第67話 ドリアード

 儀式は始まってしまった。ハルトの血と、イミテルの嘆きを糧として。


「あ……が……」


 隠れていた四匹目の魔獣に胸を貫かれたハルトはその胸から膨大な血を流す。普通であれば出血多量で死んでいてもおかしくないほどの血の量だ。しかし、皮肉なことにというべきか。今のハルトは魔人の力をその身に宿している。胸を貫かれたという程度で死ぬことは無かった。

 それでも胸に走る激痛は本物なのだが。


「まず……い……このままじゃ……」


 レインは激痛に顔を顰めながらも体を捩ってイミテルの方に視線を向けようとする。しかしイミテルはそんなレインに気付くこともなく、ただただ嘆きにその身を委ねている。


「はぁ、はぁ……イミ、テル……」

「あぁ……ああ! 私が……私がっ!」

「イミテル……イミテル! くそ……ダメだ……」


 もはやレインの声すらイミテルには届いていなかった。

レインは立ち上がってイミテルに近づこうとするが依然として傷は深く、魔人としての治癒力を持ってしても完全に傷が塞がるということはなかった。

 そしてもう一つ、今のレインには大きな問題が起こっていた。


(まずい……この傷のせいで、魔人の力が抑えきれなくなってきてる。さっきから俺の中の罪が疼いて……)


 傷を治そうとする本能のせいなのか、レインの体が無理やり罪の力を引き出そうとしているのだ。


「くそっ! 負けて……たまるかっ!」


 理性を呑み込もうとする罪をレインは気合いで抑えつける。ここまで来て引き下がることなどできるはずがなかった。

 イミテルを救う、そのためにレインはここまで来たのだ。その意志は一切揺らいではいなかった。


「俺が助ける……絶対に!」


 レインは懐から『罪丸』と取り出し、もう一粒呑み込んだ。錠剤の溶ける感覚と共に、全身に罪が満ちていく。さきほどまでよりもずっと強く。


(壊セ……壊セ!! 全テヲ! 怒リノママニ!!)


「うるさい……黙れ、黙ってろ! 俺はお前の言うことなんて聞かねぇ! 俺は絶対に、イミテルを助けるんだ!」


 頭の中で鳴り響く声をレインは無理やり無視する。封印の力が弱まっているせいか、さきほどまでよりも頭の中で響く声はずっと大きい。

 しかしその効果もあってか、レインが魔獣につけられた傷は塞がっていく。


「これでまともに動ける。頭の中の声はうるさいけどな。許容範囲だ」

「フシャッ!!」


 レインに深手を負わせた魔獣が、レインの傷が治癒したのを見て襲いかかって来る。


「二度目は喰らわねぇよ!」


 レインは背後から襲いかかってきた魔獣に回し蹴りを叩き込む。速さと攻撃力に能力を割り振られたその魔獣は防御力に欠けていた。その結果としてレインの一撃に耐え切ることが出来ずに地面に叩きつけられた魔獣は絶命し、塵のように消えていく。

 魔獣を一撃で仕留めたレインはそのままの足でイミテルの元へと向かう。


「イミテル! おいイミテル、しっかりしろ!」


 レインがどれだけ呼びかけてもイミテルは茫洋とした瞳のまま答えることはない。肩を揺すっても、軽く頬を叩いてみても結果は同じだった。

 まるで殻に籠ってしまったかのように、イミテルは己の世界に捉われたまま反応することはなかった。

 そして次の瞬間、イミテルの体を地から生えて来た植物が覆い尽くす。


「ちっ、くそ!」


 イミテルのことを連れていかれまいと植物からイミテルの体を引っ張り出そうとするレインだったが、伸びていく植物の勢いに押されてイミテルと引き離されてしまう。


「なんなんだよこれ……」


 一気に伸びきったその植物は少しずつドリアードのような姿へと変化していく。頭が生え、腕が生え、全体的に丸みを帯びたその姿は植物でできているということを除けば、まるで人間の女性のようだった。

