第32話 聖女の敵

 それはある種の苛立ちのようなものだった。

 カランダ王国にやって来てからずっと感じていた苛立ち。誰が悪いというわけではない。強いて言うならば国が悪い。原因はただ一つ。この国に蔓延する始まりの聖女への信仰。

 それがわかっているからと言ってユースティアはその苛立ちを表に出すわけにはいかなかった。だからこそ、その苛立ちはユースティアの心の奥底に澱のように溜まっていく。

 しかしここに来てユースティアはその苛立ちを吐き出す場を得た。

 魔人崇拝集団を捕らえるために力を振るうことを許された。


(もっと抵抗しろ。もっともっと。抵抗は激しければ激しいほど良い。その方が楽しめるから)


 だからこそわざと挑発するような真似をした。準備する時間を与えた。

 これはユースティアにとって戦いではない。影の檻に囚われた哀れな得物達の抵抗を楽しみながら狩るための狩場だ。

 獲物達の恐怖に慄く声、怒りに染まった瞳。それらが向けられる度に溜飲が下がるのを感じる。


(もっと私に怒りを、憎悪を向けろ。ほら、まだ動けるだろ。抵抗できるだろ。致命傷なんて一つも与えてないんだから)


「……ふふっ、あはは……」


 獲物はまだまだたくさんいる。

 不思議と高揚感のようなものを感じながら、ユースティアは銃の引き金を引き続けた。






「なんだ……これは……」


 オルマは声にならぬ声を上げながら、倒れていく部下たちの姿を見ていた。

 動こうとしても動くことはできない。ユースティアに戦いを挑み、その四肢をあっさりと撃ち抜かれてしまったからだ。

 当たり所が悪かったのか、それとも何か仕組まれていたのか。オルマの四肢にはピクリとも力が入らずらだ呆然の目の前の様子を見ていることしかできなかった。

 オルマは決して部下想いというわけではない。むしろその逆だ。気に入らなければ殺すことに躊躇いはない。

 しかしそれでも、部下を玩具にして遊ぶようなことはしなかった。

 今オルマの目の前で行われているのはまさにそれだ。逃げ惑うオルマの部下たちは目の前にいるユースティアの玩具でしかない。

 本人に自覚があるのかないのか。それは定かではないが、ユースティアは笑みを浮かべていた。心を奪われそうなほどに美しく、そして恐ろしい笑みを。


「あれが聖女だと……いや違う。あれは……あれではまるで——」

「あぁ、そう言えばあなたを捕まえるのを忘れていましたね。しばらく影の中で眠っていてください」


 オルマの言葉の続きは発せられることはなく、そのまま影の中へと囚われ……その意識は闇に沈んでいった。






□■□■□■□■□■□■□■□■


 それから少しして、銃声や悲鳴の響き渡っていた廃村の中に静寂が戻っていた。

 ユースティア達が『魔導神道』の構成員達を全て捕獲し終えたからだ。


「今の人で最後ですね」

「そうだと思うッス」

「ここに他の人の気配は感じませんし。後はあの建物の中にあるであろう地下にいるリーダーを捕まえるだけですね」

「……そうッスね」

「どうかしましたかコロネ」

「いえ、その……なんでもないっちゃなんでもないんスけど……」

「言いたいことがあるんですか?」

「……本当にここまでする必要があったんスか?」


 魔人崇拝者達を捕まえる。それ自体にはコロネも何の異存もなかった。しかし、戦意を失った者までをも無理やり捕らえる必要があったのか。そこにコロネは疑問を抱いていた。

 そして何より、戦っている最中のユースティアの様子。

 コロネは遠くにいたのではっきりと見ていたわけではなかったのだが、まるでいたぶっているように見えたのだ。


「コロネ。私達の敵はなんですか」

「? あたし達の敵はもちろん魔人と、魔物、そしてそれらを生み出す罪ッス」

「えぇ。その認識に間違いはありませんよ。ですがそれに一つ付け加えるべき存在があります」

「なんスか?」

「人です」

「え」

「私達が守るべき人。しかしながら彼らは私達にとってある意味では魔人以上に厄介な敵であるとも言えます」

「そんあ、人が敵だなんてそんなことあるはずないッスよ!」

「エルゼさんもかつて同じことを言いました。そして彼女はその意思を今もまだ変えていない。ですが考えてください。罪は人の中にこそ生まれる。そして罪が生まれる原因は人の心、怒り、嫉妬、憎悪、様々な感情の歪みが原因です。この世界にいる誰もが罪に呑まれる可能性を秘めている。昨日まで普通に接していた友人が次の日には咎人かもしれないそれがあり得てしまうのがこの世界なんですよ」

「…………」

「私達聖女は人の希望の象徴。最後の砦。しかしその砦の中にいる人達もまた敵となる可能性を秘めている。そのことを私達は自覚しなければいけないんですよ」


 ユースティアの言っていることに間違いはない。ユースティア達の守るべき人は気を抜けば敵となる可能性を秘めている。


「だからこそ私は人に対しても容赦はしないと決めているんです。何かあったとき、決して躊躇うことのないように。そうしないと後ろから刺されるのは私になってしまいますから。特に魔人崇拝組織に対しては遠慮はしないと、そう決めています」


 ユースティアの持論を聞いてコロネは押し黙る。


(まぁ、今回に関しては私情がけっこうあるがな。遠慮無しに潰すっていう点についてはいつでも変わらない。魔人も魔物も、そして人も。私の敵となるなら叩き潰す。それだけだ)


「姉様は……人を信じるって言ったんスか?」

「そうですね。彼女はそうでした。たとえ後ろから刺されることになろうとも。私は人を信じ続ける。そう言ってました」

「……なら、あたしもそうするッス。私の目指す聖女道の先には姉様がいるッスから」

「……そうですか」

「あ、でもだからってユースティア様の考えを否定するとか、そういうことじゃないッスよ。ユースティア様のお話もなるほどって思ったッス」

「別に気にしてませんよ。ただ……そうですね。そう思えるあなた達が少しだけ羨ましいとも思います」


 私には絶対にできないことですから、と小さく呟いてユースティアは身を翻す。


「少し話しすぎましたね。行きましょう。もし万が一外に逃げられないようイリスには外で待機してもらいます。何かあればそばにいる黒狼が知らせてくれるでしょう。準備はいいですか」

「はいッス!」


 元気よく頷くコロネ。ユースティアはそんなコロネを連れて地下へと侵入する。

 薄暗く明かりもまばらな廊下は薄気味悪さもあって、コロネは気味の悪さを感じていた。


「なんか気持ち悪いとこッスね、ここ」

「そう……ですね」


 この地下を見て綺麗だと思うのはごく一部の特殊な感性を持った人だけだろう。

 しかし、ユースティアはこの地下に入った瞬間から気味の悪さと同時に、居心地の良さと懐かしさを感じていた。

 その理由がわからず、ユースティアは思わず眉をひそめた。


「どうかしたんスか?」

「いえ、なんでもありません。罠もなさそうですし、一気にいきましょう」


 早くこの地下から出たい。その一心でユースティアは先を急ぐ。

 そしてしばらく進んだ先で扉を見つけたユースティアは、隣を走るコロネに一瞬目配せする。

 コロネは小さく頷き、それを見たユースティアは一息に部屋の中へと突入する。


「動くなッス!」


 部屋の中に入ると同時に叫ぶコロネ。

 その部屋の中には青白い顔をした痩身の男がいた。

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