第2話 表の聖女 裏の聖女
レインがユースティアを迎えに行くために向かったのは孤児院だった。レインが勉強していた教会から歩いて十分ほどの距離にある。帝都ヘルダムの中でも一番規模の大きい孤児院だ。なぜそんな場所にユースティアがいるのかと言えば、それがユースティアの仕事だからだ。
ユースティアの仕事は罪の浄化。そして未然に防ぐことにある。子供は罪に呑まれやすい。周囲の環境次第で善にも悪にも染まる。孤児の子供は特に、多くの事情を抱えているため罪に呑まれやすい。それを防ぐために聖女であるユースティアが直々にやってきて、子供達の心のケアをするのだ。これはユースティアだけでなく、他の聖女もしている大事な仕事なのである。
孤児院にやってきたレインは門の前にいる守衛に軽く手を挙げて挨拶する。
「こんにちは」
「あぁ、レインさん。こんにちは! ユースティア様は今庭で子供達と遊んでますよ」
守衛のファードがレインの姿を見てパッと表情を明るくする。レインもこの孤児院には何度も訪れているため顔見知りも多い。特に守衛のファードはレインと年齢が近いということもあって友人のような間柄になっていた。
「ありがとうございます。今日も異常無しですか?」
「はい。それはもう。なんて言ってもここは世界最強、始まりの聖女の再来と名高きユースティア様の住む街ですからね。何かが起こるなんてことあり得ませんよ」
そう語るファードの瞳からはユースティアへの尊敬や憧れの感情がありありと見て取れた。しかしこれはファードに限った話ではなく、帝都の住人誰もがファードと同じような反応を示すだろう。
「あはは、だといいですけど。でも、だからって仕事サボったりしちゃダメですよ」
「それはもちろん。仕事サボったりしたら怠惰の罪で僕が咎人になっちゃいますから。おっと、いつまでも立ち話してちゃダメですね。どうぞ中へ」
「どうも。それじゃあまた」
ファードが門を開き、レインも中へと通す。本当なら持ち物の検査をされたりするのだが、それだけレインも信用されているということなのだ。
孤児院の敷地内はそれなりに広い。庭にいるというファードの言葉をもとにレインが庭へと向かうと、子供達の元気な声が響いてきた。
ハルトが庭を覗くと、そこには元気に遊びまわる子供達の姿、そして子供達に囲まれるユースティアの姿があった。離れていてもわかるその美しさ。漆黒の髪は太陽の光に照らされキラキラと輝きを放ち、真紅の瞳は慈愛に満ちている。その笑顔を向けられただけで誰もが心ときめかせること間違いなしだ。
「せーじょさまー、わたし花かんむり作ったのー。せーじょさまにつけてあげる」
「ありがとう。すごく綺麗ね。いつの間に作れるようになったの? 前に来た時はできなかったのに」
「えへへ、ママに教えてもらったのー。せーじょさまをビックリさせたくて。ビックリした?」
「もちろん! それにすっごく嬉しいわ。ずっと大事にするわね」
ユースティアに褒められ、笑顔を向けられた子供は心から嬉しそうに破顔する。それを見ただけでもユースティアの子供人気の高さがわかるというものだ。
「ねぇねぇせいじょ様。今度はオレと遊ぼうよ。追いかけっこしよう」
「ダメよ。せいじょ様はわたしとおままごとするの!」
「なんだよ! お前はさんざん遊んだだろ!」
「そっちこそ何よ! 追いかけっこなんて男の子だけでしてればいいでしょ!」
「「むー!」」
「こらこら、二人とも喧嘩しないの。聖女様が困ってるでしょう」
「でもこいつが」
「だってこの子が」
孤児院の経営者であり、孤児たちの母ともいえる存在であるマリサが喧嘩を始めた二人を見かねて間に入ろうとする。しかしユースティアはそれを手で止めた。
「大丈夫ですよマリサさん。二人とも私の方を見て」
今にも取っ組み合いの喧嘩を始めてしまいそうな子供達の手を取ってユースティアは言う。子供達はキョトンとしながらもユースティアの方を見る。
「私は一人しかいない。追いかけっことおままごとを同時にすることはできないの。ごめんなさい。私と遊びたいって言ってくれるのはすごく嬉しい。でもだからってあなた達に喧嘩なんてして欲しくない。それはすごく悲しいことだわ」
