第14話 出立の朝

 カランダ王国へと出立の日。

 ユースティアはいつも以上に憂鬱な気分で目を覚ました。

 珍しく誰に起こされたわけでもない。

 惰眠を貪ることが好きなユースティアが、それをできないほどに憂鬱な気分だったのだ。

 窓から差し込む朝日が、今日ばかりは憎く見える。

 快晴の空は絶好の出立日だと主張しているようで、それがなおのことユースティアのことを苛立たせた。


「……はぁ。もう朝か。朝なんて二度と来なければ良かったのに……いや、いっそ魔法で太陽を消す……そうすれば二度と日が昇ることもなくなって常夜の世界を作りあげれる」

「朝から何を物騒なこと呟いてるんですかユースティア様」

「っ! イリスか。部屋に入る時はノックしろ」

「失礼いたしました。ですが、ノックはしました」

「え?」

「ノックはしましたが、返事が無かったので入らせていただきました」


 憂鬱な気分に浸っていたユースティアは気付かなかったがイリスは何度かドアをノックしていた。それでも返事が無かったのでユースティアは寝たままだと判断し、起こすために部屋に入ってきたのだ。


「ご自分から起きられるなんて珍しいですね」

「うるさい。私だってそんな日くらいある」

「朝食の準備はできてますが」

「……はぁ、わかった。着替えるから服の準備だけしてくれ」

「かしこまりました」


 この数日間でイリスはメイドとしての仕事に慣れ始めていた。もともと素質があったのか、他のメイド達の教え方が良かったのか。はたまたその両方か。まだ僅かにぎこちなさは残っているものの、しっかりとメイドとしての努めは果たせるようになっていた。


「カランダ王国へ行く準備はもう終わってるんだろ」

「はい。私もレインさんも、それからユースティア様の分も。荷物はしっかりと準備できてます」

「ちっ、できてなかったら行かなくてもよかったかもしれないのに」

「そんなわけにはいかないでしょう。カレンさんからのご依頼なんでしょう?」

「はぁ、受けるんじゃなかった」

「今さらそんなこと言わないでください。どうぞ」

「ん」


 イリスから服を受け取ったユースティアは、人前であるということも気にせずにポンポンと服を脱ぎ去って着替え始める。

 誰をも魅了することができる肢体が惜しげもなくイリスの目の前に晒されていた。しかしだからといってイリスが魅了されるようなことはない。むしろイリスの顔に浮かんでいたのは呆れの表情だ。


「ユースティア様、まだ私が部屋の中にいるのですが」

「? だからなんだ」

「私に着替えを見られて恥ずかしくないんですか?」

「別に。イリスに着替えを見られたって恥ずかしくない。それに、誰かに見られて恥ずかしいと思うような体をしてない」


 ユースティアは自分の体に絶対の自信を持っていた。神が完璧な美を追求して作ったのではないかと思うほどに均整のとれた体。大きすぎず、小さすぎない胸。流れる髪は手入れの必要すらないのではないかと思うほどに綺麗で、朝日に反射してキラキラと輝いている。

 同性であるイリスですら目を惹かれるのだ。もし異性が見ればあまりの美に狂ってしまうのではないかと思うほどだ。


「レインさんに見られてもですか?」

「む……」


 その名を出した途端にユースティアがピクリと反応する。


「それは……ダメだ。あいつはダメだ」

「恥ずかしくないのでは?」

「恥ずかしくない! 恥ずかしくないけど……あいつが恥ずかしがるだろうから。それを私は気にしてるんだ!」


 明らかに嘘だった。

 先ほどユースティアが言った言葉に嘘はない。自分の体に絶対に自身を持つユースティアは誰に見られても、たとえ男に見られたとしても気にしないだろう。もちろん絶対に見せるようなことはしないのだが。

 しかし見られてもユースティアにとっては、動物に裸を見られたようなもの。犬や猫に着替えを見られて恥ずかしがる飼い主がいないのと同じだ。

 そんなユースティアであっても、レインだけは例外だった。レインに体を見られる。そのことを想像しただけで無意識に顔が熱くなってしまうのだ。


「そうですか。わかりました。ユースティア様の考えは理解しましたが……脱ぎ捨てるのも止めてください。乱雑に脱ぎ捨てられると皺になります」

「善処する」

「その言葉ほど信用できないものはありませんね」


 ため息を吐いたイリスが服を畳み終えるのと同時にイリスが着替えを終える。そしてベッドの横の机に置いてあったネックレスを身に着ける。

 レインからプレゼントされたネックレスだ。姿見の前に立ったユースティアはそのネックレスを見て嬉しそうに笑う。


「毎日笑ってますね」

「っ、う、うるさい!」

「そんなにレインさんからいただいたのが嬉しかったんですか?」

「そんなんじゃない! だいたい、そう言うならお前だってレインから貰った髪飾り毎日つけてるじゃないか」

「えぇ。私は嬉しかったので。毎日愛用しようと思った次第です」


 恥ずかしがらず素直にそう言うイリス。その反応がユースティアからすれば憎たらしかった。

 ユースティアはレインからの贈り物を喜んでいたとしても、それを表面に出すことはできない。理由は単純で、恥ずかしいからだ。

 それでも毎日のようにネックレスを着けているのは、それだけ嬉しかったからなのだが。


「ふん、まぁいい。それでどうだ。おかしな所はないか?」

「はい。大丈夫です」


 服を着替えたユースティアに先ほどまでの気だるげな雰囲気はまるで感じられない。そこに立っていたのは、誰もが憧れる聖女の姿だ。


「なら良し。レインはどこにいる?」

「レインさんはルーナルさんの所に行ってます」

「一人で?」

「はい。カランダ王国に出立する前に受け取らなければいけないものがあるからと」

「あぁ、銃か。そういえば修理に出したままだったな。ならレインが戻って来てから出るとしよう」

「ちなみに朝食は軽めにというご要望でしたので、パンとスクランブルエッグ、ハムとスープを用意してます。もし必要だと言うのであればまだ用意できますが」

「いや、それでいい。どうせたくさん食べたってすぐ移動だ。そこまでしっかり食べる必要もない」

「カランダ王国……どれほどで着くのでしょうか?」

「帝都からなら、朝に出て夜に着く。移動だけで今日が終わる」

「そんなに遠いんですね」

「私一人で、本気で移動していいならもっと早く着くけどな。それもできないからちんたら列車で行くしかない」

「あの列車も十分速い乗り物だと思うんですけど」

「一番速いって言うなら魔導空挺だ。もっと遠い国に行くときには使うことになるだろうが……隣国じゃその必要もない」

「魔導空挺……いつか乗ってみたいですね」

「私と一緒いたらいつかその機会もあるかもな」

「ではそのいつかに期待します。あの、それでユースティア様はさきほどから何を?」

「ん、いや。大したことじゃない。すぐに終わる」


 机の引き出しから飾り気のない白い腕輪を取り出したユースティアは、それを手のひらに乗せて小さく何かを呟いている。


「……よし、できた。イリス。これを持っておけ」

「これは?」

「『不落の腕輪』。単純に言うなら私の【防護魔法】の力が込められてる。三回までなら身を守れるはずだ」

「ありがとう……ございます」

「私達の中で一番身を守る力を持たないのがお前だからな。万が一に備えて持っておけ」

「わかりました。でもそれはつまり、カランダ王国で何かあるかもしれないってことですか?」

「その可能性もあるってことだ。さぁ行くぞ。魔法使ったらお腹が空いた」

「はい」


 廊下へ出たユースティアは窓の外を見つめる。

 その目に映るものが何なのか。それを知るのはユースティアだけだ

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