第9話 二人の時間

 ルーナルのもとで体の検査をしてから二日、レインはイリスと一緒に買い物へとやって来ていた。

 そこにユースティアの姿は無い。聖女の仕事の一環として、孤児院へと出向いているからだ。本当ならばレインとイリスも一緒に行くはずだったのだが、ユースティアからイリスに帝都の案内をするようにと言われたため、買い物を兼ねて帝都の中を案内しているというわけなのだ。


「ここが帝都の中でも一番の市場だな。食材から骨董品までなんでも集まってる。中には変な魔道具とかまで売ってたりするけど……まぁその辺は気にしなくて大丈夫だ。基本的に食材とかは他の人が買ってきてくれるから俺達が買いにくることはほとんどないけどな。それでもたまにティアが急に果物食べたいとか言い出すことがあるからな」

「すごい賑わいですね」


 イリスは市場に集まる人の多さに圧倒されていた。

 ロドルにももちろん市場はあったのだが、その規模はたかが知れている。村人の人数が少ないので、当たり前といえば当たり前なのだが。


「こんなに人がいるのは初めて見たかもしれません」

「それもそうか‥…でも、ここはいつもこれくらいいるぞ」

「うぅ、なんだか人酔いしそうです」


 人の多い環境に慣れていないイリスは、この市場にいる人を見ているだけで酔ってしまいそうになった。


「大丈夫か? 少し休憩するか」

「すみません」


 近くのベンチにイリスを座らせると、レインはイリスに飲ませるための水を買って戻って来る。


「はい水」

「ありがとうございます。でも私もこれに慣れないといけないんですよね」

「俺も最初の頃は苦労したからなぁ。人多すぎて移動するのも大変だなんだって」

「今はもう慣れたんですか?」

「さすがにな。もう何年もいるし。ま、イリスが慣れるまでは俺とかも一緒に買い物に行くから大丈夫だ」

「それなら私も安心できそうです」


 それからしばらくの間、道行く人々を眺めているとイリスがポツリと口を開いた。


「そういえば、レインさんと二人きりになるのは久しぶりですね」

「あぁ……言われればそうだな。ダバラルにいる間はずっとティアとかサレン様とかも一緒にいたし。確かに久しぶりだな」

「なんだかロドルにいた時のことがずいぶん昔のような感じがします。まだ二週間も経ってないのに」

「ロドルにいた時は色々と怒涛だったからなぁ。俺もずいぶん前のことみたいに感じるなー。なんかもうイリスとはずっと前から一緒にいるような気がするよ」

「……もしかして口説いてますか?」

「いや口説いてねぇよ! どこをどう切り取ったら口説いてることになるんだ!」

「冗談です。ジョークですよ。でも、今の発言はそう聞こえなくもないですよ」

「え、マジか……」

「はい。無自覚なら直した方がいいと思いますよ。勘違いする子もいると思うので」

「勘違いってなぁ。俺が何か言ったところで勘違いするような女の子なんていないだろ。そもそも興味ないだろうし」

「……はぁ、ユースティア様も苦労されますね」

「なんでそこでティアが出てくるんだよ」

「なんでもありません。でも、レインはいつかきっと苦労されますね」

「今でも十分苦労はしてると思うんだけど」

「そういう苦労じゃありませんよ。でもこれは私から言うことじゃありませんから。それに、その方が私にも好都合ではありますし」

「??? どういうことだよ」

「今はわからなくてもいつかきっと理解する日がきますよ。というより、そんなレインさんだから……なのかもしれませんね」

「ますます意味がわからん」

「いいんですよ。それで」



 全く理解できていないレインを見て、小さく笑みを浮かべるイリス。


「レインさん……私、本当にレインさんとユースティア様には感謝してるんです」

「な、なんだよいきなり」

「いえ、こんな風にゆっくり話す機会でもないと伝えられないので。言っておくべきかと思いまして」

「それはいいけど、なんの感謝だよ」

「全部ですよ。私がこうしてここにいることができるのはレインさんとユースティア様のおかげですから。特にレインさんが命懸けで私のことを救ってくれたこと。私、絶対に忘れません。この記憶だけは何があっても絶対に」