「悲しい?」
「えぇとても。私はあなた達が元気で仲良くしてくれるのが何より嬉しいの。だからね、仲直りしましょう」
「「…………」」
ユースティアが諭すように子供達の頭を優しく撫でる。その時、ユースティアの手が一瞬だけポウッ光ったのをレインは見逃さなかった。
「「ごめんなさい……」」
「いいのよ。喧嘩するほど仲が良い、なんて言葉もあるものね。タクマ君はエリュウちゃんのことが好きなのね」
「ち、違うって!」
「わたしはせいじょ様のことが好きー!」
「ありがとう。私もエリュウちゃんのこと大好きよ」
「えへへー」
「お、オレだってエリュウなんかよりせいじょ様のことの方が好きだし!」
「ふふふ、ありがとうタクマ君。タクマ君のことも大好きよ」
「あー! タクマとエリュウがせいじょ様に頭なでられてる!」
「えー! ズルい! 私もー!」
「ボクも、ボクもー!」
エリュウとタクマがユースティアに撫でられているのを見た他の子ども達もどんどん集まって来る。さすがのユースティアも多くの子供に囲まれて少しだけ困り顔になっていた。
「そろそろだな。これ以上はあいつが怒りそうだ」
潮時だと判断したレインは物陰から出てユースティアの元へ向かう。すると子供達の何人かがレインの姿を見て声を上げる。
「あー! レインお兄ちゃんだー!」
「え?」
「あ、ホントだ! レインにーちゃーん!」
「おっと。あんまり走り過ぎてこけるなよ」
ユースティアほどではないにしろ、レインも若く身近なお兄ちゃんということで子供達からの人気は高い。子供達の注意がレインに集中したその瞬間、ユースティアの目が鋭く光り、レインを睨みつけたがレインはあえて気付かないフリをして声をかける。
「お迎えにあがりましたユースティア様」
「あらあらぁ。もうそんな時間でしたかぁ」
「えー! やだやだ! もっと遊ぼうよー!」
「そうだよ! レイン兄ちゃんも一緒に遊ぼうよ」
「そうしたのは山々なんだけどな。ユースティア様も俺もまだ仕事が残ってるんだ。ごめんな」
「えー……」
子供の残念そうな顔を見て心が痛むレインだが、こればかりはどうしようもない。そんなレインの胸中を察したのかマリサがパンパンと手を叩いて子供達に言う。
「はい皆さん。あんまり我儘をいって聖女様達を困らせちゃダメよ。また来てくださるんだから。今日はお礼を言って、さよならしましょう」
「「「はーい」」」
しぶしぶといった様子で頷く子供達。名残惜しそうにしながらユースティアから離れていく。心なしかホッとした様子のユースティアはレインの隣にやって来る。そして子供達からは見えない位置で太ももを抓られる。地味に痛いやつだ。
それを顔に出さないように努めながらレインは子供達に手を振る。
「それじゃあみんなまた今度遊びましょうね」
「うん! バイバーイ!」
「またねー!」
「今日もありがとうございました」
ニコニコと笑顔で別れを告げるユースティアは手を振るのもそこそこに子供達から離れていく。そして守衛のファードに見送られ、レイン達は孤児院を出て行った。
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それからしばらく歩き、孤児院が完全に見えなくなったところでレインは急に背中を蹴られる。もちろん誰が犯人かなど推測するまでもない。レインが後ろを振り向くと、先ほどとは別人のように不機嫌な顔をしたユースティアがそこにはいた。
「おいレイン。お前陰から見てただろ」
「さて、なんの話ですか?」
「しらばっくれるな。見てなかったらあんなタイミングで出てこれるわけないだろ。私がガキ共に囲まれてるの見て笑ってたな?」
「敬愛するユースティア様のことを笑うなんて、そんなことするわけないじゃないですか」
「何が敬愛するだ。適当なことを言うな。それよりなんで孤児院に来てすぐ私の所に来なかった」
「あんな風に子供達が楽しんでるの見て邪魔するわけにはいかないだろ」
「子供のことなんてどうでもいい。お前は私の従者なんだ。私のことだけを考えて、最優先で動けばいいんだ」
「子供がどうでもいいとか、聖女がいうことじゃないだろ」
