第1話 レイン・リオルデル

「……い。……ろ……」

「ん……まだあと五分……」

「いい加減に起きろレイン・リオルデル!」

「いだだだだだだだっ!」


 急に耳に走った激痛にレインは夢の世界から現実へと引き戻された。現実に戻ったレインの目の前にいたのは金髪碧眼の迫力美人にしてレインの教師であるカレンだった。

 見る者を魅了する美貌を持つカレンだが、今はその美しい顔が怒りに染まっている。美人ほど怒ると怖いというのは本当なのだなと怒られている張本人であるレインは他人事のように思っていた。


「私の授業中で寝るとはいい度胸だなレイン。しかもこの一対一の状況で。よほど課題を増やされたいようだな」


 怒っているカレンの姿を見て、レインは自分の置かれた状況を思い出した。レインは今まさに授業を受けている真っ最中だったのだ。しかも一対一で。そんな状況であれば寝てバレるのは当然の話だ。

 言い訳をするとすれば、レインは連日の仕事で疲れ切っていたのだ。


「いや、それは勘弁していただけると……」

「ダメだ。反省文にレポート追加だ。これは決定事項だからな」

「そんな横暴なぁ」

「それが嫌なら二度と授業中に寝るような真似はするな」

「でもですね。昨日もティアのせいで——」

「ティア?」

「あー……ユースティア様のお付きの仕事で遠くまで遠征してて、帰ってきたのは深夜だったんですよ。そりゃ眠くなるじゃないですか」

「そうだな。昨日までお前はユースティア様と共に遠征して、数日教会にいなかった。だからこそこうして今、私が特別に授業してやってるんだ。お前が眠気に襲われようが関係ない。死ぬ気で耐えて、授業を受けろ」

「そんなぁ……」

「……あのなぁ。お前はただでさえ微妙な立場にいるんだ。知識だけでも一人前にしとかないと本当にまずいんだぞ」

「それは……わかってますけど」


 カレンの言う通り、レインの教会内での立場は非情に危うい。だからこそカレンはカレンなりに心配しているのだ。そんなことはレインもわかっている。カレンには昔から世話になっているのだから。


「はぁ、まぁいい。とりあえず起きたなら復習するぞ。まず基礎の問題からだ。魔物は何から生まれる?」

「魔物は……人の罪から生まれます。人が罪を犯したその時魔物は生まれ、人を襲う」

「その通りだ。では罪の種類……七大罪を答えろ」

「《傲慢》《憤怒》《嫉妬》《怠惰》《強欲》《暴食》《色欲》です」

「正解だ。人は誰しも罪を犯す可能性を秘めている。その罪が一定値を超えた時、人は罪に呑まれ、魔物を生み出す。そしてその先に待つのは——」

「……魔人」


ギュっと無意識にレインは拳を握りしめる。カレンはそんなレインの様子に気付いていながら、あえて見なかったふりをして話を進める。


「そう。魔人だ。魔人は罪の権化というべき存在。集まれば国を滅ぼしかねないほどに危険な存在だ。だからこそ、私達贖罪官がいる。私達の仕事は罪を犯したものを赦しを与え、救うこと。魔人となってしまう前に、罪に呑まれる前に救うことだ」

「罪を浄化し、人を赦す。それこそが贖罪教の存在理由……でしたよね」

「あぁ。我々贖罪教はそうすることで人を救ってきた。しかし、私やお前には罪を浄化する力は無い。それができるのは……お前はよく知っているだろう?」

「【聖女】……ですね。聖女だけが罪を浄化する力を持っている」

「これはお前に聞くまでもないことだったな。その力を誰よりも近くで見ているのはお前自身なんだから。その力の偉大さは身に染みてるだろ。お前は聖女様の従者なんだからな」

「はい……」


 そう。それこそがレインの仕事だ。聖女の身の回りの世話、警護などなど、とにかく聖女と共にあるのがレインの仕事だ。普通であればそういう身の回りの仕事は教会にいる巫女がやるもので、男であるレインがこの仕事につくのは異例中の異例だった。


「しかし、聖女様の人数は絶対的に足りていない。私達の住むハルバルト帝国にも聖女様は五人だけ。隣国のカランダ王国には二人。クルジット王国、シューテル国に一人ずつ……この九人だけだ。これだけの人数で大陸西部をカバーしなければいけないのだから」

