第69話 本当の想い

 そこは真っ暗な空間だった。

 イミテル以外には誰もいない。酷く冷たく、暗い空間だ。


「私しか……いない」


 ただそこにいるだけで孤独と寂しさに押しつぶされそうになる。しかしその暗闇が不思議とイミテルの心に安らぎを与えた。


「ここには……私しかいない。私以外の誰もいない。ずっとここに居れば……もう何も見なくていい」


 膝を抱え込んでイミテルは自分の視界を塞ぐ。そうすることで何もかもから逃れようとするかのように。


「お父さんもお母さんもいない……ううん、違う。私が殺した。覚えてなかったなんて言い訳にもならない。私が、私の、この手で……殺した」


 イミテルの瞳から涙が零れる。深い悲しみの涙だ。

 あれほど思い出したかった記憶。取り戻したいと思っていた記憶。しかしその記憶が……イリスとしての記憶が、今のイミテルの心を蝕んでいた。

 真っ白だった心が徐々に黒く染まっていく。両親のことを思い出すたびに、イミテルの中の罪が溢れていく。


「私のせいで……全てが終わる」


 ウダンとマヅマの顔が浮かんでは消える。記憶の無いイミテルを救ってくれた二人。しかしそんな二人も結局はイミテルのせいで苦しむこととなった。


「結局……何も返せなかった。むしろ、恩を仇で返すような……ううん、もっと酷いことをした」


 今頃村ではどんな惨劇が繰り広げられているのか、イミテルは想像しようとして途中でやめた。もう何も考えたくなかったからだ。

 しかし、無心でいようとすればするほど様々なことを思い出してしまう。イリスであった時のこと。そしてイミテルとなってからのこと。

 様々なことを思い出した後、イミテルが最後に思い出したのはレインのことだった。


「レインさん……」


 イミテルにとって、レインは特別な存在だった。最初はレインのことも他の人と同じように見ていた。しかし、夜に偶然出会い言葉を交わしていくなかでイミテルにとってレインは特別な存在になったのだ。

 イミテルがレインに抱く感情がなんであるのか、それはイミテル自身にも判然としていない。それでもレインと過ごすひと時はイミテルに様々な感情を与えてくれた。

 イミテルがイミテルとしていることができた、唯一の時間だったのだ。


「でも……私のせいで……」


 魔獣の尾に貫かれたレインの姿がイミテルの脳裏に過る。

 明らかな致命傷だった。誰が見てもわかるほどの。あれだけの血を流して無事なはずがなかった。近くにイミテル以外の誰もいなかったあの状況で、レインが助かる道理などあるはずが無かった。


「レインさん……レインさんっ」


 本音を言うならば。レインが助けに来てくれた時、イミテルは嬉しかった。喜んでしまったのだ。喜ぶ資格などあるはずが無かったのに。


「私のせいで……みんなが不幸になっていく。私はきっと……いない方がいい存在なんだ。このままここで……もう何も見ないまま……ずっと一人で……」


 イミテルの心に諦観が満ちる。全てに見切りをつけて、心の底まで闇に染まろうとしたその瞬間のことだった。


「イミテルゥウウウウウウウッッ!!」

「っ!」


 それは、よく知った声。しかし、決して届くはずのない声だった。

 最初は幻聴かとも思ったが、その叫びは少しずつイミテルに近づいてきた。

 そして——。


「イミテルッ!」

「レイン……さん?」


 それは光だった。暗闇の中に、突如として現れた光。燃え滾るような炎をその身に纏い、暗闇しかなかった空間にレインは光をもたらした。


「なんで、どうして……」


 聞きたいことはいくらでもあった。どうやって助かったのか、どうやってこの場所までやって来たのかということも。しかしそんなことよりも、イミテルはレインに言わなければいけないことがあった。


「どうして私なんかのことを助けに来たんですか!」

「なんでって、そんなの決まってるだろ」


 レインはなんでもないことのように、あっけらかんと言い放った。


「お前が友達だから助けにきた。ただそれだけだ」

「なんで……そんな、そんな理由で!」

「そんな理由じゃねぇよ。俺にとっちゃ大事な理由だ」

「でも怪我してるじゃないですか! 血も一杯出てます!」

「そんなの関係ねぇよ。友達だから助ける。俺が命を懸けるには、それだけで十分だ」

「っ! でも、でもっ!」

「あぁもう! ごちゃごちゃうるせぇ! 理由なんてなんだっていいんだよ。助けたいって思う理由も。助かりたいって思う理由も! イミテルが何をしただとか、だから助かる価値がないだとか。そんなもん俺には何も関係ねぇ! お前の本当を俺に教えろ! お前は、ホントにこのままでいいと思ってんのかよ!」

「それは……」


 イミテルにとって自分はこの世に居てはいけない存在。助かりたいなどと願うことは許されるはずがないと思っている。しかしそれでも複雑に絡まり合う想いの奥底。そこにあったのはただ一つの想いだった。


「怖い……」


 イミテルに残されたたった一つの想い。


「また私が私じゃ無くなるのが怖い。私の力で人を傷つけるのが怖い! このまま消えたくない……私を——」


 抑えきれなくなった感情を、ずっと心の奥底に秘めていた想いをイミテルは叫んだ。


「私を助けてっ!!」


 それを聞いたレインはニヤリと笑う。


「あぁ、任せろ」


 レインがその身に纏う炎がレインの心に反応するかのようにさらに一段と燃え上がる。

 イミテルの手を掴んだレインは、そのまま無理やりイミテルを外へと引きずり出した。


「アァアアアアアアアッッ!!」


 空間を切り裂くような、つんざく悲鳴が響き渡る。


「ゴホッゴホッ……ここは……」

「儀式の場だよ。さぁ、イミテルは返してもらったぞ」

「返セ……返セェ!!」


 イミテルを腹に抱えていたドリアードが憤怒の表情で叫ぶ。その剣幕にレインの背後にいたイミテルはビクリとその体を震わせる。


「私ノ子をォオオオオオオオオオオッッ!!」


 地中から生えた無数の蔓。しかしその蔓の形状は先ほどまでとは違い、びっしりと鋭い棘で覆われていた。もし触れればただの怪我で済まないことは明白だった。


「レインさんっ!」

「大丈夫だ。俺に任せとけ」


 イミテルの事を守るようにレインは炎を広げ、大きな炎の壁を作る。


「もうそこにイミテルはいない。だから、遠慮なくブチかまさせてもらうぞ」


 懐から取り出すのは《紅蓮・双牙》。その二丁の銃はレインの心を表すかのように、真紅に燃え上がっていた。


「溜まりに溜まった俺の怒り、存分に食わせてやるよ——【憤怒ラース】!!」


 ありったけの力を《紅蓮・双牙》に注ぎ込むレイン。まっすぐドリアードに狙いを定めたレインは、焼け付く魔術回路にも構うことなく引き金を引いた。


「っっ!」

「————ッ」


 吹き飛ばされるのではないかというほどの衝撃と共に銃口から放たれるのは全てを呑み込む獄炎。

 その獄炎はドリアードの全身を蔓と共に呑み込み、塵一つ残さず完全に消滅させた。


「俺の……勝ち……だ」


 勝利を宣言したレインはガクリと地に膝をつく。これまでの無茶が祟り、レインの体はもう限界に達しようとしていた。


(まだだ……まだここで倒れるわけにはいかないんだ)


 そうレインにはまだやるべきことが残っていた。

 今のままでは本当の意味でイミテルが救われたことにはならないからだ。


(もうちょっともってくれよ、俺の体……)


 しかし、異変はその時に起きた。


「レインさ——うぐっ」


 突然イミテルが胸を抑えて倒れる。額に大粒の汗を浮かべて、荒い息を吐きながら苦しそうに喘いでいた。


「あぐ……あぁっ!」

「まずい。罪が育ちすぎてたのか。もう時間がないぞ」


 このままでは遠からぬうちにイミテルの中に罪が満ち、イミテルの力が暴走する。そうなってしまえば、これまでの苦労が全て水の泡となってしまう。

 ドリアードはなんとか倒したレインだったが、ドリアードはあくまで時間を稼ぐための存在。ドリアードを倒せば解決するわけではないのだから。

 根本的な解決のためには、イミテルの力を抑えなければならないのだ。


「本当なら自分で飲んでもらうつもりだったんだけどな……そんなこと言ってる余裕もないか。イミテル、悪く思うなよ」


 そう言ってレインは懐から取り出した『罪丸』を口に含み、そして——。


「んっ」


 口移しでイミテルに飲ませた。

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