「ふん、大した罪も持たない子供なんてどうでもいい。咎人になるのを未然に防ぐだかなんだか知らないが、なんでこの私がガキ共の相手なんてしないといけないんだ。そういうのは末端の雑魚共の仕事だろうに」
これこそがユースティアの本性だ。さきほど子供達に接していた時の態度は仮の姿。唯我独尊、傲岸不遜。自分が絶対だと信じて疑わないその精神。これこそがごく一部の人間しか知らないユースティアの姿だった。
もし第三者が見れば泡を吹いて卒倒しそうなものだが、常日頃ユースティアと一緒にいるレインは慣れたものである。
「他の人たちだってやってるだろ。ただお前がやる方が効果が高いって話だ」
「知るかそんなの。私は面倒なことはしたくないんだ。だいたい聖女なら他にもいるだろ。フェリアルとかミューラとか。そうだ、コロネなんかはあいつらとも歳が近いし最適だろう。よし、今度からコロネにやらせよう」
「何名案みたいに言ってるんだよ。無理に決まってるだろ。担当地区が違うんだから」
ハルバルト帝国の聖女にはそれぞれ担当の地区が割り振られている。もっとも、形式的なもので別の聖女の担当地区にも行くことは多いのだが。それでも孤児院訪問などの仕事は担当地区の聖女がするべきものだった。
「ちっ」
「舌打ちすんな。あ、っていうかお前子供達が喧嘩していた時力使っただろ」
「へぇ、気付いたのか。あぁするのが一番手っ取り早いからな」
「手っ取り早いって、お前なぁ……」
ユースティアは子供達が喧嘩していた時、聖女としての力を使って子供達の気持ちを静めたのだ。
「喧嘩の材料になったのは私への独占欲。それは突き詰めれば強欲の罪だ。だからその独占欲を食えば気持ちが静まる。喧嘩も止まるし、私も多少罪が食えて満足する。両得だろ」
「咎人以外に対する聖女の力の行使は制限されてるはずだろ」
聖女の力は強大だ。だからこそ無闇に使われることがないよう制約が設けられている。罪を犯した人間や教会に懺悔しに来た人以外への力の行使は基本的に禁止されているはずなのだ。しかしユースティアは子供達に対して聖女の力を行使した。それは本来であれば許されないことのはずなのだ。
そんなレインの指摘を受けてもユースティアはどこ吹く風と言った様子で全く気にした素振りは無い。
「聖女には臨機応変な対応が求められるからな。聖女が必要だと判断したら使っても問題ない」
「お前なぁ……」
「別に誰が損をしたわけでもないんだ。細かいことを気にしすぎると将来ハゲるぞ」
「誰がハゲるか!」
「私の力が誰より優秀なことはお前が誰より知ってるだろう。そんな私が力加減を失敗するはずもない。レイン、お前は心配性過ぎるんだよ」
「かもしれないけどなぁ」
「あぁもうこの話はもう終わりだ。まだ次の仕事があるんだろう。何なんだ?」
「あー、次の仕事は……フェリアルさんと食事会だな。話があるから少し早めに来て欲しいって言ってたぞ」
「…………」
レインがユースティアに次の仕事の行き先を告げると、ユースティアが物凄く嫌そうな表情に変わる。
「なんだよその顔」
「行きたくないということを伝える顔だ」
「なんでだよ」
「私がフェリアルのこと苦手なの知ってるだろう」
「それはティアが勝手に苦手意識持ってるだけだろ。いい人じゃないか」
「お前……それ本気で言ってるのか?」
「……ま、まぁ確かにちょっとアレな所はあるかもしれないけど。で、でも普通にしてたらいい人だろ」
「普通にしてたらな。普通にしてることがほとんどないから嫌なんだ。今日だって絶対ロクなことにならないぞ」
「大丈夫だろ……たぶん」
「はぁ……まぁ言っててもしょうがない。どのみちもう予定の変更はできないんだろ」
「まぁそりゃな。もう向こうも準備始めてるだろうし」
「なんか緊急事態でも起きないかな」
「緊急事態ってなんだよ」
「どっかの村で魔人出現とか」
「聖女が縁起でもないこと言うなよ! ほら、グダグダ言ってないで行くぞ」
「私に命令するな!」
ぶつくさと文句を言うユースティアを連れてレインはフェリアルの家へと向かうのだった。
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