第63話 天使の姿
「目覚めるのです
サレンを包む純白の聖衣。その背から生える巨大な翼はサレンの体を包み込むほどに巨大で、服と同じ汚れ一つない純白。
その神々しさは見る者に畏怖の念を与える。普段のサレンとはかけ離れた、聖女としてのサレンの姿だった。
「天使様……」
「天使様だ……」
サレンの後ろにいた子供達がサレンの姿を見て呆然と呟く。確かに今のサレンの姿は神話に囁かれる天使の姿にそっくりだった。
サレンはそんな子供達の言葉になんとも言えない表情になる。褒められるのは嬉しいのだが、天使とまで呼ばれてしまうのは恥ずかしいからだ。
「んー、サレンは天使じゃないですよ?」
「違うの?」
「えぇ。サレンは聖女……悪しき魔を払う者、聖女なのです」
「聖女様?」
「そこで見ているです。サレンの……聖女の力を」
サレンの背中の翼が大きく開く。ひらひらと舞う羽が子供達のことを包み込み、子供達を守る絶対の盾となる。
「さぁ、今度はこっちから行くですよ」
その言葉を聞いて、サレンの威容に呑まれていた魔人の兄弟がハッと我に返り臨戦態勢に入る。動きを阻害するローブはすでに脱ぎ捨て、すぐに動ける姿勢となっていた。
魔人の兄弟は二人ともサレンよりはるかに大きい。しかし、戦闘聖衣を纏ったサレンを前に二人は確かな恐れを抱いてしまっていた。
恐れの感情は戦う上においてもっとも邪魔な感情の一つだ。正しく相手を恐れればそれは冷静さへと繋がるが、魔人達の抱いた恐怖は萎縮しか生まない。
「えぇい! 狼狽えるな兄よ! 我らは二人。息を合わせれば聖女とて討ち取れる!」
「わかっている弟よ! 我らは誇り高き魔人族! 聖女といえどたかが人間に後れを取ってなるものか!」
竦む心を魔人であるという自負と気迫で吹き飛ばし、サレンへと攻撃をしかける。
その踏み込みは大地に罅を入れるほどだった。弾丸のような速さでサレンに飛びかかった二人は、一撃で仕留めんと拳をサレンの顔めがけて放つ。
魔人としての膂力が遺憾なく発揮されたその一撃は、直撃すればサレンの頭などトマトのように弾け飛ぶこと間違いなしの一撃だ。
「うぉおおおおおおおおおっっ!!」
「死ねい聖女!!」
サレンの後ろには子供がいる。つまり跳んで避けることはできない。サレンに与えられた選択肢は受け止めるか子供達を見捨てるかの二択。
そして魔人達は自分の力ならば受け止められても押し切れると信じていた。
しかしそれはあまりにも甘い判断だった。
「温いです」
「なっ!?」
「馬鹿なっ!」
魔人達の一撃は、両方とも翼で受け止められた。岩など容易く打ち砕く魔人の拳が、ただの翼に止められたのだ。
二人がどれだけ押し込んでも翼を突破するどころか、サレンを後退させることすらできない。
「ふんっ」
サレンが翼を動かしたその衝撃で魔人達は吹き飛ばされてしまった。受け身を取ることもできず、地面を無様に転がるしかない。
「【
「ぐぅ……」
「くそっ」
今の一撃は魔人にとって渾身。文字通り全身全霊の一撃だった。しかしどうだ。サレンは全く堪えた様子を見せず、ただ翼を一度はためかせただけで地面を転がされた。
「っ——!!」
屈辱のあまり砕かんばかりに歯を食いしばる魔人達。あまりに強く拳を握り過ぎて爪が皮膚を裂き、その手からは血が滴っていた。
「どうする兄よ! このままでは」
「わかっている!!」
サレンはまだ攻撃をしてきていない。もしもサレンに攻勢に移られたらどうなるか。そんなことは考えるまでもない。
「いつまで寝てるですか!!」
空に浮いたサレンが地に伏したままの魔人達に攻撃を仕掛ける。間一髪で起き上がり、攻撃を躱した魔人兄だったが、避けた後の地面を見て戦慄する。地面に突き刺さった拳は地面を砕くだけでは止まらず、崩壊させ、地面が陥没させた。
「隙だらけなのです」
「はっ!」
攻撃を一度躱して終わりではない。サレンは容赦なく追撃を仕掛けて蹴りを叩き込む。
「ぬぅおおおおおおおおおおっっっ!!」
とっさに腕をクロスにして防御した魔人兄だったが、それで受け止めきれるものではなかった。腕の骨が圧し折れる嫌な音とともに魔人兄は吹き飛ばされていった。