「イリス……」

「この恩は必ず返します。返せるものではないかもしれませんけど、どれだけ時間がかかっても返してみせます」

「……おりゃ」

「っ! 急になにするんですか」


 急にレインにデコピンされたイリスは、無表情の中に非難の色を滲ませてレインのことを見る。


「急に真面目にしおらしいこと言うから何事かと思えば、俺達は別に恩返しして欲しいからお前のことを助けたわけじゃねーよ」

「でも」

「俺はお前に生きていて欲しかったから助けただけだ。ただそれだけ。別に深い理由もなにもない。だからそんな風に気負うなって。俺もティアも、お前には普通に生きて欲しいんだから。まぁ、ティアのところにいて普通に生きるってのは難しいかもしれないけどな。あいつは色んな意味で規格外だし」

「ふふ、そうですね。でもそんなユースティア様と一緒にいるレインさんも、十分規格外だと思いますよ」

「俺が? いやいや、俺は普通だから」


 ユースティアと同じにされてはたまらないとレインは否定する。しかしイリスからすればそんなユースティアとずっと一緒にいることができて、何も変わらずにいることができるレインもまた十分に普通ではなかった。


「普通であれることが、レインさんの凄い所なんですよ」

「褒められてるのか貶されているのかわからん」

「もちろん貶してます」

「貶してるのかよ!」

「冗談です。ジョークですよ」

「だからお前の冗談はわかりづらいんだって……」

「それは残念です」

「はぁ……それで、気分はどうだ? 少しはマシになったのか?」

「はい。休憩できたおかげでだいぶ楽になりました。これならもう大丈夫そうです」

「そうか。っていっても、ここ以外に案内するような場所なんてないんだけどな。帝都広しとはいえど、使うのなんて家と贖罪教本部とルーナルさんの屋敷と、この市場くらいだからな。後は今ティアがいる孤児院くらいか。案外行く場所ってないんだよな」

「外食のお店とかは行かないんですか? 帝都ならそういう場所はいっぱいありそうなんですけど」

「あぁ外食な。確かにいっぱいあるし、有名店みたいなのも多いんだけど……ティアが嫌がるからな」

「どうしてですか?」

「ティアのことを宣伝に利用しようとするからだよ。あの聖女様も利用した店だってな。それだけで大きな宣伝になる。だから招待状みたいなのはいっぱい届くけど、行くことはまずないな」

「ユースティア様はそういうの嫌がるんですね」

「後は単純に外で食べるのが面倒だからってのもあるらしい。外だと常に気を張ってないといけないからな。食事の時くらい気楽に食べたいんだと」

「なるほど……」

「他に何か気になることはあるか?」

「いえ、特には。ちなみにこの後はどうするんですか?」

「うーん、もう取り急ぎ案内しないといけない場所は全部案内したからなー。このままティアのところに向かってもいいんだけど……」

「わかりました。それじゃあすぐに向かいましょう」

「いや、待った」

「?」

「せっかくだ。市場で買い物でもしていこう。まだ時間はあるからな」

「え、でも」

「大丈夫だよ。あ、もしはぐれるのが心配だったら手でも繋ぐか?」


 ニヤニヤと冗談のつもりでイリスに手を伸ばすレイン。どんな反応をするのかという興味本位だったのが、イリスの反応はレインの想像を超えていた。


「はい。お願いします」

「え?」


 なんの躊躇いもなくレインの手を握るイリス。思いもよらない反応にレインは思わず面食らってしまった。


「どうかしましたか?」

「いやあの……冗談のつもりだったんだけど」

「そうだったんですね。でも……この方が落ち着くので、このままでお願いします」

「う……はい」


 手のひらに伝わるイリスの温もりにドギマギしつつ、二人は市場へと繰り出すのだった。

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