 イミテルはドリアードの腹の部分で捕らえられていた。まるで我が子を守るかのように、ドリアードはイミテルのいる部分を愛おしげに撫でる。


「イミテルを返しやがれ!」

「返ス? 返す? できない、デキナイ。そレは不許可」

「な!? 喋った?!」


 まさか返答があるなどとは思っていなかったレインは驚きのあまり素っ頓狂な声を上げてしまう。

 魔物や魔獣が喋ったなどレインは聞いたこともない。しかし目の前のドリアードは確かにレインの言葉に反応し、返答した。


「変異終わるマデ守護。そレが使命」

「変異だと?」


 イミテルのいる部分はまるで生きているかのように鼓動を繰り返している。そこでどんなことが起こっているのかレインには何もわからなかったが、良い事態でないことは明白だった。


「何してるか知らねぇけどよ。イミテルのことは返してもらうぞ!」


 レインの傷はすでに塞がっていた。動くことにはなんの問題もない。


「時間はかけてられねぇ。一気にいくぞ!」


 地を蹴ったレインは一気にドリアードに肉薄する。十メートルは優に超える巨体だ。狙える場所などいくらでもある。

 『魔人化』によって強化された脚力を遺憾なく発揮し、レインはドリアードの根の部分を思い切り蹴った。


「っ! かてぇ……でも!」

 

驚くほどの硬さ。しかし、レインの一撃でドリアードが地に張った根を圧し折ることには成功した。これでドリアードの巨体が地に倒れる……そう思ったレインだったが、その予想は大きく外れることとなった。

 折った根が瞬時に再生したからだ。


「な!?」

「折レない。折レない……そレじゃ、倒セない」

「くそ、それなら! 《紅蓮・双牙》!」


 懐から取り出した《紅蓮・双牙》をドリアードへ向けようとしたレインだが、引き金に指をかけた所でその動きを止めた。

 このまま引き金を引けばイミテルに当たってしまう可能性があるからだ。イミテルに当たらないようにと別の場所を狙えば効果は薄いだろう。先ほどと同じようにすぐに再生されて終わりだ。


「なんとかしてこいつを倒さねぇと」


 レインがドリアードに対してとれる手段はそう多くない。

 魔人としての力を引き出しきれていないレインでは、魔人としての特殊能力を使うことはできない。ドリアードを一撃で倒しきれるほどの攻撃ができるのは《紅蓮・双牙》だけ。

 しかしそんな攻撃をすればイミテルを巻き込んでしまう可能性もある。それでは元も子もなかった。


「くそったれ。こうなったら直接やってやる」


 今のレインの脚力ならば、一跳びでイミテルの捕らえられている場所へと行ける。だが、それを許すドリアードではなかった。


「不許可、不許可。認メらレない」


 地中から無数の蔓が出現し、レインの行く手を阻む。強靭な蔓がレインのことを捕まえようと襲いかかって来る。


「ちっ、邪魔すんな!」


 蔓を避けようとした結果、レインはドリアードから引き離されてしまう。


「捕ラえる、捕らエル。逃ガさナイ」


 ドリアードはレインのことを捕まえようとその数を無数に増やしていく。そうしている内にレインの逃げ場は少しずつ失われていった。


「《紅蓮・双牙》! まとめて消えろ——【憤怒ラース】!」


 身に迫る蔓をレインは【罪弾・憤怒】でまとめて焼き払う。一瞬のうちに焼き払われた蔓を見てドリアードは少しだけ驚いたような顔をする。


「消さレた? 消サれタ。驚イた、驚いタ。でモ、無駄」


 消し去ったはずの蔓が再び地中から出現する。


「いくラでモ出せル」

「くそったれ。絶対諦めねぇからな」


 イミテルを救うという目標の前に、ドリアードという大きな壁が立ち塞がった。

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