「兄ーーーっっ!!」
「あっち心配してる暇があるですか」
「っ!」
兄の飛んでいった方向に視線を向けてしまった魔人弟。気付いた時にはサレンに懐へと潜りこまれてしまっていた。
「おりゃ」
気の抜けるような声と共に軽く放たれたサレンの一撃は、防御しようとした魔人弟の腕を容易く粉砕した。
「ぐぁあああああああっっ!!」
「たかだか腕を砕かれたくらいで……情けないのです」
右腕を抑え地面に膝をついた魔人弟を呆れた顔で見るサレン。
「腕が砕かれた……くらいだと……」
「ここは命を奪い合う戦場。腕を捨ててでも、相手の喉元を食いちぎる。それぐらいの気概が無ければ生き残れないのです。お前達は戦士としては失格もいい所なのです」
はっきり言ってしまうならば、サレンはがっかりしていた。魔人との戦い。命のやりとり。サレンにとって何よりも生を感じさせてくれるはずだった戦いは、あまりにも期待はずれだったから。
「魔人は油断ならない存在。ロゼはいつもそう言っていました。それはサレンも同意なのです。事実、前に戦った魔人はお前達よりもずっと強かったですから」
「ぐ、貴様……我ら兄弟を愚弄するか」
「サレンは事実を言ってるだけなのです。そんなお前達が、弱いお前達があの村の人たちを傷つけようとしたことが許せないのです」
「? お前は何を言って……」
「お前達がサレンを苦しめるほど強ければ、それは強者が弱者から命を奪おうとした“だけ”のこと。サレンもここまで気にしなかったのです。でもお前達は違う。弱い。弱者は弱者らしくしていればいい」
サレンの言葉から感情が失われていく。
『弱者』と『強者』。それはサレンにとって絶対に指標だった。
「強者は奪うことが許される。それは人も魔人も同じなのです。権力、財力、武力。力は全てを許容するのです。だからサレンは……」
何かを言いかけたサレンだったが、途中で言葉を遮って軽く首を振る。
「言ってもしょうがないことなのです。お前達は弱者だからサレンに命を奪われる。それだけのことなのです」
止めを差そうと腕を振り上げたサレンだったが、その時遠方から大きな掛け声とともにかけて来る影が一つ。
「弟よぉおおおおおおおおっっ!! ぬぅおおおおおおおおおお!!」
「っ!」
それは魔人兄だった。
不意に襲いかかってきた魔人兄の横からの突進をサレンは翼で受け止めた。
「戻って来るの随分早いですね。結構な勢いで蹴飛ばしたと思ったですが」
「たとえこの両腕砕かれようとも! この命尽き果てるその時まで我は戦うことを止めぬ!! 弟から離れろ聖女!!」
「気概だけは十分なのです。でも、それだけで勝てるほどサレンは甘くないですよ」
「ぐおぉ!」
再び飛ばされた魔人兄は地面を転がる。腕を折られているせいでまともに受け身もとれていない。
それでも一瞬魔人弟から意識を逸らすことには成功した。
「弟よ! いまのうちに!」
「っ!」
「あ、逃げたです!」
サレンの目の前から急いで離脱した魔人弟はすぐさま兄の隣に並ぶ。
「大丈夫か兄よ」
「あぁ問題ない弟よ」
「はぁ、時間稼ぎとか面倒なのです。サレン、急いでるのです」
魔人の兄弟の力量をサレンは理解した。この二人では自分には勝てないと。
しかしサレンは失念していた。この二人の魔人の背後にいる存在のことを。そして、魔人というのが油断ならない存在であるということを。
「兄よ……」
「あぁ、弟よ。もうやるしかない」
覚悟を決めたのか、魔人の兄弟はその腕につけていた腕輪を共鳴させる。
「たとえ死ぬことになろうとも」
「貴様の命は貰っていくぞ聖女!」
「お前達何を——っ!」
急激に闇が広がり、魔人の兄弟を包み込む。
「フハ、フハハハハハッッ!! 素晴らしい、力が……力が全身に満ちるぞ!!」
闇の中から高らかに笑う声が響く。
「我は兄にして弟。これぞ我らの真の姿!!」
その闇が晴れた時、そこにいたのは魔人の兄弟ではなく、さきほどまでとは比べ物にならないほど巨大化した魔人の姿だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます