空気と言われても、東大陸に行ったことのないエルゼではそれがどういったものなのかわからない。


「簡単に言えば……東大陸の空気中には、こちら側とは比べ物にならないほどの魔力が満ちています。普通の下級魔法であったとしても、あちらで放てばその威力は一段階上のものになるでしょう」

「それが東大陸の空気が満ちているということだと?」

「……いえ、それだけではありません。最大の特徴……それは、東大陸の空気には魔力ともう一つ、罪が満ちているんでえす」

「どういうことですか?」

「私達が贖罪を行う時に咎人から抜き取る罪。あれに形はありません。私達が無理やり固めているだけで、本来は触れることも見ることもできないもの。東大陸は魔人の大陸。その体から放たれる罪は空気中に溶ける。でもそれは無くなるわけではなく、空気中に確かに存在しているんです。あそこに人は住めない。住んでいるだけで罪がその身に蓄積されてしまうから」


 罪が大気中に溶けている。それはつまり、呼吸をすれば罪を吸ってしまうと同義。

 たとえ一度に吸い込む罪の量自体は大したことが無かったとしても、長い時間をかければその罪は体を蝕み、やがて咎人へと堕ちてしまうのだ。


「普通の人であればコロネさんの言った通り、気持ち悪い感覚になるでしょうね。罪を吸い込んでいるんですから、当たり前ですが」

「……それがあの場に満ちていた空気の正体であると」

「えぇ。間違いありません」

「どうしてそれがわかるんですか?」

「え?」

「恥ずかしながら、私は東大陸がそのような場所であることを知りませんでした。でもあなたはまるで経験してきたかのように、すらすらと話す。なぜ知っているんですか?」

「……色々と経験が豊富なもので」

「……答えるつもりはないと」

「今回のこととは関係がないことなので。ただ嘘は言っていません。事実ですから」

「なるほど。まぁそう言うのであれば構わないでしょう。私も無理に聞き出そうとは思いませんから」

「えぇ、そうしてくれると助かります。それより問題なのは、そんな場所を作り出せる男を逃がしてしまったということです」

「確かに。同じような場所をこの国内でいくつもつくられたりしたらそれこそ……」


 そこでエルゼが何かに思い至ったかのようにハッと目を見開く。


「……ユースティア、一つ確認したいことがあるのですが」

「なんですか?」

「東大陸の空気を人間にとって毒と称するならば、魔人にとっては?」

「魔人にとってあれは最も生きやすい空気……つまり、最高のコンディションを生む空気とも言えるでしょう」

「であれば、今回行われる儀式というのはもしかして……」

「魔人を生み出す儀式ではなく、そのもっと前段階。魔人とって住みやすい環境を作るための儀式。その可能性があります」


 目覚めてからユースティアが導き出した結論を口にする。

 儀式と聞いた時、ユースティアは魔人を生み出すための儀式だと考えていた。

 しかしあの空間を見て、グラウと対峙してそうではないのだということを理解した。

 グラウは土台を作ろうとしているのだと。

 魔人にとって住みやすい世界。もしそれが作られてしまえばこの国にどれほどの被害が出るかわからない。


「もし儀式の目的がそれであるならば、なんとしても阻止しなければいけません」

「そうですね。もしそうなってしまえばどうなってしまうか……想像もしたくありません」

「えぇ、全くです。問題は逃げたグラウの同行が掴めないことですが……」

「それについては後で全員で話合うしかないでしょう。捕らえることはできませんでしたが、拠点は潰したわけですし。何より構成員は捕らえてあります」

「彼らが有益な情報を持っていることを望むばかりですね」

「私の方でも捕らえた方たちが何か有益な情報を持っていないか探るとしましょう」

「時間的余裕は無いものとして、さっそく動き始めないといけませんね」

「あ、待ってくださいユースティア」

「? まだ何かありましたか?」

「最後に一つ、聞いておかなければいけないことがあります」

「……なんです?」


 少しの様子の変わったエルゼを見て、ユースティアは思わず身構える。


「彼……リオルデルさんのことで、少し時間をいただけますか?」

「…………」


 その言葉を聞いて、面倒なことになったかもしれないとユースティアは内心でため息を吐くのだった。

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