第2話 イリスとカレン

 カレンの部屋は贖罪教の中でも人がなかなかやってこない場所にあった。理由はいくつかあるが、主な理由はカレンが一人の方が仕事に集中できるタイプであるということ、そして聖女達に極秘の仕事の依頼をするときに、他者の目を気にする必要がないという所にあった。


「いらっしゃいみんな。忙しいだろうによく来てくれたな。」

「ふん、来なかったら怒るくせに白々しい」

「礼も素直に受け取れない阿呆は放っておいて、レインもイリスも座ってくれて構わないよ。自室だと思ってくつろいで」

「誰が阿呆だ!」

「いいんですか?」

「えぇ。今日は誰も部屋にくる予定はないし。何より、呼んだのは私で、君達はお客様だからね。かしこまる必要もない。というかできればそうして欲しい」

「……そういうなら。わかったよ、カレン姉」

「君もだよイリス。初めてのことだらけで困惑してることも多いだろうけど、とりあえずリラックスしてくれていいよ」

「……どうも」

「おい、レイン、お茶ー。それとお菓子とってー」

「ティア。お前はもう少しシャキッとしなさい」

「自室だと思って楽にしていいって言ったのはカレンだろ。私は言われた通りにしてるだけだ」

「だとしてもだ。自分一人だけならまだしも、私やイリス、それにレインまでいるだろ」

「はっ、それこそ今さらだ」

「はぁ、お前は本当に……外面の一割でも地で発揮できないのか」

「疲れるからやだ」

「やだ、じゃないだろ。子供かお前は」

「まぁまぁカレン姉。ティアのこれはいつものことだから」

「レイン、少しティアのことを甘やかしすぎなんじゃないか?」

「そんなつもりはないんだけどな……」

「いーや。そんなつもりが無かったとしても、こうなった要因の一つは確実にレインにもある。まぁ、あまり強く言ってこなかった私にも問題はあるが。それでも真っ先に諫めるべきは従者であるレイン、お前なんだからな。いいかレイン、甘やかした結果がこれだぞ」

「これ……」


 ソファに寝そべった恰好で、ダラダラとクッキーを貪るその姿。とてもではないが、聖女のあるべき姿には見えなかった。


「んあ? 私がどうかしたのか? あ、イリス、お茶おかわり」

「わかりました」

「……はぁ。これが帝国を代表する聖女の姿だとは……とてもじゃないけど、他の人には見せられないな」


 深くため息を吐いたカレンは、気を取り直すように咳払いして本題に入る。


「まぁ、ティアに関する小言はまた今度にしよう」

「小言なんて一生なくていい」

「今度にするとして! 今日の本題はそれじゃない。今日はイリスに用事があるんだ」

「はい」

「とりあえずそこに座ってくれ。ほらティア、場所開けて」

「はいはい。あ、このお菓子美味しい。どこのやつだろ」


 ユースティアはカレンの話を聞くつもりは一切ないのか、ずっとお菓子を食べ続けている。そんなユースティアをよそに、イリスはどんな話がされるのかと表情にこそ出さないものの、若干緊張していた。


「そんなに硬くなる必要はないんだけど。まぁ、とりあえずお茶でも飲んで」

「……ありがとうございます」

「どうかな? 最近仕入れたものの中では結構上物のお茶なんだけど」

「えーと、よくわかりません。あ、でも美味しいとは思います」

「はは、そりゃそうだ。お茶なんてどれだけ高級だろうがお茶だし。私だってお茶の味なんて全然わかんない」

「ティアは少し勉強しなさい。それよりも、イリスの舌に合ったようなら良かった。また後でお土産に持って帰るといい。まだまだいっぱいあるから」

「えー、お土産ならお茶よりお菓子が」

「ティア?」

「はいはい。黙ってまーす。レイン、お茶おかわりー」

「お前どんだけ飲むんだよ」

「このお菓子美味しいんだけど喉渇くんだ。レインも食べればわかる。ほら」

「んぐ、お前無理やり口に突っ込むな……って、あ、ホントだ。美味しい」

「だろ? でもめっちゃ喉渇くんだ」

「確かに……これは喉が渇く」

「ふふん、つまりこれで私の言っていることが正しいと証明されたわけだ。ほら、さっさとお茶のおかわりだ」

「ち、しょうがないな。わかったよ」

「ティア、レイン!」

「「っ!」」

「私が本気で怒る前に……な?」

「ふん、わかったわかった。レイン、あっちで食べるぞ」

「え、あ、あぁわかった。えっと、ごめんカレン姉」

「頼むぞレイン。あいつを御せるのはレインだけなんだから」

「いや、俺もそれは無理だと思うんだけど……」


 そう言ってレインは苦笑し、ユースティアのお茶のおわかりを持って離れていく。


「ふぅ、これで話の邪魔はされないか。すまないね、話を遮っちゃって」

「いえ大丈夫です。それよりも……仲が良いんですね」

「え?」

「ユースティア様もレイン君も……なんていうかすごくリラックスしてるみたいですから」

「あぁ、確かにそうかもしれないな」


 イリスの視線の先ではユースティアとレインがお菓子の取り合いをして争っている。家に居る時にはよく見る光景ではあったが、それを外で見るのはイリスにとって初めてだった。つまり、ユースティア達にとってこの空間、カレンのいる空間は家にいるのと同じくらいリラックスできるということに他ならない。


「あの子達が小さな頃から知ってるから。言ってしまえば、私はあの子達の姉のようなものだ」

「姉……ですか」

「手のかかる妹と弟だよ。本当に。まぁだからこそ可愛いんだけど」


 そう言ってほほ笑むカレンの笑顔は紛れもなく心からのもので、姉という存在を知らないイリスにとって、それは少しだけ羨ましくもあった。


「君にとってもお姉ちゃんのような存在になれたらって思ってるよ」

「え」

「イリスの事情はティアから聞いてるよ。君に秘められた力についてもね」

「っ!」

「あぁ、勘違いしないでくれ。だからどうこうしようってわけじゃないから。ティアと一緒だよ。君のことを守りたいと思ってる。ただ、一つだけ確認しておきたいんだ」

「なんですか?」

「本当に……ティアの所で働くってことでいいんだね? もし君が望むならもっと他の場所を用意することもできる。それこそ、贖罪教本部で働くこともね。何も安全な場所はティア達の傍だけじゃないんだ。こういうのはなんだけど、聖女の傍で働くっていうのはそう簡単なことじゃないからね」

「…………」


 カレンが告げたのはある種の事実だった。ユースティアのもとで働くのは楽なことではない。ましてや傍付きともなればなおのことだ。

 しかし、それでもイリスの答えは一つだった。


「私は、ユースティア様やレインさんと一緒に居たいと思ってます。これは、助けてもらった恩や義理だけじゃありません。あの人達と一緒にいると、私が私でいれる気がするんです。だから、私はあの人達と一緒にいたい」

「……なるほどね」

「ダメ……でしょうか」

「ダメだって? そんわけない。むしろその逆。歓迎するよ。ありがとうイリス。あの子達のこと、よろしくお願いするよ」

「どちらかというと私が迷惑をかけることの方が多そうですけど」

「あはは、それこそ気にしなくていいことだよ。どんどん迷惑かけてくれ。その程度でどうこういうほどあの子達は狭量じゃないし、それなら最初から君のことを助けてない」

「……そうですね」

「それから、これからは君も私にとって大事な仲間、妹だ。何かあったらすぐに頼ってくれて構わないよ」

「妹……」

「どうかした?」

「お姉ちゃんって呼んだ方がいいですか?」

「いや、それは別にいいんだけど……」

「冗談です。ジョークです、ジョーク。わかりにくかったですか?」

「うん、ものすごく」

「そうですか……」


 そう呟くイリスの表情は心なし残念そうであった。

 それから少しの間、イリスとカレンが談笑していると、お菓子を食べ終えたユースティアが空になった容器を手にやってきた。


「お菓子無くなったんだけど……って、なんだもう話終わったのか」

「あぁ、もう終わったよ」

「ふーん、じゃあもう帰ってもいいな」

「そう言いたい所なんだけどな」

「む、その言い方は……」

「今度はユースティアに少しだけ用があるんだ」


 それは、ユースティアの感じていた嫌な予感が的中した瞬間だった。


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