第70話 信頼するもの
それは、レインがユースティアと通信していた時のことだ。
レインはユースティアから一つだけイミテルを救うための方法を与えられていた。
『……レイン、一つ……一つだけ、イミテルを救う方法がある』
「方法が?」
『限りなくゼロに近い可能性だ。もしかしたらもっと最悪の事態を招く可能性もある。それでも聞くか?』
「あぁ。手段は一つでも多い方がいい」
『わかった。その方法は至極単純だ。お前、『罪丸』を持ってただろ』
「? 持ってるけど。一応切り札ってことで。できれば使いたくないけどな」
レインの持つ罪の力を無理やり引き出すためにルーナルが作った道具。戦うための手段は一つでも多い方がいいということで持っていたのだ。
『それが方法だ』
「……はい?」
『罪丸をイミテルに飲ませろ。それが私とルーナルが出した結論だ』
「いやいや、どういうことだよ。これは俺の罪の力を増幅させるためのものだろ? そんなの使ったらイミテルの中の罪がさらに増えるだけなんじゃ」
『確かにそうだ。その罪丸はレインを故意的に魔人化させるための代物。でも、それだけじゃない。その罪丸にはもう一つ。お前の罪を完全に開放しないために、私の封印の力も込められている。言い換えればそれは、罪の暴走を抑える力だ。イミテルの今の力が罪の暴走に起因してるなら、その元である罪を抑えれば一時的にでも力を抑えることができるはずだ……たぶん』
「たぶんってなんだよたぶんって!」
『だから言っただろ。限りなくゼロに近い可能性だって。私の封印の力が効くかどうかは完全に運だし、効いたとしてそれで止まるのかどうかはまた別の話だ』
「確かにそれはそうだけど……」
『罪丸が効くかどうかは全くの未知数だ。だから使うかどうかはレインに任せる』
「……でも、その封印の力はティアの力なんだろ」
『? あぁ当たり前だ。私以外にそんな芸当をできる奴はいないからな』
「だったら……だったら俺は信じるよ。それがティアの力だって言うなら、俺は信頼する」
『……ふん、勝手にしろバカ』
その声が少し照れているように聞こえたのはレインの気のせいだろうか。
しかし、それがレインの偽らざる本音だった。ユースティアの力をレインは誰よりも信用している。罪丸に込められているのがユースティアの力であるというならば、レインに信じないという選択肢は無かった。
「この罪丸を使って、イミテルのことを助けてみせる」
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そして現在。ドリアードからイミテルのことを取り返したレインは、倒れてしまったイミテルに口移しで罪丸を飲ませた。
半分意識の飛んでいるイミテルは、突然口に入って来た異物を吐き出そうとするがレインはイミテルから口を離さず、罪丸を嚥下するまでジッとそのままの姿勢で耐えた。
今のレインはイミテルを救うことで頭がいっぱいで、自分がどれだけとんでもない行動をしているかなど全く理解していない。
「んぐ……」
イミテルが罪丸を飲み込んだことを確認したレインはそっと口を離す。後はもうレインに出来ることは何もない。
ただジッと罪丸が効くことを祈ることしかできない。しかし神に祈るようなことはしない。神に祈っても救いが与えられないことをレインはよく知っていたからだ。
レインが祈る存在がいるとしたらそれはやはりユースティアだけなのだ。かつて自分の命を、そして心を救ってくれた存在。レインにとって神などという曖昧な存在よりよほど祈るに相応しい相手だった。
「頼む……頼むぞティア」
焦りのせいか、一瞬すらも永劫のように感じられる時間の中レインはずっとイミテルの手を握り続けた。
どれほどの時間が経ったのか、正確な時間は定かではないが荒かったイミテルの呼吸が少しずつ落ち着き始め、額に浮かんでいた汗も少しずつ引いていく。
「う……あ……」
「っ! イミテル、おいイミテル、大丈夫か!」
「レイン……さん……?」
「あぁ、そうだ俺だ! 大丈夫か? どっか変な所とか、痛む場所とかないか!」
「ちょ、ちょっと……レインさん……」
レインは目を覚ましたイミテルの体をペタペタと触ってその無事を確かめようとする。急に体中を遠慮なくベタベタと触られたイミテルは顔を真っ赤にする。
「だ、大丈夫ですから、少し離れてくださいっ」
「ホントか? ホントに大丈夫か?」
「えっと……はい。大丈夫です」
そこでようやくイミテルは、自分の中で暴れていた罪の力が沈静化していることに気づいた。罪が消えたわけではない。だがまるで何かに蓋をされたかのようにイミテルの中にあった罪はその動きを潜めていた。
苦しかった胸もずっと楽になっている。
「レインさん、いったいどうやって……」
イミテルがどれだけ頑張っても抑えることができなかった罪の力。罪丸を飲まされた時のことをちゃんと覚えていなかった。
「え、いや、それはその……」
「? どうしたんですか?」
急に歯切れの悪くなったレインに、イミテルは不思議そうな顔をする。
対するレインはといえば、ここにいたって自分が何をしでかしたかということに気づき、悶えそうになっていた。
(緊急事態だったとはいえ、俺はなんてことをぉおおおおおおっっ!)
口移し以外にも罪丸を飲ませる手段はあったかもしれない。だが、あの時のレインにはそれしか思いつかなかったのだ。
過ぎてしまった時を後悔しても時間が巻き戻ることはありえない。となれば、レインに残された手段は一つだけだった。
「薬……薬をな。飲んでもらったんだよ。俺が持ってたやつを。イミテルは意識が混濁していたから覚えてないかもしれないけど」
「確かにそうですけど……なんだか、レインさんの顔がすごく近くにあった気が……」
「気のせい! 気のせいだから!」
「そうですか? ならいいんですけど……」
「それより、早くここから出よう。いつまでもこんな場所にいるわけにはいかないからな。近くにはサレン様もいるはずだし。」
「わかりました……あの、でも、その……レインさんのその姿は大丈夫なんですか?」
「俺の姿? ……あ」
そう言われてレインは気付いた。今の自分の姿が、半魔人のままであるということに。もしこのままサレン達の前に出れば誤魔化す手段は無いに等しい。
「レインさんは……魔人、なんですか?」
「いや違う! 俺は……俺は……」
俺は人間だ。そう言いたかったレインだが、今のレインの姿を見て誰にそれが伝わるだろうか。仮に人間だと主張したとしても、今のレインの姿は誰がどう見ても魔人そのものなのだから。
「こんな姿で何をって思うかもしれないけど。それでも俺は人間だ」
「レインさん……」
そんなレインを見て、イミテルは優しく微笑んだ。
「わかりました。私はレインさんの言葉を信じます」
「イミテル……」
「私を助けてくれたのは、他でもないレインさんですから。あなたの言葉なら……信じます」
「……ありがとう」
その言葉がどれほど嬉しいか。きっとそれはレインにしかわからないだろう。
「まぁ、だからってこの魔人化をどうにかできるわけじゃないんけどな。どうしたもんか」
「……私の力を使ってみる?」
「そんなわけにはいかないだろ」
もしイミテルの力を使って何か問題が起きたら今度こそレインの力ではどうしようもなくなる。
どうしたものかと頭を悩ませていると、不意に第三者の声が割り込んできた。
「ふん、どうせこんなことになってるだろうと思ったが。私の読みは当たってたみたいだな」
「「っ!」」
「助けに来てやったぞレイン」
「ティア!」
レインの前に現れたのは、紅月を背に不敵に笑うユースティアだった。
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