「どこの国でも聖女は多忙ってわけですね。まぁ、それに付き添うことになる俺も必然的に忙しくなるわけですけど」

「それがお前の仕事だ。諦めろ。むしろ栄誉なことなんだぞ。誰しもが聖女様の従者になりたいと思っている」

「あー、そういえばそれで前から気になってたことがあるんですけど」

「なんだ?」

「うちの国にはティア——」

「ユースティア様」

「……うちの国にはユースティア様以外にも聖女がいますけど、俺みたいな従者って他にいないですよね? なんでなんですか?」

「決まっているだろう。相応しいものがいないからだ」

「え? そんなことないでしょ。俺だってできてるっていうか、やらされてるんだし」


 レインはそれなりに真面目ではあるが、レインのいる贖罪教にはもっと真面目な人も勤勉な人もいるしレインよりも強く、優秀な人もいる。だからこそ聖女様付きの仕事ができる人がいないというのが信じられなかった。


「能力的な話ではないぞ。能力ならそれこそ、お前より優秀な者などいくらでもいるからな。しかしそういう問題ではなのだ。聖女様付きはほとんどの時間を共にするんだぞ。能力以上に、気の合う相手でなければ意味がないんだ。だからこそ他の聖女様は傍付きをつけない。自分に合う人を見つけていないからな……お前、そんなことも理解せずに聖女様付きをやってたのか?」

「いやだってそんなの気にしたことなかったですし。あれ、でもじゃあなんでユースティア様は俺を従者に?」

「さぁな。それは私が知ることではないし、万が一知っていたとしても私の口から言うべきことではない……おっと、もうこんな時間か。」


 ふと腕時計に目をやるカレン。その時刻は午後三時になろうかという所だった。


「一時から授業を始めて二時間か。ユースティア様を迎えに行くのは三時半だったな」

「はい。その予定です」

「なら今日はここまでだな。これ以上は中途半端になりそうだし、ユースティア様を待たせるわけにもいかない。反省文とレポート、忘れるなよ」

「うへぇ……」

「ところでどうなんだ最近は」


 授業の終わりを告げると同時にカレンの教師然とした態度はなりを潜め、弟を心配する姉のような雰囲気へと変わる。だからこそレインも気を抜いて答える。


「どうって言われてもいつも通りだよ。ティアの無茶ぶりに振り回されて……この間もデビルサーモンも生息地近くに仕事で言ったんですけど、その時も急にデビルサーモンが食べたいとか言い出して。結局俺が獲りに行くことになったんですから」


 デビルサーモンというのは、ハルバルト帝国に生息する魚の名前だ。物騒な名前をしているが、危険な魚ではない。ただその面構えが悪魔のようだということでデビルサーモンと名付けられたのだ。その見た目に似合わぬ美味さと稀少性から高級魚として扱われており、レインも捕まえるのに二時間以上の時間を要した。


「あはは! それは災難だったな。まぁでもユースティアがそういう我儘を言うのもお前に対してだけだからな」

「俺がティアの本性知ってるからって……いっそ周囲にばらしてやろうか」

「言っても誰も信じないだろう」

「ですよねー」

「お前はただでさえ敵が多いんだ。この贖罪教の中では特にな」

「それも知ってるけど」


 レインはとある事件で家族を失ってからずっとこの贖罪教で過ごしている。しかし働き始めたのは三年前からだ。そしてその時から聖女の従者をやっている。何の実績も経験もない子供が突然聖女の従者に選ばれたのだ。反発を生まないはずがない。しかしユースティア自身が決めたことに対して文句を言えるはずもなく、レインは裏でずっとひそひそと陰口を叩かれ続けているのだ。


「さすがにもう慣れたよ。それにこんな俺にも優しくしてくれる人もいるしね」

「だがなぁ……」

「心配しなくても大丈夫だよカレン姉」

「全くお前は……何かあったらすぐに言えよ。できるだけのことはしてやる」


 あくまで大丈夫だと言い張るレインに呆れたようにため息を吐くカレン。頑固なところがあるレインにこれ以上何を言っても無駄だと悟ったからだ。


「またなレイン。それとユースティアにたまにはおじい様にも会いに来るように、と伝えておいてくれ」

「わかったよ。まぁ嫌がるだろうけどさ」

「ふふ、だろうな」


 それから、カレンに簡単に別れの挨拶をしたレインは部屋を出でユースティアを迎えに行くのだった。

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